NetFlixドラマ『地面師たち』の配信がスタートしたのは2024年7月のこと。綾野剛さん、豊川悦司さんがW主演、世界中でも大ヒットとなり、日本国内では10週連続ベスト10以内に入った。
脚本はじめドラマとしてのクオリティや俳優たちの名演と合わせ、実際に起きた土地購入の詐欺事件をモデルにしたものだということも話題を呼んだ。55億円もの積水ハウス地面師詐欺事件をもとにした新庄耕さんの小説をドラマ化したものなのだ。
これは大企業をターゲットにした土地売買の詐欺事件だが、不動産購入は、特に個人にとっては一生をかけた大きな買い物となることが多い。「地面師」とは土地の所有者ではないのに所有者であるように装ったもので、その手口は巧妙だ。ドラマ『地面師たち』をみて自分の不動産購入に警戒するようになった人もいるのではないだろうか。
不動産購入を決めるきっかけはどのようなものか。
作家の町田哲也さんは、76歳の母親が暮らす実家が傾いていることに気づき、実家をどうするかを考えたことが土地を探し始めるきっかけとなった。実家のリフォームや売却は、連絡が取れていない家族のことを考えてやめることとした。今でも学童の教員として働く母が安心した老後を過ごせることをふまえ、新たに土地を購入してアパート経営をすることを計画したのだ。その経緯をドキュメントで伝える連載「終活アパート」第5回は、土地購入のときの「引っかかり」について伝える。希望に近い土地を見つけた時、アパート建設のパートナー的な存在の工務店の担当者の顔がちょっと曇っていた気がしたのだが……。
ドラマ「地面師たち」大ヒットで
土地の所有者であることを証明するものは何か。土地の売買をするときに、持ち主であることの証明書になるのが、土地の権利書、つまり登記済権利証だ。2005年の法改正により登記識別情報に変更され、不動産の譲渡や抵当権の新規設定をする際の本人確認書類として利用されている。
土地の所有者になりすまして売却をもちかけ、多額の代金をだまし取る不動産詐欺の実態がドラマで描かれたことがあったが、この事件で問題になったのが本人確認の不備だ。売り手と買い手が同じ席で書類を確認するのは、土地の売買で重要なプロセスだ。
ぼくがアパート建築用に購入する土地の売り手とはじめて面会したのが、仮契約の日だった。場所は不動産会社のオフィスで、重要事項の説明を受ける必要がある。
売り手の野田さんは1942年生まれの80歳。ぼくの母より4歳年上だ。購入金額も決まり、手付金はこの日現金で払うことになっている。野田さんはにこやかな表情で、不動産屋の話を聞いていた。
ファミリータイプの「広さ」とは
この日に到るまで、A工務店の藤井さんとは何度も打合せしていた。長い目で見ればファミリー向けの部屋に一番のニーズがあることはわかったが、どういったタイプの部屋でどの程度の広さが求められるか。建物は3階建てにすることがほぼ決まっていたが、1フロアに何部屋作るか。さまざまなプランを叩き合っていた。
都内のC区で比較的人気なのが、40平方メートルほどの1LDKで、それなりに安定した需要が見込める。不安なのは50平方メートル、60平方メートルのクラスで、やや大きめのマンションでないと見つからないという。供給が少ないのは、居住者にニーズがないからだろうか。
駐車場のスペースを確保するかどうかも、重要なポイントだ。ファミリー向けである以上、一定のニーズはあるが、その分部屋数を減らさなければならない。立体駐車場にするのもコストとの相談だ。
結論として見出したのは、駐車場なしで1LDKと2LDKの混合アパートだ。3階は60平方メートルの2LDKが3部屋で、ファミリー層をターゲットにする。2階が50平方メートルの1LDKが3部屋で、想定はファミリーや夫婦向けだ。
1階は40平方メートルのやや小ぶりな1LDKで、若者から高齢者まで幅広く単身者が居住できるし、カップルが住むにも問題ない。都内は車を持たない世帯が多いので、土地は駐車場より部屋に使ったほうがいいだろう。
この土地には、ぼくより先に二人が手を挙げていたが、いずれも契約前に断念していた。アパート建設が目的で、1番目は個人で2番目は法人としての購入想定だったというが、ローンがつかなかった。
工務店の藤井さんが警戒していた理由
「じつはその一人が、私のお客さんだったんですよ」
藤井さんは、ぼくにプランを説明ながら苦笑いした。この土地を検討しはじめて以来、気になっていたのは藤井さんの表情に警戒した色があることだった。いつものように前向きに話している様子がない。競合相手の存在は聞いていたが、藤井さんのお客さんとは知らなかった。
「その土地をぼくが欲しいっていい出したから、どっちを立てればいいか悩んでたんですか?」
「そうなんです。もうひとりの方に決まっちゃったら、裏切ったみたいで嫌じゃないですか」
いつも慎重な藤井さんらしいこだわりだ。しかしこれで、アパート建設に向けて全力で取り組めるようになったともいえる。大きな資金が動く事業だけに、気持ち悪さを拭い去ることができたことは精神的に大きかった。
いざ、重要事項説明
「この度はありがとうございました」
ぼくが不動産屋に入ると、野田さんが立ち上がった。隣でお辞儀をするのは娘さんのようだ。買い手側のメンバーは、ぼくに不動産屋の担当者と藤井さんだ。重要事項の説明を聞き、手付金の受渡しを行う。
ぼくが自己紹介すると、娘さんが野田さんの代わりに説明した。野田さん夫婦と同居して、二人の身の回りの世話をしているという。自分の役割は、親との残された時間をしっかり生きていくことだという娘さんの挨拶に、背筋が伸びる思いがした。
「あの土地には昔から父が工場を持っていたんですけど、事業をやめることになって、父の姉が一人で住んでいたんです。姉も出ることになって、どうしようか話し合っていたところでした」
「だから、基礎がしっかり固められてたんですね」
藤井さんが、納得したように相槌を打った。
「私が心配性なんです。長く仕事をしていれば何があるかわからないじゃないですか。大災害が来ても問題ないように、基礎だけはしっかり作っておきたかったんです。実際には、災害なんてなかったんですけどね」
野田さんは自分が事業を継いだ数十年前からの、街の変化について話した。城北エリアにあるC区は水害が怖いといわれるが、この数十年は一度も氾濫を起こしていないこと。大学の数も多く、学究都市であること。犯罪の数も少なく、治安が悪いというのはデマでしかないこと。もう長くC区に住む野田さんは、強い地元愛に満ちていた。
◇地元でずっと長く暮らし、地域を愛する野田さんが売主であれば、地面師的な心配はまったくない。しかし、購入する土地が素晴らしくても、いざ契約しようとしたときに不安がみえてくることもある。町田さんの場合はどのような不安だったのか。
詳しくは後編「「隣の駐車場」の所有者は…「終活アパート」建設、土地売買で浮上した大きな”不安”」にてお伝えする。