「これから僕が話すことは、みなさんが期待して、望んでいる内容ではないかもしれません――」
2023年7月26日水曜日、渋谷のステージに集まった約2000人のファンの前で、こう語り始めた與真司郎さん。
男女5人組ユニット『AAA(トリプル・エー)』のメンバーで、ソロアーティストとしても活躍中の與さんのキャリアは、14歳のときに『エイベックス男募集!オーディション』に約2万人の応募者の中から合格したことから始まる。2005年のデビュー後から快進撃を続け、6大ドームツアーを達成。ブランドプロデューサーなどと活躍の幅を広げてきた。
2023年7月26日、ここで與さんは「さまざまな葛藤を乗り越え、今やっと、みなさんにこのことを打ち明ける決意ができました。それは僕がゲイであるということです」と公表したのだ。
このことは、米紙『NYタイムズ』でも報道され、現在ハリウッドでドキュメンタリーが制作されている。人気絶頂の中、アーティストが大勢のファンの前でカミングアウトするというこれまでにない公表をしたのはなぜなのか。そしてそれまでどんな思いだったのか。最新フォトエッセイ『 人生そんなもん 』を上梓した與さんに、今の率直な気持ちを聞いた。インタビュー第1回では、苦しい思いをしていた與さんが公表を決意し、自分らしく生きるきっかけのひとつとなった「英語」の話を聞いていく。
14歳で芸能界入り。他人と比べ続けてた
與真司郎さんが所属する、『AAA』は国内外から高く評価されているパフォーマンスグループだ。メンバーの一人ひとりにダンスや歌、トークのテクニックがあり、その上で強烈な個性が若者を中心に支持される。人気、実力ともに高く、『NHK紅白歌合戦』に連続7年間出場するなどの記録も打ち立てた。
與さんは「14歳で芸能界に入ってから、とにかく、毎日必死でした」と当時を振り返る。
「小学校5年生のときにダンスを始め、好きで楽しくて続けていました。オーディションに合格し、地元の高校の入学を辞退して、芸能界に入ったのは、中学生のとき。そこで知ったのは“現実”です。
周りの歌の上手さに圧倒され、常にコンプレックスを抱えていました。他のメンバーに引き離されたくないという焦燥感から、練習を続けましたが技術的に追いつかない。メインボーカルは任せてもらえない日々が続きました。他人と比べられ続けて疲弊し、卑屈になっていた時期もあるんです」(與さん。以下「」は同)
精神的に疲れていったのは、元来の完璧主義と、「やる!」と決めたことはやり遂げるという與さんの性格だった。苦しい時代についても、率直な言葉が本著につづられている。
「歌詞を間違えてはいけない、失敗してはダメだというプレッシャーから、緊張して今度は音程がとれなくなってしまう。結局、何度もテイクを重ねることになり、どんどん現場の空気も重くなり、その失敗が僕の中でトラウマになってしまった。
失敗するのが怖くて、歌番組の本番前日は緊張で眠れないほどでした。睡眠不足だとパフォーマンスの質も下がるし、疲れた顔でテレビに出ることになってしまう。そのときは完全に悪循環に陥っていました」
嘘がつけない性格なのに伝えられない苦しみ
そのスランプを引き起こした原因のひとつに、同性愛者だとひた隠しにしていたことがあった。そもそも自身がそうであることを自覚したときも、日本ではセクシャルマイノリティを公言する著名人、芸能人は少なく、「知られてはいけないことなんだ」という思いが頭を占めていた。
「多忙すぎて恋愛する時間もありませんでしたが、恋愛にまつわる質問はされます。インタビューで“好きな女性のタイプは?”と聞かれて、相手が求める“正解”を言わなければならない。『忙しいから恋愛のことを考えている余裕はないです』という決まり文句を言っていたけれど、どうしても聞かれると『笑顔が素敵な女性に惹かれます』なんて当たり障りのない回答をしていました……。実際、そのような女性は人間として凄く素敵だと思っているので、嘘ではありません。
