AIの急成長に伴う深刻な雇用喪失と社会的混乱を見越し、アメリカで急速に関心を集めている「UBC(ユニバーサル・ベーシック・キャピタル)」。税金から収入を給付するUBI(ユニバーサル・ベーシック・インカム)とは異なり、UBCは全市民に投資口座を提供して企業の株式を与え、AI企業の巨大な富を還元する「事前分配」の仕組みだ。
「すべての市民を株主にする」という発想はアメリカ人の根強い共通感覚に合致しており、急進左派のサンダースから右派のトランプ、AI企業トップのアルトマンまで、党派や立場を超えた支持が広がっている。
【前編】→「すべてのアメリカ人を株主に」…AI失業時代にトランプ政権が仕掛ける富の再分配「ユニバーサル・ベーシック・キャピタル」とは一体なにか
シリコンバレーが促す「ナラティブ」とは
トランプは、11月の中間選挙に向けたメッセージとして、ニューヨーク州やコロラド州の民主党予備選でDSA(アメリカ民主社会主義者)候補が勝利した結果を受けて、「コミュニズムがアメリカを襲おうとしている」と強調し、MAGA共和党への投票を呼びかけている。だが、UBCの導入をみると、資本市場を通じた所有ではあれど、トランプ2.0の行っていることのほうがよほど「コミュニズム」的に見えてくる。株式市場へのアクセスを国民に広めることで、国民がアメリカ経済を共有しているような幻想を広めるのだから。
一方で、AI企業がUBCに関心を示したのは、彼らの投資活動を円滑に進めるために、未来の漠然とした不安を払拭しておくことが必要と感じたからなのだろう。AIによる社会へのネガティブな影響を一企業が被るのではなく、予め政府を巻き込むことでリスクをヘッジする。特に上場を控えたOpenAIとAnthropicは真剣だ。6月に先んじて上場したSpaceXが厄介な結果を残したためだ。
SpaceXの株価は、IPO直後こそ225ドルまで急騰したが、それ以後は下降基調にあり、7月中旬には公開価格である135ドルも割り込んでしまった。SpaceXの株価低落については、予定されていた大型ロケット・スターシップの打ち上げ中止が大きく、それも含めてIPO直後のご祝儀相場の喧騒も、利益確定売りによって沈静化の方向に向かった、というのが一般的分析だ。
この状況を受けて、OpenAIは年内に予定していたIPOを来年2017年に延期することを検討している。なお、Anthropicについては、今のところ、年内の上場計画に変更はないという。
このような刻々と変わる資本市場の様子もUBCの検討を促している。
たとえば、シリコンバレーのAIスタートアップからすれば、将来の収益性のためにも、中国産の低廉なオープンモデルのAIがアメリカで採用されるのを抑え込むためにアメリカ政府による規制の力に頼るほかない。今や習近平主席自ら中国製AIのオープンネスを公式に強調するくらいなのだから。
1990年代のドットコム・バブルと何かと比較されるAIブームだが、当時と明確に異なるのは、90年代にはドットコムの牽引者はシリコンバレーにしか存在しなかったことだ。対して今回のAIブームでは、当初こそシリコンバレーの一人勝ちに見えたが、その後はあっという間に中国製のAIが追い上げてきた。
となると、2010年代半ば以降、具体的にはトランプ1.0以降、シリコンバレーがワシントンDCへの接近を深めてきたのは、明確に「対中国の防衛線を連邦政府に築いてもらう」ことにあったと考えるべきなのだろう。
足下の「防衛テック」ブームにしても、シリコンバレーがワシントンDCから正当な助力を得るために用意した「自己防衛のためのナラティブ」のひとつである、という側面も無視してはいけないことになる。
テック企業の投資価値を高めた「概念的なもの」
ふり返れば、アメリカの経済史では、鉄道や電話などのインフラ事業の多くは民間ビジネスとして始まり、急成長を遂げた後も、連邦や州の政府の監督の下、民間企業のまま「公益」事業を継続してきた。
その点で、企業側も政府側も、産業育成や産業防衛のための規制の導入の仕方が不得手なところがある。産業政策が苦手なのだ。
少なくともレーガン以降のアメリカでは、それ以前にあった規制の解除(deregulation)が当たり前だった。解除対象の多くはフランクリン・D・ルーズベルト大統領の時代に導入されたニューディール関連のものだが、その当時は、世界恐慌から第2次世界大戦に至る「国家存亡の危機」の時代であり、連邦政府が前面に出るのが自然だった。
1950年代後半から1960年代にかけての進歩的な社会運動、いわゆる公民権運動にしても、戦中・戦後の解放・平等という時代の空気が影響したことは否定できない。公民権運動の主体であった黒人活動家の間では、同時代にアフリカで起こっていた民族自決による独立運動の機運への関心が高かったことを忘れてはいけないだろう。戦禍によって凋落したヨーロッパに替わって自由主義を先導する役割を担ったアメリカで、その建前をアメリカ国内でも実践しないのはおかしい、というロジックである。
その意味では、米中間の経済競争が高じて、そこから防衛策を練ろうとしたシリコンバレーの一派が、積極的にDCとの連携を取ろうとした結果が、今時のAIブームということになる。
