『続・続・最後から二番目の恋』(フジテレビ系・月曜夜9時)最終回(6月23日放送)では千明(小泉今日子)が還暦を迎えた。やっぱり大きな出来事はなく、1話分まるまるエンディングという感じで、それぞれの現在地をスケッチするようなゆったりのんびり、贅沢な1話だった。千明は会社を辞めて独立。和平(中井貴一)は鎌倉副市長。なんとなくいいふうに収まるところに収まって。お互いのかけがえのなさも認めあって。最後から二番目じゃなくて最後に隣にいる人にしたいという思いを確かめあう。
出会ったときは、千明45歳、和平50歳。現在、60歳、65歳。15年もの長い春。千明と和平がなかなか進展しなかったのは、和平はずっと弟と妹のお父さん代わりで、実娘もいるしで、なんだかんだで家長として責任を感じていたのかもしれない。長倉家のセットで和平の部屋が一度も出てこなかったのも、和平にはひとりの時間がなかったことの象徴のような気もする。
それがいまや弟・真平(坂口憲二)の病気も治り、妹の典子(飯島直子)は広行(浅野和之)ともう一度人生やり直せそう。万理子(内田有紀)も自立しはじめた。娘のえりな(白本彩奈)もなんの心配ない。これで和平にはもう千明しかいないのだ(ネガティブな意味でなく)。これからふたりの関わりはさらに深まっていくのではないだろうか。そんな幸福な未来を予感するやさしい終わり方だった。
『最後から二番目の恋』シリーズを手がけてきた脚本家・岡田惠和さんも、60歳のとき、千明や和平と同じような思いを抱いていたのだろうか。長年、月9をはじめとする数々のドラマを手がけてきた岡田さんは、自身の年齢や人生の節目とどう向き合ってきたのだろうか。シリーズを手がけてきた岡田さんにライターの木俣冬さんがインタビューする連載もいよいよ最終回。前編では、岡田さんが考えるテレビドラマの脚本家としてのキャリアについて深掘りしする。
岡田 惠和(おかだ・よしかず)
東京都出身。脚本家。テレビドラマ、映画、舞台など幅広く手掛ける。近年の主な作品にテレビドラマ『続・続・最後から二番目の恋』『晴れたらいいね』『南くんが恋人!?』『日曜の夜ぐらいは…』『ファイトソング』、映画『余命10年』『いちごの唄』『8年越しの花嫁 奇跡の実話』、配信『さよならのつづき』など。11月映画『ストロベリームーン』公開予定。橋田賞、向田邦子賞、芸術選奨 放送部門 文部科学大臣賞受賞、紫綬褒章受章。
月9に呼ばれる人になりたい
――『続・続・最後から二番目の恋』で千明が59歳。還暦間近でこれからのことを悩んでいます。岡田さんが60歳のとき、何を書いていたか覚えていますか。
岡田:2019年、還暦の年は『セミオトコ』(テレビ朝日)『そして、生きる』(WOWOW)、『少年寅次郎』(NHK)を書いていました。
――そのとき何を思っていましたか。いわゆる定年がない仕事ではありますが。
岡田:同級生たちがそういうムードになっているのを見ながら、僕自身はフリーで定年がなく、日々、やっていることは全然変わらなかったけれど、それなりに、終わりに向かっていく時期なんだなっていう思いはありました。定年とか退職とかみたいに、この日で終わりですみたいな日がない分、自分でフェードアウトするのか、これで最後と決めることになるのかなあと。……いま、60歳になるとき、何を考えていたか聞かれて思い出しましたことがあります。
40代の頃にたぶん、月9を書いたときのインタビューだと思うのですが、30代でも40代でも50代でも60代でも、月9に呼ばれる人になりたいと答えていたんです。ところが、50代は月9が来なかったんですよ。それであんなことを言わなければよかったと思って。いまみたいに取材の記事がネットに残っていないからいいけれど。なんてことを思っていたら、60代に『続・続・最後から二番目の恋』で月9が来たから、ちょっと気持ちが楽になったんです。
――そうでしたか。
岡田:全然来るとは思っていなくて。しかも最初は月9の枠になると思わずに引き受けていて(以前は木曜10時の枠だった)、たぶん、途中で月9だと聞いたんですよ。『続・続』で月9ネタを書きましたが、いまの人が月9をどう思っているのかわからないけれど、僕としては月9という枠は大きな存在でした。いまは配信が主流で、何曜日の何時みたいなことを考えていないから、オンエアの結果を一喜一憂するのはどうなんだろうと思うときはあります。でも民放の場合はスポンサーがいるから、どうしてもオンタイムの視聴率で評価されるという意識から離れられないのかな。
今期は『波うららかに、めおと日和』が好き
――月9というものが岡田さんにとっては大きい存在であったのですね。
岡田:やっぱり月曜9時、金曜10時は書きたい枠でした。
――日曜9時はどうですか。
岡田:日曜9時は自分の柄じゃないのかなと思っていました。月9、金10はデビューした頃の憧れでした。
――そこに日曜劇場、朝ドラ、大河が入る人もいると。
岡田:そうですね。月9はある種のトレンドの中にいる感じがあったし、金10は確たる作家性が問われるというか認められた感じがしました。朝ドラは当時、もうちょっとベテランになってやるものだというイメージがありましたから。朝ドラが若い作家に依頼するようになったのは大石静さんが『ふたりっ子』(96〜97年)をやったことが大きいのではないかな。それを見て、自分たちの世代もそこへ行っていいのかな? と背中を押されたような気になりました。いまはまたさらにいろいろなフェーズに入ってきた感じがしますが。
――未知なる作家に新たな世界観を期待するみたいなフェーズというのか……。
岡田:今期、僕は芳根京子さんの『波うららかに、めおと日和』(フジテレビ)が好きで。あのエアポケットのような気持ちよさはなんだろうと。あれを企画したことがすごいなと思って。朝ドラって、とくに最近顕著だけれど、現代の感覚に寄せて、意識高く女性の地位向上を語る主人公が増えていますよね。それは正しいことだとは思うんです。でも『めおと日和』の主人公は当時の女性の、男性に三歩下がって付き従うみたいな生き方、考え方を再現していて。だからこそ生まれるラブストーリーもあるんだなぁと思って。それをいまやるのは、実は勇気ある企画だったのではないかと思うんですよ。
――芳根さんといえば岡田さんの『晴れたらいいね』(テレビ東京)も良かったです。
岡田:戦時中を舞台にしてシスターフッド的なことをやれて面白かったです。
――ドリカムの『晴れたらいいね』の使い方もさすがで。音楽好きな岡田さんだなあと。
岡田:ああいうのも割と自分が描くと、誰かが死ぬのは嫌だな、みんな無事に日本に帰したいと思うんですよ。プロデューサーからは終戦記念ドラマみたいにしなくていいですということで、あの時代に普通に生きている人物を描こうと思ったんです。
◇1990年にデビューし、NHK連続テレビ小説『ちゅらさん』、『おひさま』、『ひよっこ』をはじめ、映画『いま、会いにゆきます』、配信の『さよならのつづき』など、数々の話題作を手がけてきた岡田さん。どのような思いで脚本を書き続けてきたのだろうか。後編【『続・続・最後から二番目の恋』脚本家・岡田惠和が明かす「40代の節目」と書き続ける理由】では、40代で訪れた人生の節目についてや「脚本を書く」ことに対する思いを深掘りする。