6月4日、韓国は李在明(イ・ジェミョン)新大統領の誕生に沸いた。金大中(キム・デジュン)、廬武鉉(ノ・ムヒョン)、文在寅(ムン・ジェイン)の各氏に続く4人目の革新系(左派)大統領だ。
6日夜(韓国時間)には早速、同盟国アメリカのドナルド・トランプ大統領との電話会談を済ませた。李在明新大統領が今後、どのような外交を行うのかに、日本を含む世界が注視している。
そんな中、李在明新政権で、外交・安保の司令塔役である国家情報院長(韓国版のCIA長官に相当)に指名された李鍾奭(イ・ジョンソク)氏(67歳)に、韓国大統領選挙の10日前に独占インタビューした。以下は、「李在明外交」について、李鍾奭院長候補と本誌国際問題コラムニスト・近藤大介との2時間にわたる「対話」である。
(編集部注:このインタビューは大統領選挙直前の5月24日に韓国で行ったもので、あくまでも当時の李鍾奭氏の個人的見解を述べたものです)
<李鍾奭:1958年生まれ。成均館大学卒業後、修士号、博士号取得。専門は北朝鮮研究と南北関係。1994年に韓国を代表するシンクタンク「世宗研究所」に入り、翌年、統一院政策諮問委員になる。2000年の歴史的な南北首脳会談では、金大中大統領に同行し、平壌を訪問。2003年に廬武鉉政権が発足すると、国家安全保障会議(NSC)事務次長として、国家安保全体を取り仕切った。2006年には統一部長官(統一大臣)に就任。その後は世宗研究所に戻り、研究者生活を続けたが、今年6月4日の李在明政権発足に伴い、外交・安保の司令塔役である国家情報院長に指名された>
20年前に話題を呼んだ「均衡者論」
近藤:初めまして、日本から来ました。李鍾奭元統一部長官はもちろん、私のことは見ず知らずの日本人記者でしょうが、私にとって李元長官は、アジアで最もお会いしたかった重要人物の一人です。
というのも、廬武鉉政権下の2005年3月、いまからちょうど20年前ですが、青瓦台(チョンワデ=韓国大統領府)の国家安全保障会議事務次長として、21世紀の韓国の画期的な外交政策「均衡者論」(バランサー・ポリシー)を発表され、日本でも大いに話題を呼んだからです。
当時の小泉純一郎政権は、同じ東アジアにおけるアメリカの同盟国である韓国は、一体どこへ向かおうとしているのかと、驚きをもって「均衡者論」を捉えました。しかしその後、2007年の福田康夫政権の「アジア外交の共鳴」、2008年の麻生太郎政権の「日中韓サミット」、2009年の鳩山由紀夫政権の「東アジア共同体構想」などに、「均衡者論」は少なからぬ影響を与えました。
韓国を主体とした外交を目指した
当時、李元長官が実質的に仕切っていた国家安全保障会議は、「均衡者論」について、こう説明をしています。
<政府がこのたび打ち出した「北東アジア均衡者論」は、列強の覇権争奪戦の戦場と化した近代韓国史に対する痛切な反省と、北東アジアの平和と繁栄という未来のビジョンが融合して提議された国家戦略である。100年前は、自主的な国防能力を持たなかったために、列強に蹂躙(じゅうりん)され、あげく国権を失った(日本の植民地と化した)。このような歴史は、自主防衛の重要さを教えてくれる。過去から現在に至るまで、自主防衛のない韓国の説く平和は幻想にすぎない。
現在の北東アジアの秩序も、依然として不安定かつ不透明だ。この地域で長年続いてきた確執を和解に、対立を協力に転換するモメンタムが必要だ。そのため大韓民国は、域内国家間に調和をもたらす平和繁栄の主体としての役割を果たしていく。それこそがまさに、北東アジアの均衡者だ。
現在、韓国・中国・日本の3ヵ国は、北東アジアの共同繁栄のための宿命的な同伴者として、協力と統合の秩序を構築する責務がある。このような新たな秩序を切り拓くために、韓国・中国・日本の関係も、冷戦期のような対決の枠を脱却し、安保協力体制の転換が必要だ。
もちろん、韓国は均衡者の役割を果たすために、韓米同盟を土台にしている。「北東アジア均衡者論」は、既存の韓米同盟を土台にして、北東アジアの平和繁栄の時代を築こうという構想である>
20年経ったいま読み返しても、当時の血気盛んな韓国の意気込みが伝わってきます。
李:「均衡者論」は、私でなく廬武鉉大統領が考えたものですよ。私は大統領の考えに、肉付けをしたのです。
それまでの韓国外交は、韓米同盟や日本との関係において、周囲の列強がリードする秩序を採用するか、もしくは彼らが思い描く韓半島(朝鮮半島)の戦略に、消極的に対応するというものでした。 韓半島を中心とする北東アジアでは、われわれ韓国人が自発的に発展していくための独立した主導的な視点が、極めて乏しかったのです。
