作家・重松清さんが、「言葉の職人のプロ中のプロ」として、一人の人間として、「言葉」について考えていく連載「伝わる言葉を求めて」。
第7回となる今回は、「3だった」の一言から、数字もまた「文脈」によって意味も重みも変わることを考えます。
どういう「3」なのか
数字は便利なように見えて、じつは扱いづらい——という話をしたい。
まずは、以下の会話を読んでいただきたい。「読む」というより「一瞥する」感じだろうか。こういうやり取りである。
「どうだった?」
「3だった」
細かい設定や単位はあえて省いてある。台詞の中にある「3」も、「三」や「Ⅲ」や英語の「three」などを含んだものだと考えてほしい。
さて、この会話を目にしたあなたは、「3」をどんなふうに解釈して、会話そのものがどういう状況でなされたと想像するだろう。
たとえば「3」が5段階評価の通知表の数字だとすれば——。
「(一学期の数学の成績は)どうだった?」「3だった」
まあ、平均的な成績だろう。
ただし、その学校の通知表が10段階評価であれば「3」はちょっと残念な成績だし、逆に3段階のうちの「3」なら立派なものである(ここで「え?」と口を挟みたくなった人は鋭い。ちょっと待っててください。あとでフォローします)。
じゃあ「3」が地震の震度だとすれば——。
「(さっきの地震、きみの街の震度は)どうだった?」「3だった」
震度3は、地震計にだけ記録される「0」から「7」まで10階級(震度5と6には、それぞれ強・弱がある)に分かれたうちの、下から4番目。気象庁の解説では「屋内にいる人のほとんどが揺れを感じる」ので、そこそこ大きいものの安否を案じるほどではない、といった感じだろうか。ちなみにNHKの地震速報では、震度3までは「地震がありました」というアナウンスで、震度4になると「やや強い地震」、震度5以上は「強い地震」と表現される。
これが噴火警戒レベルについての会話なら、どうなるか——。
「(火山活動についての気象庁の発表は)どうだった?」「3だった」
噴火警戒レベルは「活火山であることに留意」にとどまる「1」から「避難」の「5」まで5階級に分かれ、「3」は「入山規制」——火口周辺のみならず、山に入ることも規制される。気象庁の解説では「居住地域の近くまで重大な影響を及ぼす噴火が発生、あるいは発生が予想される」状況なので、しばらくは緊張感を持っていなければ。
さらに、夏休みに海外に出かける2人が、現地の治安を調べている会話だとしたら、「3」は一気に剣呑になってしまう。
「(外務省が出している危険情報は)どうだった?」「3だった」
危険情報は「十分注意」の「1」から「避難勧告」の「4」まで4階級あって、「3」は「渡航中止勧告」になるのだ。
あるいは、こういう会話もあるだろう。
「(がんの精密検査の結果は)どうだった?」「3だった」
がんの「3」、すなわちステージⅢは、周囲のリンパ節への転移が見られるものの離れた臓器への転移がないという状態で、がんの種類によっては5年相対生存率が30パーセント以下になってしまう。遠隔転移が認められたステージⅣには至っていないにしても、決して楽観できるものではないのだ。
……同じ「3」でも、どういう会話の中で用いられているか、そして、どういう序列や階級の中での「3」なのか——いわば「文脈」によって、その意味や重みがまったく違ってくる。
だからこそ、数字は取り扱いが厄介なのだ。
数字に込められた意味
警報や病状のステージといった重い話題だけでなく、数字と「文脈」の関係は僕たちの生活の身近なところでも見られる。
せっかくなので旬の話題のサッカーW杯から引っぱると、日本代表チームのエースストライカー・上田綺世選手の背番号は18——それまでの背番号9から、昨年秋に自らの強い希望で18に変更している。
日本代表の9は、伝統的にエースストライカーが背負ってきた。その番号を与えられることの栄誉は充分に感じながらも、あえて変更をしたのは、なぜか——。
じつは背番号18は、上田選手が幼少期にサッカーを始めるきっかけでもあり憧れでもある父親の背番号だったのだ。そして父親もまた、ドイツ代表のユルゲン・クリンスマン選手にあやかって、クリンスマンと同じ背番号18を付けていたのだった。
クリンスマンは、2003年に現役を引退している(引退後は指導者として活躍し、2年前までは韓国代表を率いていたので日本でもお馴染みのはずだ)。
1998年生まれの上田選手には、クリンスマンの現役時代の記憶はほとんどないはずだが、父親を経由した憧れの連鎖という「文脈」が、背番号18に特別な意味をもたらした。さらに言えば、今回のW杯での上田選手の活躍によって「日本代表の背番号18」に新たな「文脈」が生まれ、次の世代には18こそがエースストライカーの番号になるかもしれない。
野球だってそうだ。プロ野球の新人選手に背番号51が与えられたら、イチローさんと同じ背番号だという「文脈」を知っている人には「この選手には大きな期待がかかってるんだな」とわかるが、そうでなければ「2ケタの重い背番号ということは、たいして期待されていないのかも」となってしまうだろう。村上宗隆選手と松井秀喜さんがともに背負った55にも、当時の日本記録だった王貞治さんの年間ホームラン数55本を超えていってほしい、という「文脈」が込められているのである。
