「土日休みで残業なし。年収1000万円」――これだけ聞くと夢のような仕事に思えるが、そんな職場が、あなたのすぐそばにある。
年収1000万円も狙える建築業界
「建築業界は、以前と比べてかなり稼げるようになっています。さらに現場は、土日祝日休みが当たり前になりつつありますし、残業もない。若い人が建築業界を選ばないのは、はっきり言って、もったいないです」
そう語るのは養生クリーニング事業を手掛ける井上技研の代表取締役社長で、YouTubeで「建設チャンネル」を運営する井上伸吾氏だ。これまでは、「きつい・汚い・危険」の3Kの代表的な仕事とされてきたが、現在は労働環境が大幅に改善され、手当も充実していると言う。
井上氏は大学卒業後にセブン―イレブン・ジャパンでサラリーマンとして働いていたが、仕事が合わず、紆余曲折を経て建築業界に身を転じた。
大学に行かず建築業界に来れば良かった
「大学生の頃に建設現場でアルバイトをしていた関係で、現場での仕事に挑戦してみたのです。アルバイトの頃も含めると、職人歴は5年程度。その後、独立して7年が経ちます。いまは工事現場の最終仕上げとなる『養生クリーニング』と呼ばれるジャンルをメインにしています。地味な仕事ですが、年々手取りも増えていっている。建築業界に来て、本当に良かったと思っています」
建築業界が稼げるという事実は、実はそこまで周知されておらず「穴場」となっている。たしかに最初の数年は修業が必要だが、「3~5年頑張れば年収1000万円も見えてくる」と井上氏は語る。
「就職してすぐは年収が400万~500万円程度。これはホワイトカラーでも同じでしょう。ホワイトカラーの場合は、そこから年収を上げるのは難しい。しかし、建築業界では、技術さえ身につけられれば一気に年収が上がっていきます。私は中途半端な大学を卒業して、労働時間の長いホワイトカラーの仕事に就きましたが、大学に行かず早く建築業界に来れば良かったと、いまでは後悔しています」
「一人親方」になって一気に稼ぐ
そうは言っても建築現場。肉体的にきつい仕事があるのも事実だ。しかし、「そこは労務管理が徹底されている」と井上氏は言う。
「建築現場が、まったくきつくないと言うと噓になります。業種によっては重たい建材を運ぶこともありますし、工具も重量のあるものが多い。
とは言え、労働環境はかなりホワイト化しています。すべての工程がITによって合理的に管理されていて、労働時間は8時~17時が基本。休憩時間も厳格化されています。また、ケガをしたら絶対に報告しなければならず、きちんと労災が下りる。
昔は工期がタイトで、徹夜して作業を完了させることもあったのが、いまはかなり余裕を持った予算と工期になっている」
年収1000万円越えへの2つのルート
具体的にいくらくらい稼げるのか。一つの目安となるのが「年収1000万円オーバー」だが、井上氏はこのラインを超えるのには2つのルートがあると言う。
1つ目のルートは技術一本で独立し、「一人親方」として稼ぐ方法。これは個人事業主のことを指す。もう1つは仲間を集め法人化し「親方」となる方法だ。こちらは会社経営者の側面が強い。
まずは、技術一本で1000万円以上を稼ぐ「一人親方」の例を見ていこう。
ポイントは下積み時代に技術を身につけ、早く独立することだ。雇われの状態から脱することで、雇い主に中抜きされることなく、本来の発注金額を受け取れる。井上氏が続ける。
「なかでも稼げるのはとび職です。軀体系と呼ばれる、鉄骨、鉄筋関係などの基礎工事関係は稼ぎやすいですね。あくまでも目安ですが、独立すれば日当で3万円を超えてくる。月に70万~80万円は軽く稼げますので、年収1000万円も見えてきます」
ほかのケースも見てみよう。クレーンの操作を専門にしている職人のケース。50代の彼は年収で800万~1000万円以上と言う。
「若い頃からクレーン一本で仕事をしています。クレーンを使うような大型の工事があれば、全国から呼ばれます。たとえば、高層ビルやダム、橋梁工事などが多いですね。クレーンを動かす際のちょっとしたコツや勘所を摑むのが難しい。メーカーごとに操作方法が異なり、それぞれクセも違います。若い頃から腕を磨いて、ゼネコンから指名をもらえるようになったことで収入も増えました」