バランス(均衡)というのは、韓国の国益にとって最も重要な要素です。そのためには、韓米同盟、韓日協力、韓中協力など、どれも重要です。
それは「中間にあるもの」 という意味ではなく、正しいか間違っているか、合理的か不合理かと考えたときに必要とされるバランスです。韓国の国益を中心にして、 バランスのとれた外交を進めていくということです。
韓国人はバランス外交を求めている
近藤:しかし20年前を振り返ると、米ジョージ・W・ブッシュJr.政権は、だいぶ驚愕したようですね。
李:その通りです。ブッシュ政権は「均衡者論」が、同盟国であるアメリカとの対立を意味するのではないかと疑いました。それは、日本の小泉純一郎政権も同様でした。そのため、私は何度もアメリカや日本を訪れ、関係改善を図りました。
なぜアメリカと日本が疑心暗鬼になったかと言えば、当時の韓国で主流だった保守系メディアが、「均衡者論」に「反米・親中」というレッテルを貼ったからです。それでアメリカや日本に、誤解を与えてしまいました。
しかし、あれから20年を経て、最近の韓国の世論調査(5月23日付『韓国日報』)を見て下さい。「今後、どんな韓国外交を行うべきか?」という質問に対して、65%が「バランスのとれた外交」と回答しています。「韓米同盟を中心とした外交を重視すべきた」と答えた人は23%に過ぎず、「韓中関係重視」も2%に過ぎません。
近藤:「バランスのとれた外交」という意味では、日本も同様ですね。日本にとって、アメリカはもちろん最重要の同盟国ではあるけれども、日本の最大の貿易相手国は中国なのだから、中国もまた経済パートナーとして重要です。アメリカでさえ、中国に145%もの関税をかけたら、自国が大変なことになって撤回しました。
廬武鉉時代に対米関係は良好になった
李:「均衡者論」は、いまの言葉で言うなら「コリア・ファースト」で韓国外交を進めていくという宣言でした。現在はトランプ大統領も、「アメリカ・ファースト」と言っているではありませんか。
近藤:たしかにそうですね。日本も「ジャパン・ファースト」の外交を展開すべきと思います。
李:「均衡のとれた外交」は、決して「反米的な外交」を意味するものではないのです。盧泰愚(ノ・テウ)政権(1988年~1993年)はロシアと国交を結ぶ「北方外交」を実行し、金大中(キム・デジュン)政権(1998年~2003年)は歴史的な南北首脳会談で北朝鮮との和解を進めた。しかし両政権とも、アメリカとの良好な関係は維持したわけです。
私が統一部長官を務めた盧武鉉政権時代(2003年~2008年)も、イラクへの追加派兵や、韓米 FTA(自由貿易協定)に調印したことなどで、 アメリカとの関係は良好になりました。
近藤:なるほど。それでは日韓関係については、どうお考えでしょうか?
李:日本とは、特に経済面で、協力すべきことが多々あると考えています。例えば、同盟国の米トランプ政権から、韓国は25%、日本は24%の相互関税を言い渡されました。両国で協力し、足並みを揃えながら、トランプ政権と交渉することも可能ではないでしょうか?
もちろん、韓日両国間での経済協力も大事です。両国のFTAは、農産物など一部品目が壁になって、締結に至っていませんが、推進していくべきです。今後、重要になってくる経済安全保障分野についても、協力できる要素は多いと思います。
近藤:周知のように、日韓関係は、文在寅(ムン・ジェイン)政権時代(2017年~2022年)に悪化しました。日本では、李在明新政権の対日外交は、文在寅時代の「パート2」ではないかという懸念も、一部で出ています。
李:たしかに、(李在明大統領は)歴史問題については厳しいお考えをお持ちですが、経済や文化面では、実用的で柔軟な発想の持ち主です。そこは分けて考えていると思います。
それに、両国の国家間で過去に合意したことを破ることはないでしょう。李在明候補は、外交の一貫性、継続性を重視しており、それが外交の基本でもあります。
平沢基地建設に100億ドル費やした
近藤:そう聞いて、安心しました。次に、同盟国のアメリカとの関係について聞かせて下さい。
「トランプ関税」への対処については、ご専門でないと思いますが、もう一つの韓国とアメリカの懸案事項である在韓米軍問題は、東アジアの安全保障に関わる重要問題です。トランプ大統領は、在韓米軍の縮小に積極的と見受けられますが、これにどう対処していくつもりですか?
