秋葉原駅前の喧騒から少しはずれて神田川に向かうと、ほどなくしてレンガづくりの「マーチエキュート神田万世橋」が見える。そこにいま「万世橋チューブ」と名づけられた新しい空間ができている。入り口からはいると川沿いでクラフトビールを楽しめるお店があり、奥にはいくつかのショップもある。そこで6月22日まで開催されている展示が、長坂真護さんプロデュースの「BONBO STARS展 From the Slum to The World」だ。
大坂・関西万博のテーマ館「いのちの遊び場 クラゲ館」にも作品が展示されており、上野の森美術館をはじめ、多くの展覧会が人気のアーティスト長坂真護さんは、これまでにも自分の作品だけではなく、展覧会で「スラムのアーティストたち」の作品を紹介するコーナーを設けることが多くあった。その「スラムのアーティストたち」を厳選し、展示しているのが本展示なのだ。
長坂さんにインタビューをした前編では「BONBO STARS展」に至るまでのことを聞いた。
後編では展示されている「アーティスト」たちの出会いをお伝えする。
ガーナから「会社専属アーティスト」誕生
ガーナの地で、スラムの人権と環境問題を改善するため電子ゴミなどの廃材で作品を制作し、その売り上げを還元する形で、現地にアートギャラリー、リサイクル工場、オーガニック農園やEVの事業を展開する。アーティスト長坂真護さんが2018年ころからゼロから始めたその試みは、試行錯誤を経てコロナ期間が明けるころから加速した。
初めて作ったギャラリーで、若者や子供たちが安心して絵を描ける環境が整ってきたということだ。

「そこから絵を専念して描くという、いわば会社専属のアーティストが生まれてきます。いまうちには、専属数人とその下の研究生的な子たちがいて、専属の子たちには給料を払ってます。固定給プラス売り上げのボーナス。とにかく他の仕事はしないで、絵を思う存分書いてほしいという思いからです。あとの子たちは、うちのリサイクル工場などで働きながら、午後4時に仕事が終わった後、隣のギャラリーで絵を描いています。それぞれが例えば医者になりたいとか先生になりたいとか、その夢を叶えるために絵を描くんです」
絵を教えるだけではなく、「雇用と絵のサイクル」を作り出したのだ。美術家の発想というよりも、ビジネスマンそのものである。。
「やっぱり彼らにとってお金というのは大きなインパクトがあるんですよ。絵の売り上げの10%が給料に加算されるというのは。10万円の絵が売れたら1万円。1万円ってほぼ普通の月給です。それは描きますよね。あと何より一生懸命やればそれが評価されるという経験が大きいなと思うんです」
「なんで僕はスラムに生まれたんだろう」
専属アーティストになるのはどういう人なのだろうか。
「最初に専属になったのがエバンスという男です。現地で開催した「MAGO GALLERY AWARDの最初のグランプリを取ったことがきっかけで専属になりました。賞金10万円だったかな。彼が抜きん出てたのは、独学のはずなんですけど、最初からわりとコンテンポラリーな絵画も描けて、つまり絵の素養があったんです。あまりに上手いのでほんとにスラムに住んでたの? って聞いたこともあったくらい(笑)本当にどこかで学んだわけではなく、独学でずっとコツコツと蝋燭の灯りで絵を描いてきた男だったんです」
「BONBO STARS展」には一番大きな絵が二点飾られている。どちらもこれもエバンスのものだ。長坂さんは絵を指して言う。
「これめちゃくちゃすごいですよ。あえて顔を書かないことによって人と人との付き合いの距離感を縮めるんだ、なんてちょっと哲学的なこと言ってて。見た時、ちょっと衝撃を受けました」
その迫力は、いわゆる「レベチ」だ。エバンスはどのような人なのだろうか。
「圧倒的なオリジナリティがある。今は彼はうちの学校の教員もやってくれてます。彼、絵が上手いというだけではなくて、人格者なんですよ。お金もちゃんと貯めてそれで自分の家を買うのかなと思ったら、家族に家を買ったんです。
彼、こう思ってたんですって。なんで自分はスラムに生まれたんだろうって。同じ絵の才能があっても、NYで生まれて絵を描くのと、ガーナのスラムで生まれて絵を描くのでは、違う。努力の総量は同じでも輝けない。そこに不平等性を感じてたんです。そんなある日、『MAGO GALLERY AWARD』の広告を見つけるんです。賞金十万円っていう。で、彼は一生懸命絵のコンセプトを考えて描き上げて送ってきたんです。30名くらいの応募があったんですけど、彼の絵を見た瞬間、グランプリはこいつだと思いましたね」