僕は嘘がつけない性格なんです。包み隠さず話してしまう性格なのに、アイデンティティに関わることを、誰にも言えなかったんです。ファンの皆さん、メンバー、スタッフ、友人、家族など、僕のことを応援し、大切に思っている人に伝えられない苦しみがありました」
「ほかの人と何か違う」
與さんが「人と何かが違う」と思ったのは、小学校高学年あたり。思春期の入り口に入り、多くの人が初恋を経験する時期だ。
「女の子の友達はたくさんいましたが、恋愛対象ではない。では男友達が恋愛の対象かというと、それも違う。僕は当時、野球をやっており、コーチの一人に親しみのような感情を持ったことがあり、あれが初恋だったのかもしれません。
中学生になり、自分が同性愛者だと気づくのですが、1990年代の日本でゲイは“気持ちが悪いもの”として表現され、扱われていました。そんな社会の風潮や環境もあり、同性愛者であることを絶対に秘密にするという選択肢しか選べませんでした」
芸能界に入り、注目されるようになってから、さらに徹底的に隠すように。「バレたらこの世界にいられない」と自分を追い詰めていきます。
「幸い、仕事が猛烈に忙しかったので、レッスン、ライブ、ドラマや映画の撮影、メディア出演など時間に追われていました。そのときはいいのですが、辛いのはオフのとき。
僕にとって同性愛者であることを徹底的に隠すとは、誰とも恋愛しないことと同義です。“恋愛を経験しないまま死ぬんだ”という想像、誰かを愛し愛されたいという思いがせめぎ合っており、そのジレンマの先に行き着くのは、バレたらこの世界にいられないという恐怖です。プライベートの僕は揺れ動く思いを常に抱えて生きていました」
LAで知った“恥じなくていい”実感。「中1の英文法から猛勉強」
そんな思いが飽和状態になったのは、2010年のこと。22歳の與さんが短期の休みを取り、ロサンゼルス(LA)に一人旅に出かけた。
「衝撃的でしたよ。そこはゲイタウンでもないのに、街を歩いていると、男性同士のカップルがおり、キスをしている風景を見かけたのです。“なんだここは!”と。ここでは“同性愛は恥じることではないんだ”と強い衝撃を受けたのです。
そのときに、ここが自分の居場所だと思い、ここに将来絶対に住みたいという気持ちが生まれました」
この旅行は、與さんにとっての大きな転機となった。それはパフォーマンスにもいい影響を与えたのだろう。AAAは紅白歌合戦7年連続出場、日本レコード大賞優秀作品賞8年連続受賞など、多くの記録を打ち立てる。
「帰国し、表に出る仕事を重ねるほど、日本は同性愛者への偏見があることを肌で感じます。そこで、LAに基盤を作ることを決意し、英語の勉強もさらに熱が入りました。
旅行英会話集の丸暗記から始めましたが、この会話では生活が難しいことを察し、中学生向けの単語帳を購入し、ひたすら暗記。それと並行して、中学校1年から高校3年生までの教科書文法を体に叩き込みました」
完璧主義で、努力家の與さんは、時間をかけて確実に英語を身につけていく。
「習いに行く時間がないので、移動の飛行機や新幹線の中では、いつも英語の勉強をしていました。すると、少しずつできるようになるんです。これも自信につながりました。
それと同時に、日本語と英語という2つの表現世界を自分の中に築いているという実感も。言語的に“もう1つの居場所”ができることは、心の安定にもつながるのではないかと思っていました」
芸能の生活ができなくなることも考えて資産運用を
それと同時に、日本で同性愛者だとバレたら、表に出る仕事ができなくなるという気持ちも強くなり、芸能の仕事をしなくても生きていけるように若いうちから資産運用も始めた。
「その背景にあったのは、“同性愛者だとバレる恐怖”です。世の中はダイバーシティだと言われ始めていましたが、それはあくまで他人事。応援していたアーティストが同性愛者だと告白したらどう受け止めるのか、相手の気持ちを想像することが怖くてできませんでした」
そんな思いが加速した2016年、與さんは一念発起してLAに渡米する。