日本では、李在明政権下で在韓米軍が縮小され、自衛隊や在日米軍の負担が増すのではとの懸念が起こっています。
李:私個人としては、在韓米軍2万8500人の現状維持が望ましいと考えています。なぜなら、韓国の防衛はもとより、アメリカのインド太平洋の安全保障戦略にとっても、必要不可欠だからです。
在韓米軍の駐留経費負担については、今後トランプ政権と交渉していきます。韓国は、世界最大のアメリカ軍基地である平沢(ピョンテク)基地の建設に、100億ドル(約1兆5000億円)を費やしました。
近藤:それでは戦時作戦統制権、すなわち有事の際に56万韓国軍の指揮権を在韓米軍司令官(国連司令官)に預ける権利は、韓国に返還させますか?
李:自国の軍の戦時作戦統制権を他国に委任した国など、世界中で他になく、韓国が持つのは当然のことではないでしょうか。例えば、NATO(北大西洋条約機構)司令官が持つ指揮権は、加盟国がNATOに派遣した部隊の指揮権であって、加盟各国の軍隊の指揮権は、各国が持っています。
韓国の場合、韓国(朝鮮)戦争(1950年~1953年)の初期に李承晩(イ・スンマン)大統領がアメリカに委任した後、いまだにその状態が続いているのです。最初にこの返還交渉を始めたのは廬武鉉政権で、私も交渉に関わりました。
「台湾有事は韓国と無関係」発言
近藤:つまり、韓国に取り戻すということですね。そうなれば、画期的なことです。
続いて、もう一つの大国である中国との外交について教えて下さい。4人の大統領候補によるテレビ討論会などでは、李在明候補は対立候補から、「親中派」のレッテルを貼られていましたが。
李:前述のように、韓米関係は大変重要ですが、同時に韓中関係も発展させていくべきです。韓国にとって、中国は最大の貿易相手国で、全体の20・5%を占めています。国交を樹立した1992年から2024年までの32年間で、韓国の対中貿易黒字は6817億ドルで、これは同時期の貿易黒字全体の84%を占めます。
このように、韓国の経済成長にとって、中国の存在は欠かせなかったわけです。逆に、中国との関係を悪化させれば、韓国経済は深刻な打撃を受けるのです。
近藤:つまり、「実用外交として中国は必要」ということですね。前述のように日本も同様なので、そこは理解できます。
ただ李在明氏は大統領選挙期間中、「台湾有事は韓国と無関係」とも発言していますよね。日本では、2021年に故・安倍晋三元首相が述べた「台湾有事は日本有事」という考えが、多くの国民に浸透しています。
李:李候補が述べたのは、より正確に言えば、以下の通りです。わが国は中国とも台湾とも良好な関係を築いていきたい。双方に紛争がないのがベストだが、万が一、紛争が起こった場合、韓国は関与することが難しい。
なぜなら、韓国の能力は限定されているからです。加えて、韓国が介入することで、さらに新たな緊張を生むことにもなります。一部メディアは、李在明政権に「親中派」のレッテルを貼っていますが、実際には「現実的な外交を行う」ということでしょう。その意味では、ロシアとの関係もこれから改善していくものと思われます。
近藤:了解しました。それでは、最も頭の痛い北朝鮮に対しては、どう向き合っていきますか?
李:現在、周知のように南北関係は、あまりにも破壊されています。南北間の偶発的な軍事衝突を防ぐ仕組みさえない。
そのため、李在明新政権では、南北間の軍事的緊張を緩和し、軍事衝突を防ぐメカニズムを復活させることから始めるでしょう。その上で、南北対話を進めていきます。
南北関係のもう一つの変数は、米トランプ政権です。トランプ大統領は、金正恩(キム・ジョンウン)委員長とこれまで3回会談しましたが、再び会談する意欲を見せています。
李在明政権としては、北朝鮮に対するこうしたアメリカのコミットメントを歓迎するとともに、それをどのような形でサポートしていけるかを考えていくことでしょう。文在寅政権が始動した2017年の時とは、また違った形になるとは思いますが。
北朝鮮との緊張を緩和していく
近藤:これは、北朝鮮問題のプロ中のプロである李鍾奭元長官に、ぜひともお聞きしたいのですが、ズバリ、南北はいつ統一されるでしょうか?
