より2020年2月3日、横浜港に入港した豪華客船「ダイヤモンド・プリンセス号」内で日本初となる集団感染が発生した。その最前線(フロントライン)で対処に当たった医療従事者、行政職員、船のクルーたちの激動の2週間を事実に基づき描いた映画『フロントライン』が、6月13日より劇場公開される。
東日本大震災における福島第一原発事故を描いたNetflixシリーズ「THE DAYS」を手掛けた増本淳が企画・脚本・プロデュースを兼任し、映画『かくしごと』の関根光才が監督。小栗旬、松坂桃李、池松壮亮、窪塚洋介ら錚々たる俳優陣が出演していることでも注目を集めている。
乗客乗員56カ国3,711名を乗せた船内で100人以上の乗客が症状を訴えるなか、国から要請を受けたのは災害派遣医療チーム「DMAT」。災害医療のスペシャリストではあるが、未知のウイルスに対応できる経験や訓練はされていない医療チームだった。
DMAT(Disaster Medical Assistance Team)
大規模災害や事故現場など、医療体制が逼迫する事態において迅速に被災地に駆けつけ、命を守るための専門医療チーム。医師・看護師・業務調整員(救急救命士、他医療職、事務職員)から構成され、主に発災直後の急性期(約48時間以内)に活動を開始する災害医療のスペシャリスト。2022年2月より新興感染症にも対応することが活動要領に追加された。
映画内でDMATのリーダーとして対策本部で指揮を執ったのは、小栗旬演じる結城英晴。その結城のモデルであり、本作の監修を行ったのが、医師の阿南英明氏だ。
優先すべきは目の前の命か、感染対策か――。阿南氏をはじめとするDMAT隊員たちの葛藤の記録でもある本作。インタビュー後編となる本記事では、命を危険に晒すリスクを負いながらも要請を受けた理由とともに、パンデミックにおいて人々を支配する「恐怖」の感情との向き合い方について語ってもらった。
阿南英明 プロフィール
1965年生まれ。新潟大学医学部卒業。藤沢市民病院副院長や神奈川県医療危機対策統括官を務め、2024年4月より神奈川県立病院機構理事長。日本災害医学会理事。
「人としての倫理観」に突き動かされた
――DMATは災害派遣医療チームであり、当時、未知のウイルスへの対応は専門外だったわけですよね。自らの命を危険に晒すリスクを負いながらも出動に応じられたのはなぜでしょう?
阿南:最初に自分が「やらない」と言うことはできたかもしれません。実際、そういった人たちは他にもいました。でも代わりがいないんです。感染症の専門医が船に乗って対応すべきと思う人もいるかもしれませんが、船の中には何千人といる。その中には妊婦や重い持病を持つ人もいます。まずは船の乗客たちをどう避難させるかの体制づくりを行うのが重要なわけです。それは、災害時の医療経験がなければできないことです。
選択肢がないなかで路頭に迷う人たちがいる。じゃあ自分たちが何とかしなきゃいけないと思うのは、医療従事者を飛び越えた、人としての倫理観だと思っています。
たしかに映画でも語られている通り、DMATは感染症の専門チームではありません。でもじゃあ、我々がよく出動する震災への対応を医学部で学んできたのか? 「震度5とはこうでね」なんて授業は受けてきていないんです。そんななか震災の現場に行って、今から入ろうとする建物が安全かどうかを自分の直感で判断するしかないのが現状です。
一方、感染症に関しては、我々医療従事者はすべからく基本教育を受けている。医療免許を持っている人間で、感染症の授業を受けたことがない人はいないでしょう。感染症の何が怖くて何が怖くないかを知識としてわかっているし、適切な防護をすれば感染しないと知っている。清潔と汚染の区別をきっちり行って仕事するのは、医療の根源であり基本です。だから行くべしという判断を行いました。
コロナ患者を怖がる病院幹部に激高したシーンは事実
――現場をサポートしていた「関東感染学会」(劇中の名称。実在の学会とは名前を変えている)が途中で撤退したり、船に乗り込んだ感染症専門医が動画をYouTubeに投稿して混乱を招いたり、同じ医療従事者に救命活動の足を引っ張られてしまう様子も克明に描かれていました。当時、どんな思いを抱いていましたか?