ガーナと日本をつなぐ意識
長坂さんが「グランプリはこいつだ」と思うだけあり、描く対象もの幅も広く、タッチも多彩だ。
「今回の展示の入り口スペースに飾ってあるこの大きな絵には政治的なメッセージが込められてます。今回JR東日本さんの百年前は駅だった万世橋の駅だった高架橋で展示をやると知って、想像の中の電車を描いてきたり。とにかくジャンルは関係ない。エネルギーがすごくて、放っておいても毎月絵を送ってくるんです。多い時には十点くらい。やっぱり絵で生きたいと本気で思う人はまずエネルギー量がすごい。そうなると僕やスタッフも売りたくなるんですよね」
こうして長坂さんはエバンスさんの絵を熱く説明し始める。
「これは学校ですけど、国旗が描かれてて、ガーナと日本を繋ぐっていう意識も高いです。情報に縛られないんですね。要は現代アートをちゃんと知らないから。彼なりのアイデンティティがあって、それを日本と結びつけるためにこういう絵に昇華していくスタイルは、ある種の本当の意味での現代性かなと思って。例えば、僕らはアートをある程度知識で知ってしまっているから、ニューヨーク行ってもアンディ・ウォーホルとかバスキアとかに影響されてそのソースでアートを作ってしまうんですけど、彼はそうじゃない。手探りの展開の仕方が現代社会においては独特で、代えがたい魅力がある」
パスポート代を自分で払って日本へ
彼は今年に入って、クラウドファンディングで日本に来たのだという。
「3名が選ばれて日本に来たんですが、僕が地味に嬉しかったのは、その中でエバンスだけが、パスポート代を自分で払って取得してきたことなんです。『これは一生自分で管理するものだから自分で払う』って。なんていいやつなんだ!って」
ガーナを出て「世界へちゃんと出るんだ」という意志を感じる。
「やっぱり小さいころから、あてもないのに薄暗い蝋燭だけで独学で絵を三十年近く描いてきて、ある日突然『君には才能がある』と言われて、給料もらえて売り上げももらえるようになったわけですよね。そりゃ全身全霊で絵を描きますよね」
何もないところから一筋の光が差し込むっていうのはやっぱりスター誕生のストーリーだ。
「そういうのはもう日本には無くなってしまってるので、だからエバンスにはスターになってほしいです」
「1500万円の絵」のモデルがアーティストに
他にもスター候補生はいるのだろうか。
「マーティンという9歳の男の子です。……先ほどお話しした【Gahna’s son(ガーナの子)】のあの男の子はマーティンなんです。この絵がすごいのは、長坂真護がすごいんじゃなくて、モデルのマーティンのおかげなんです。彼がいなかったから僕はあれを描けなかった」
【Gahna’s son(ガーナの子)】とは、電子ゴミをもちいた長坂さんのアートで、1500万円の値段がついた長坂さんの代表作だ。純粋な瞳が電子ゴミの中に埋もれてこちらを見ている。その姿に心揺さぶら多人は多いだろう。そのモデルとなった少年が、今度は「アーティスト」になって一緒に仕事をしていたとは……。モデルになったのは何歳だったのだろうか。

「2歳か3歳ですね。あの美しい瞳の男の子に僕は一目惚れしたんですよ。ただ彼は、ずっと家庭環境に問題を抱えていて。父親には問題が多く、母親も病気がちで子供であるマーティンのケアができないんです。だからいまは僕が全寮制の学校の学費も全部出してます。彼がいなかったから今の僕はいないですから、もう大きくなるまで面倒見ますよ。素直ですごくいい絵を描きます。最近は『MAGOについていって世界を回りたい』なんて言ってくれるんです。嬉しいですよ、そりゃ。だから彼を一流アーティストにするのが今の僕の夢です」
無名の彼らを”BONBO STRAS”と名付けた長坂さんの真の意図は、「スターになる」前提ということだろう。現在エバンスやマーティンだけではなく、他にも多くの無名だけど、とんでもない才能を持った若きアーティストたちの絵が今、万世橋に展示されている。
1912年に幻の駅として生まれた万世橋駅が、関東大震災や東京大空襲を生き延び、2025年の今、美しい赤煉瓦の威容を神田川沿いに誇っているその美しい建物の中に、ガーナから来た無名のスターたちの絵が色とりどりに並んでいるのはちょっとシュールで、でも確実に元気をもらえる。
まだ教科書には載ってない未来の西アフリカの未来のスターたちの絵を、自分の目で確かめに、万世橋に足を運んでほしい。
常識に捉われない長坂真護の発掘した色鮮やかなアーティストの原石たちに、今の日本に足りないパワーをきっともらえるはずだ。