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『世界は基準値でできている 未知のリスクにどう向き合うか』、
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*本記事は、『世界は基準値でできている 未知のリスクにどう向き合うか』(ブルーバックス、2025年刊行)を再構成・再編集してお送りします。
【130m】花火大会の保安距離
「保安距離」とは、守りたい建造物と危険物施設のあいだで保たなければならない距離のことである。その基準値を設定する目的は、危険物施設で火災や爆発などが起きたときに、延焼などの影響を防ぐことにある。ここでは、花火大会での保安距離についてみてみよう。
じつは、花火大会にからむ事故は珍しくない。たとえば2024年に栃木県で開催された花火大会では、2尺玉の花火1発が地上付近で破裂し、約500m離れた駐車場の乗用車に破片が当たり、フロントガラスやボンネットが破損した。栃木県では2尺玉の花火を打ち上げる際の保安距離を「半径350m以上」としているので、駐車場までの距離は十分だったにもかかわらず、事故が起きたのである。
なお2尺玉の花火は玉の直径が58.5cm、空中で開いたときの半径(開花半径)は約250mである。また、2019年に茨城県で開催された花火大会では、保安距離よりもさらに100m離れた、花火鑑賞が許可された場所に、不発の花火1発が落下して破裂し、近くにいた男性が軽度のやけどを負い、女性が耳鳴りなどの症状を訴える被害が出た(医療機関への搬送はなかったという)。これでは花火の保安距離は、どんな災害を防ぐためのものなのか疑問に思えてくる。
花火の保安距離は、花火の不発弾(「黒玉」という)が観衆の中に落下して起こる事故を、可能なかぎり防止するための距離とされている。現に事故が起こっているではないかと思われるかもしれないが、そもそも、そのような事故を「ゼロにする基準」ではないのだ。
専門家の間では「打ち上げの衝撃に耐えた玉が地上に落下した衝撃で爆発する確率はさほど大きくなく、仮に爆発したとしても飛散した破片が観客に当たる確率を考えると、黒玉が事故につながる確率は非常に小さい」と考えられているという。ちなみに、中規模の花火大会1回で打ち上げられる玉の数は、数千発程度である。
火薬類取締法では、花火の種類、消費場所の地形、付近の建物の構造、警備体制などはさまざまなので一律に規定するのは困難なことから、「保安距離は地域ごとに定める」としている。表に、打ち上げ花火の大きさ(号数)と開花半径、そして各自治体が定めている保安距離を示した。
より大きな花火を打ち上げるにはより長い保安距離が必要で、また、東京都のように「人家が密集し、かつ、極めて多数の観衆が予想される」花火大会では、より長い距離を設定している自治体もある。なお、保安距離の外側には、原則として打ち上げに携わる人だけが入る「立入禁止区域」が設定される。
ここでは、東京都で保安距離が短縮された例を紹介しよう。東京都では花火大会の保安距離は1960年に設けられた。1980年代になって、導火線の規格化による燃焼性能の向上、火薬の配合組成の変化、原料火薬の主成分が塩素酸カリウムから過塩素酸カリウムに変化したことなどで打ち上げ技術の安全性が高まったことから、東京都は安全性の再確認をかねて、基準を見直すための実験を行うことにした。
基準見直しの実験と結果
隅田川花火大会で保安距離をもっと短くできれば、より大きな花火を上げられるのに、という声にも後押しされての決定だった。
実験は、黒玉すなわち開花しなかった不発弾がどこに落下するかを追跡する目的でデザインされた。火薬の代わりに、大きさと重さが2.5~10号となるように砂袋にもみ殻を詰めた模擬玉を用い、紐などをつけて打ち上げの方向を限定し、スターマイン方式(いわゆる連発式)と単発式で打ち上げて、高度や落下位置などを測定した。
その結果を解析すると、模擬玉の落下位置は、ほぼ、地上の風速だけで推定できることがわかった。これにより、花火の大きさによって決まる開花半径に、風で流される距離も考慮した、新しい保安距離が提案された。
この見直しによって、5号では従来の170mから、表に示すように130mになった(ただし玉の種類は限定され、かつ方向を制御する縄や紐をつけるなどの対策が条件)。隅田川花火大会の第一会場付近における隅田川の川幅は160mなので、ここを保安区域に含めれば、規定上は5号まで打ち上げられることになった。
この決まり方からわかるように、黒玉の落下位置は風速に大きく左右されるため、強風時はこの保安距離が適用できない。実際、東京都では強風が一定時間続くと、打ち上げを中断、もしくは中止することになっている。
また、打ち上げる方向が制御できることを前提とはしているが、打ち上げる際の筒の傾きや転倒などにより、保安距離より遠くに飛散物が届くことも考えられる。ということで、保安距離をとれば完全に事故を防げるというわけではないのだ。
民家が周辺にある市街地での花火大会では、確保できる保安距離は限定され、花火玉の大きさも限られる。その中で観客に楽しんでもらう工夫を凝らす主催者には、頭が下がる思いである。