李:う~ん、私が生きている間は、なかなか大変ではないでしょうか。もちろん、統一が私たちの目標ではありますが、どれくらいの時間がかかるかは分かりません。南北が休戦協定を結んでから、すでに72年が経つというのに、いまだ和平協定に変わっていないのですから。
近藤:でも、文在寅大統領は、統一する気でいましたよね。
李:たしかに文大統領は、そのような夢を持っていました。それに対し、李在明政権の外交は、「実事求是」(事実に基づいて真理を求める)です。
近藤:中国で「改革開放の総設計師」と言われた鄧小平(とう・しょうへい)中央軍事委員会主席が好んだ言葉ですね。
李:そうです。現実問題として、南北は敵対関係にあり、かつ北朝鮮の核問題もあります。そんな中で終戦宣言をしても、平和は訪れません。
すなわち、南北の敵対関係を解消し、北朝鮮の核問題を、どんな形にせよ解決しないといけないわけです。南北関係と同時に、北朝鮮とアメリカの敵対関係も終わらせないといけない。そして、互いが戦争しないという意思を文書で作成し、互いの軍隊を休戦ラインから後退させる。こうした手続きを終えた上で、終戦宣言となるわけです。
さらに、「終戦宣言=平和協定」でもありません。韓国と北朝鮮、それにアメリカが、戦争状態を終息させ、平和を構築するのだという意思の裏付けがある法的措置を取らねばなりません。
近藤:李在明新政権にとっては、最大の難題ですね。
李:その通りです。李在明政権では、平和を伴わない終戦宣言を追求することはないと思われます。終戦宣言に見合う南北関係が必要です。それには、終戦宣言というイベントよりも、南北間の敵対関係を解消するという実質的な努力が必要と思われます。
李在明は「進化していく政治家」
近藤:おしまいに、李在明氏と長年、近くで接してきて、どんな政治家かを教えていただけませんでしょうか。
李:一言で言うと、まとめるのがうまい政治家です。「共に民主党」(旧民主党を含む)は、金大中大統領のようなカリスマがいた時でさえ、内部でゴタゴタがありました。その後も、様々な離合集散を繰り返してきた。
しかし、2022年8月に李在明氏が代表に就任してからは、公然と団結していきました。柔軟でしなやかな政党に生まれ変わったことで、昨年4月の総選挙では(全300議席中)175議席も獲得し、史上最大の政党になりました。
近藤:個人的には、どんな性格の方ですか?
李:そうですね、シャイな性格ですね。
近藤:えっ、李在明氏というと、とても気性の激しい方というイメージがあるのですが。日本では、「反日」の激しい演説をする映像が、繰り返し流されています。
李:それは、メディアが伝える歪んだイメージですよ(笑)
われわれが最初に会ったのは、2009年の廬武鉉大統領の城南地域の葬儀の席だったと記憶しています。当時の李候補は、葬儀の統括役をしていました。私は元統一部長官で、李在明氏はまだ城南市長になっておらず、一介の弁護士でした。
李氏が南北関係に関心が強かったこともあり、それからたびたび会うようになりました。李氏が2010年に城南市長になって、南北経済交流協力推進委員会を立ち上げると、李市長が委員長で私が副委員長。2018年に京畿道知事になって、京畿平和政策諮問委員会を立ち上げると、私が委員長を務めました。
そのように、李在明大統領とは長年の縁があるのですが、多くは私が外交・安保の専門家として助言し、李在明氏が聞き訳です。その意味では、とても「聞く力」のある政治家です。
近藤:他の側近の方に聞くと、頭の回転が速い政治家と評していました。
李:それはそう思います。例えば、部下の官僚たちから何かの報告を受ける際にも、必ず事前に報告書を送らせる。そして対面する時には、すでに要点を頭に入れていて、適切な指示を出していきます。
近藤:なるほど。他に、「政治家・李在明」について感じることはありますか?
李:「進化していく政治家」という印象を持っています。弁護士時代、城南市長時代、京畿道知事時代、そして「共に民主党」代表時代と、権力の階段を駆け上がるにつれ、政治家としての進化を感じます。それは、性格、リーダーシップ、世界観などを含めてです。
近藤:まさに「地位は人を作る」というわけですね。今月22日は、日韓国交正常化60周年でもありますし、李在明新時代の外交に期待したいと思います。本日は長い時間、ありがとうございました。