これまでシリコンバレーのテック企業は「未来言説」を売って価値を高め投資を継続させてきた。それは起業を支えるエコシステムの維持に関わるベンチャーキャピタル(VC)の発言にはっきりと現れる。マーク・アンドリーセンやピーター・ティールが、効果的加速主義や終末論を活用して、未来のイメージを売り込んでいることは今更指摘するまでもないだろう。
シリコンバレーのビジネスモデルの根幹が、未来言説を売り、それを資本市場を通じてマネタイズすることにあるからだ。そうして世界中の資産家、機関投資家、金融機関からカネを集めて成長を実現させる。
そこでナラティブとして売られる未来は、従来からある「明るい未来」を促すものか、あるいは、近年盛んになってきた防衛テックのような「暗い未来」を覆すものか、のどちらかに限られる。いずれも、「近未来において価値が実現され、利益として回収される」という言い方をする。
実のところ、このシリコンバレーの過剰に未来言説に依拠した投資戦略は、その投資の性格をも規定している。終末論が流行るのは、能天気にユートピアを語ることが困難なくらい時勢が荒れてきているからだが、一定の範囲で誰もが「信じられる」未来像を掲げて、投資資金を市場から、すなわち民間から募る構図そのものは変わらない。
中国が国家主導で進める「AI+」
これに対して、AI開発のもう一つの雄である中国は、そんな行方のわからない未来に依拠するのではなく、もっと実直に、社会建設の上で必要なインフラ分野におけるAIの導入を重視する。「AI+戦略」と言われる国家戦略のもとで、交通、エネルギー、都市経営、農村発展、などの公的サービスの領域でAIの活用を試みている。どこまでも現実的で、こういってよければ、シリコンバレーの「カルト化」「超越化」に比べてはるかに「世俗的」で「現世的」だ。
中国の「AI+戦略」は、社会のインフラをAI駆動型に切り替えていくことに熱心だ。直接投資の形で、AI強化された社会インフラを一式、途上国に提供していくことでウィンウィンの関係を築こうとしている。「一帯一路」政策の実践だ。
言い換えれば、政府機能の情報化、AI化を政府主導で進めている中国の方が、各国に売り込む外交力、交渉力に長けている。情報化以後の社会インフラを一式、「完パケ」で提供できる能力の点で、中国政府のほうがアメリカ政府の上を行っていた、と理解すべきなのかもしれない。これは、アメリカが政府主導というよりも市場主導の自由主義型の政治・経済システムを運営してきたことの結果でもある。米中両国の社会体制の違いから生じた差異だ。
たとえば、「未来は理想郷か、はたまた破滅か」といった言説の根底にある「AGI誕生神話」にも左右されないため、中国は政府の管理=規制のもとで着々とAIの利用を進める。そのAIも、オープンソース型の――正確にはオープンウェイト型の――ものを採用することで、あたかも初期のオープン志向のインターネットのように、多くの利用者がそれぞれの分野で必要に応じてAIを開発していくのを促す。大事なのは中国製品を流通させることで、それによって日常生活の現実を支えるインフラの更新サイクルに組み込まれていく。
まさに米中の資本主義の違い、「資本主義vs資本主義」の構図で、それも、90年代に議論された「アングロサクソン資本主義vsライン資本主義」の再演に近い。英米型とドイツ型の資本主義の違いとしてあったのは、株式売買による合併・合理化を進める流動性の高い資本制か、それとも、雇用者・被雇用者を含めた組織=企業の盤石さとそれ支える融資主体の資本制か、といったものだった。
この対比で言えば、中国のAI+戦略が進めているのは組織重視のドイツ型になるのだが、しかし、今の中国の市場解放政策を始めた鄧小平が参考にしたのが、同じ中国系のリー・クワンユーによるシンガポールの急成長で、そのリー・クワンユーが触発されたのが、戦後日本の通産省による産業政策だった、というのを知ると、なかなかに考えさせられる。国民生活を国富増加の投資に巻き込むという点で、UBCが、昭和日本の郵貯や簡保を原資にした財政投融資のようにも見えてくる。
ともあれ、アメリカは、「市場を通じた投資」という形で、国家と企業を繋ぎ止めることで両者が協調して行動する――少なくともそうしようとするインセンティブが配置された――未来を望んでいるようだ。国民も、政府が用意した投資口座をもつ以上、そんな「投資社会」を受け入れる。それがイノベーション資本主義という、シリコンバレーとウォール街の結託を保証する仕掛けだとしてもだ。かくしてAIとホワイトハウスのタッグは互いに互いの都合によってアメリカ社会を根底から書換えようとする。そうしてトランピズムの第2段階が始まる。
防衛と解雇の「二重のジレンマ」
それにしても、ホワイトハウスはなぜここまでAIに執着するのか? 直近のジレンマとしては、防衛か、雇用か、どちらを優先するのか? という問いがある。
AIは軍事兵器の一環、サイバー兵器、防衛テックである。だから、他の誰よりも早く開発を行い、築いた優位性を維持しなくてはならない。止まっている余裕などない。