「LAの生活で気づいたことは、日本よりも同性のカップルが受け入れられやすい環境があっても、まだまだ公言できない人がいること。やはり、どこにも葛藤はある。そういう世界を変えたいという思いが、僕の中で生まれました」
與さんも、すぐにオープンに生きられるかといったら、そうではなく、渡米当初は同性愛者であることはひた隠しにしていた。アウティングのリスクには常に晒されており、恋愛をしたとしても自分の職業は隠していた。
「スマホもSNSもあり、どこに人の目があるかわからない。悪いことをしているわけでもないのに、何で隠さないといけないのかという自問自答は常にしていました。
ただ、日本での公表はリスクがある。でも、僕が公表しなければ、世の中は変わっていかない。LA生活が長くなるにつれて、周囲の人のサポートもありながら、自分に自信がついていき、カミングアウトへの思いが強くなっていきました」
『人生そんなもん』には公表を決意し、真っ先に信頼するスタッフ3人に話をしたエピソードが書かれている。そのうちの2名が今回のFRaUwebのインタビューにも同席をしていた。当時のことを聞くと、「真司郎が同性愛者だとは全く知らなかったので驚きました」と振り返りながら、教えてくれた
「20201年ですね。LAの自宅に行ったとき、ぼくらに真司郎は“俺、夢あんねん。世界変えたいねん”って言うんですよ。“は?”と思っていたら、同性愛者だと告白され、“え〜!!”となりました」
同性愛は選んでなるものではない。女性を好きになれたらと思ってもなれない。そういう人たちが、本当の自分を隠さなければならないような世界を変えたいねん――そういう意味だろう。與さんはその言葉を聞いて笑った。
「そんなこと、僕言ったんですね(笑)。LAに住み始めてから数年かかって、信頼する人たちに伝えられ、そこから徐々に広げていった。公表に至るまで、僕の心や思いの輪郭のようなものを手探りで固めていった」
それから3年後の2023年7月。ファンミーティングで告白することになる。そこに至ったのは、芸能界という環境でカミングアウトした上で活動する決意ができただけではなく、最悪それが世に全く受け入れられなかった場合、アメリカに完全に生活の基盤を移す準備が整ったからだ。隠し事をしなければならないという苦しみから逃れるために自身の頭で考え、行動を積み重ねた。そして自分のありのままを伝えたことで、與さんは今、多くの人たちに勇気を与えている。
◇「 【全文公開】「翌日の飛行機チケットを取っていた」與真司郎がゲイだとカミングアウトした「手紙」 」では、『人生そんなもん』より、與さんが何ヵ月もかけて綴り、ファンにカミングアウトした際に読み上げた「手紙」を全文掲載している。
また、4月23日公開予定のインタビュー第2回では、「3年かかった理由」にもつながる、家族へのカミングアウトのときのエピソードをお伝えする。
與真司郎(あたえしんじろう) 1988年生まれ。京都府出身。現在は日本と海外を拠点に活動中。男女混合のパフォーマンスグループ、AAA(トリプル・エー)のメンバーとして、 2005年にデビュー。グループは2021年、AAA初となる6大ドームツアーを終えたタイミングで本格的な活動休止に入る。2023年7月、「與真司郎 announcement」にて、自身が同性愛者であることを無料招待した約2000人のファンの前で公表。現在は自身の人生を題材にしたドキュメンタリーをハリウッドにて制作中。著書に『すべての生き方は正解で不正解』『人生そんなもん』(ともに講談社)などがある。ソロアーティストとして、最新シングル「Kizuketa」を2024年10月30日に配信リリースし、11月には5都市9公演を回る「SHINJIRO ATAE LIVE BAND TOUR & BIRTHDAY TALK SHOW 2024」を完走。
撮影/川島悠輝 スタイリスト/SUGI (FINEST) ヘアメイク/佐藤真希