阿南:冷静に考えれば仕方がない部分もあると思いますが、追い詰められている状況でそういったことがあると僕自身、爆発してしまう瞬間はありました。映画の中で、結城が病院の幹部会議で「コロナ患者が送られてくるから不安なんて言う医療従事者は辞めたほうがいい」と激高するシーンがありますよね。僕もあの場所ではないですが、同じ発言をしました。
そこに困っている人がいるのに、感染者がどんどん搬送されてくるから辞めたいなんて言う人は、やっぱり仲間だと思えないんです。本音としてそういった感情を抱くことは理解できますが、僕たち医療従事者は理性と知識でその感情を抑えなくてはならないし、安易に逃げるわけにはいかない。その後の3、4年におよぶ闘いにおいてもずっとそうでした。心の中では怒りを抱えながらも極力抑えて、「やれることだけでいいからお願いします」と言い続けていました。
――未知のウイルスであろうと狼狽しすぎではないかと。
阿南:あの時点で、中国で感染が確認されてから1カ月以上経っており、症状や感染経路についてもだいぶわかっていましたしね。もちろん、本能的な恐怖を感じたり逃げたくなる気持ちもわかります。でもそれを御することができるのが知性であり、医療従事者はそれを有しているわけですから。知性によって理性を働かせて、恐怖を駆逐する――。この構図で我々は働いているはずなんだから、もう一回取り戻してほしいという想いはありました。
一般の方がパニックになるのはしょうがないと思いますが、医療従事者がそれに逃げるのは歯がゆかったです。たしかにまだ薬もなく、肺炎になる方もいて、変異株の中のデルタ株まではとても怖いものだと医学的には認めるところですが、少なくとも当時、医療従事者が逃げちゃいけないラインではあったと思います。
ルールを曲げられないのなら、変えてしまえばいい
――映画で結城とともに対策本部の指揮に当たっていたのが、厚生労働省の立松(松坂桃李)です。緊急事態にもかかわらず、国や自治体のルールが壁となる状況がたびたび起こる中、結城が立松に「ルールを曲げられないのなら、変えてしまうことはできないのか」と訴えるシーンが印象的でしたが、実際にもああいった機転で乗り切ったのでしょうか。
阿南:僕自身、医療や災害に関する法律は基本頭に入っていて運用する立場です。そして法治国家において、法律を逸脱することはやってはいけません。ではどうするか。法律の解釈をちょっと幅広くするのです。例えば「これはダメ」という法律を「ここまではいい」と解釈して、それに沿った方法を編み出していました。
実際の現場でも、映画で描かれたように厚生労働省から派遣されたなかなかいい男(官僚)と組んで、「これを国からの通知として出してほしい」とリクエストしたりしながら対処していました。
――2025年4月には、次の感染症危機に備える専門家組織「国立健康危機管理研究機構」が設立されましたね。
阿南:映画でも結城とテレビ局のニュースディレクター・上野(桜井ユキ)の会話に「日本にはCDC(アメリカ疾病予防管理センター)のような組織がない」というセリフがありましたが、そうした状況を踏まえてできた組織です。DMATもその中に移管される形になりました。
また、2022年のDMAT活動要領の変更に加えて、医療法と感染症法の改正(令和6年4月1日より施行)により新興感染症対応にDMATを派遣要請できることが示されています。そのため今後は、感染症が発生したら出動します。
――今現在のDMATの感染症対策における取り組みを教えて下さい。
阿南:研修会を開催してはいますが、先ほど申し上げたように感染症は医療従事者にとっては基本中の基本ですから、「自分たちの仕事の範疇」という意識を持たせることが重要と捉えています。感染症だからといって治療法を新たに習得するわけではないし、防護具の装着も日常診療レベルの技能を基本に、特殊な防護レベルではその際に改めて指導できる体制を構築してあればよいのです。どちらかというと、指揮系統についての共有を主に行っています。過去のコロナの事案を活かしながら、学ぶ機会を作っています。
怖がっていいけど、理解しようとすることが大事
――最後に、今回の映画を通して「こういったことが伝わってほしい」という想いがあれば、教えてください。
阿南:あの当時、一般の方々はとにかく不安で怖かっただろうと思います。いくら怖がってもいいし、逃げてもいい。ただ、人を攻撃していい権利はありません。ここだけは今も強く主張したいです。医療従事者でさえ口をついて出た言葉が仲間を傷つけてしまったわけですし(詳しくは前編参照)、批判や攻撃は安易に広がってしまうものだからこそ、踏みとどまらないといけないのではないでしょうか。
3.11の放射線風評被害やいまのSNSの問題にも通じますが、この映画には「見えないまま批判していませんか」というメッセージが込められています。怖がってもいいけれど、理解しようとするスタンスは必要。情報化社会だからこそ、ゆっくり考える大切さについて今一度見つめ直していただけたらと願っています。
『フロントライン』は6月13日(金)より全国公開
配給:ワーナー・ブラザース