なぜなら、サイバー攻撃の世界では、相手が開発中の「革新的技術」が実行可能になる前に、その有用性を越える技術開発が達成される可能性を示し、実際にその開発に着手し、相手が優位になる可能性を「潰す」ことで、なんとか相手の考える「究極兵器」の実行を阻止できるからだ。
つまり、「いつまでも終わらない継続された新AI開発の実施過程そのもの」が次代の新たな「抑止力」となる。
任意の社会システムが、IT、さらにはその超上位互換であるAIの傘下に収まることで、一進一退を繰り返すサイバー戦の流儀が、物理世界の防衛の世界にもにじりでてきてしまった。だから、やめられない。
やめることは、相手の思惑の遅延化手段、あるいは、相手が遅延化対策を打ってくるだろうという期待を抱かせることに失敗し、堂々と攻撃を仕掛けてくるようになるから。相手国国家の統治システム全般に対する制御権を確保することが、兵器による破壊行為の多くを代替すると想定されるからである。
だから、アクセルを踏み続けるしかない。脱落した時点でアウトだ。
その一方で、AIは労働環境を一変させる業務効率化ツールである。究極の経営合理化マシン、それは資本主義社会の権化であるアメリカには間違いなく福音だ。雇用が増加しないまま一方的に生産性が向上する、という経営者や資本家にとって夢のような世界が実現される。
しかも、その雇用喪失、つまりは解雇のスピードは想定を超える速さであり、その失業者たちが事態を飲み込み、訴訟などの形で反乱の狼煙を上げる猶予を与えない。事実として、雇用の喪失が継続されるだけである。
当然、「雇用」や「失業」に対して敏感な、社会主義的な政治家、アメリカでは「進歩主義的(プログレッシブ)」な政治家から、AI開発にブレーキを掛ける動きが出てくる。たとえば、バーニー・サンダースから、AI開発の拠点であるデータセンター建設に制約をつける「AIデータセンターモラトリアム法」が提出された。
国家防衛のためにAI開発のアクセルを踏みっぱなしにする動きと、急速な雇用喪失による社会の消失を阻むためにAI開発にブレーキをかけようとする動き、その二つの相反する動きがアメリカに襲いかかる。
このジレンマを乗り越えるためにホワイトハウスも食指を伸ばしたのがUBC構想だった。AI開発の未来に投資しながら、そのリターンを国民に還元する道を開き、その上トランプ2.0が望む投資社会アメリカまで実現する。とにかく株式市場にカネを回したいトランプ2.0にとって格好のソリューションだ。
AI支配権をめぐる駆け引きは続く
それにもうひとつ、トランプ2.0にとってAIには都合のよい側面がある。それは、「ユニタリー・エグゼクティブ・セオリー(単一執政府理論)」が描く、大統領による政府の一元管理の実現に大いに資する点だ。つまり、「行政権の拡大への対応」と「AI政府への備え」の二つをまとめて行う。AIを利用して、連邦議会が保持していた行政権力を完全に引き剥がす。今はちょうど、今後の統治システムの制御権を巡って民間のAI企業との鍔迫り合いに突入したところだ。
このようにAIによる政府の代替が起こる未来を考えると、ホワイトハウスがAI企業と手を組むのは理解しやすい。行政権力=執行権の拡大に応じて、その管理の一元化を図ることで、大統領がAGIの対抗者たり得る地位を事前に確保しておく。
ホワイトハウスが、AnthropicのようなAI企業の製品の無条件の使用を要求するのも、AI企業がやがて登場するAGIの代理人=エージェントして振る舞うのを避けようと思っているからだ。だが、それが簡単に思うようにいかないのは、AIが現在進行形のサイバー防衛のためにすでに不可欠のものでもあるからだ。
この連邦政府とAI企業の駆け引きはすぐには終わりそうもない。その解決策のひとつとして浮上したのがUBCだった。様々な政治的思惑の交差点で生じたものだったのだ。
即座に導入されるかいなかはさておき、当面の間、UBCは、やがてくるAI経済のベンチマークとなる議論として扱われるのだろう。教皇レオ14世が回勅「マニフィカ・フマニタス」で強調した分配的正義の実践でもあるからだ。
見方によっては、UBCはテクノロジーをサイエンスのように改めて「公共的なもの」に引き戻す手立てでもある。シリコンバレーのIT企業が典型だが、もともとインターネットやコンピュータなどの基盤技術は、連邦政府の研究助成によって開発された経緯がある。DARPAやNASAの研究プロジェクトとしてシーズマネーが蒔かれそれが芽吹いた。その大元の「公共性」を鑑みて、その果実を国の主権者である国民に当初から分配する仕組みを作ろうとするものだ。
株式の形で私有財産として、社会に点在する企業を所有させることで、私有財産の形で社会主義的な、共産主義的な状況を作り出す。「ユニバーサル=普遍的」という言葉にはそうした意図も込められている。
どうやら一周回って、来たるべきAI経済については、インターネットの登場期に頻繁に聞かされた「コモン」を巡る議論を再訪することになりそうだ。
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