内装工事で年商5000万円
都内で内装工事を担う40代の職人は独立してから年商で5000万円以上、年収にして2500万円近く稼いでいると語る。
「祖父が大工をやっていた関係で、若い頃から現場の仕事を手伝っていました。30歳で独立して、内装工事をメインに仕事をしています。内装工事は言ってしまえば大きなプラモデルみたいなもの。設計事務所から送られてきた完成図を見ながら、届いたパーツを組み立てていく。当然説明書はないので、経験を活かしながら臨機応変に対応していきます。主に店舗内装の仕事が多く、居酒屋やオフィス、ホテルなどの什器などを手掛けています」
エアコンの取り付けやメンテナンスを主な仕事にしている設備工事の職人にも話を聞いた。都内で働く40代の彼も「年収は1000万円を超えている」と言う。
「エアコンのほかには換気扇や給気ダクトを設置したりする仕事も担っています。お客さんのほとんどが飲食店ですね。お店から『エアコンが止まったので見てほしい』という連絡があれば、土日でも現場に出ることもあります」
「親方」がさらに稼ぎを増やせるワケ
腕一本で職人として独立すれば年収1000万円が見えてくる。そこからさらに法人化し、他人を使う「親方」となれば、大きく稼ぎを増やすことができる。
全国の現場で、土木の親方として活動する50代の職人に話を聞くと「年収2000万円は堅い」と明かした。
「一番の稼ぎ時は大人数を必要とする超高層ビルや大型複合施設などの大規模工事です。たとえば現場に12人集めたとしましょう。一人当たりの本来の日当が2万円として、そこから一人あたり5000円を抜く。自分も現場に入って、仮に月20日働いたとすると、それだけで年収2000万円ほどになります」
この土木の親方は「人数を集められれば集められるほど稼げる」と語っていたが、それぞれが担う仕事は比較的単純作業で、専門性をそこまで求められない。いっぽうで、「職人を複数名集められるとさらに稼げるようになる」と前出の井上氏は語る。
「もし仮に職人を10人集められるだけの人脈があれば、同様の手法で年商1~2億円は軽く到達できます。さらにもし20人の職人を集められれば3~4億円になります」
自身がリーダーシップを持って親方となり、人を集めて仕事を受注する―こうしたレベルに到達するには、3つの要素、「技術」「人脈」「実績」が必要だと言う。
ゼネコンから仕事をもらうワザ
最初に手に入れるべきは技術になる。下積み時代にできるだけ多く学び、高いレベルの技術を身につけ、早く独立する。現場ごとに出会う職人とも人脈を広げておく。では、実績はどう手に入れればいいのか。井上氏が続ける。
「大手のゼネコンの所長や監督と知り合いになって、自分の技術を認めてもらう。そうすると協力会に参加できます」
協力会というのは、各ゼネコンが持つ組織のこと。この協力会に参加していると、ゼネコンの仕事を優先的にまわしてもらえる。
「協力会に入ることができれば、安定して仕事を受けられ、稼ぎが安定します。なかには数十年にわたってゼネコンから手堅く仕事を受けている親方もいますね。地方で羽振りのいい人って、こういった建築系の人だったりします」
ブルーカラー、なかでも建築業界の稼ぎが突出して高くなっているが、経営戦略コンサルタントの鈴木貴博氏は「そもそも、過去15年ほど建築業界の給料は安定的に上がり続けている」と語る。
「元請けと下請けの関係性を見ると、たとえば自動車業界では、下請けの力が弱く、元請けに『できない』と言うと仕事を失うリスクがあるわけです。一方で、建築業界では元請けと下請けの関係性は自動車業界ほど強くはありません。人手不足などの要因もあって、下請けが元請けに対して『NO』と言えるようになっている。そうなると、自然と値上げができるような力学が働くわけです」(鈴木氏)
3Kと言われたのは遥か昔の話。ブルーカラーの現場では、努力が報われる世界が広がっているのだ。
「週刊現代」2025年5月12日号より