ラッキーナンバーのたぐいも、その数字に対する個人的な思い入れという「文脈」から生まれるものだし、西欧ではキリスト教のユダや北欧神話の邪悪神ロキという「文脈」から忌避される13も、中国の易学の「文脈」では大吉数になるのだ。
語呂合わせも広い意味での「文脈」になる。11月22日が「いい夫婦の日」なんて、具体的な由来などなにもなく——いい(1・1)、ふうふ(2・2)という語呂合わせがなければ、なんのこっちゃ、という話ではないか。
災害報道のレベルの「文脈」
言葉をめぐる連載で数字を扱うというのは、少し脇道に逸れているかもしれない。
ただ、6月に入って大雨や台風や地震など気象災害が相次ぐなか、ちょっと気になることがあるので、この機会に考えてみたいのだ。
今年5月29日から、防災気象情報が大きく見直された。警報や注意報の情報名にレベルの数字が付記されるようになり、従来の「避難勧告」が廃止されて「避難指示」に一本化されたのだ。
大雨についての警報は、以下のとおり。
【(レベル付記なし)早期注意情報】
【レベル2 大雨注意報】
【レベル3 大雨警報(危険な場所から高齢者等避難)】
【レベル4 大雨危険警報(危険な場所から全員避難)】
【レベル5 大雨特別警報(命の危険・ただちに安全確保)】
河川氾濫や土砂災害、高潮についての情報もほぼ同様である。
確かにレベルの数字が入ることで、イメージしやすくなる効果はある。一方で、「注意」から「警報」に切り替わり、そこに「危険」が付いて、「特別」へと至るという、漢字の字面や、C、K、Tという強い音の効果も捨てがたい(個人的には、「危険」以上の状況を指すには「特別」はやや弱すぎる気がする。命の危険があるのだから「限界警報」「生死警報」ぐらいキツくてもよさそうなのだが……)。
それを思うと、レベルと警報名を一緒に伝える現在の災害報道は、とてもわかりやすくなった。
ただし、レベルの数字は、ニュースの受け手が「文脈」をしっかりつかんでおかないと大きな誤解を生んでしまいかねないので、ご注意を。
たとえば、6月27日朝のNHKニュースで千葉県内の避難情報を伝えたときの表現を、NHK ONEのサイトで確認してみよう。
千葉県内では午前7時半時点で6つの市と2つの町に避難指示が出ています。(具体的な自治体名を挙げたあと)5段階の警戒レベルのうち、レベル4にあたる情報で、危険な場所から全員避難するよう呼びかけています。(続けて高齢者等避難の情報が出ている自治体名を挙げたあと)高齢者等避難の情報は5段階の警戒レベルのうちレベル3の情報で、高齢者や体の不自由な人などに避難を始めるよう呼びかけています。
さすがNHK、全体の段階がいくつに分かれていて、どこにあたるのか——レベル4やレベル3の「文脈」を丁寧に伝えてくれている。
だが、それは諸刃の剣かもしれない。
レベル5は、もはや避難のために動くことすら危険な状況である。基本的には4のうちに避難行動を終えているべきで、だからこそ「避難勧告」というユルい表現が廃止されたのだが……「5段階のうちの4」と説明されると、「じゃあまだギリギリじゃないな」と動きが鈍くなってしまわないか?
高齢者等避難も確かに「5段階のうちの3」ではあるのだが、これを通知表の「3」の感覚で「真ん中あたりだな」と受け止められてしまうとマズい。そもそもレベルが出てくることじたいが非常事態なのだという意識づけは、もっとやったほうがいいのではないか。レベル分けでは「5の3」でも、当事者である高齢者の皆さんにとっては「5の5」——猶予はないはずなのだから。
そのあたり、シンプルなわかりやすさを旨とする数字の力と、意味や重みを字面と音の響きから伝えてくる漢字の力を、どう組み合わせて相乗効果を狙えばいいのか。新たな伝え方が始まってまだ1ヶ月、試行錯誤はしばらく続くのだろう。どうか最も効果的な(すなわちそれは、最も犠牲者が少なくなる)報道の表現を編み出してほしい、と切に願っている。
新聞やテレビ、雑誌がオールドメディアと揶揄されるようになってひさしいが、災害が起きるたびにデマがあふれかえるSNSの時代、災害報道こそオールドメディアの底力の見せ場なのだから。
迅速かつ正確な取材と、弱者や少数者への目配り、そして冷静にして情の通った言葉を、ぜひ——。
数字の大小と「文脈」
それにしても、数字と「文脈」の関係はほんとうにややこしい。ここまでは「何段階に分かれたうちの、どこにあたるのか」という「文脈」で数字を見てきたのだが、数字にはもう一つ大切な「文脈」がある。
ベクトルというか序列というか……つまり、数字の大小の指し示す意味である。
冒頭の「どうだった?」「3だった」のところで通知表の話を留保にしておいた理由が、まさにそれだ。10段階評価だろうと5段階評価だろうと、通知表の数字は大きいほうが優れている——と僕たちは当然のように思い込んでいるが、ドイツやオーストリアでは逆に、通知表の成績は数字が少ないほど高い評価になる。日本で通知表がオール5なら親に褒められるが、ドイツでは叱られてしまう、というわけだ。
また災害の被害の大きさや危険度を示す数字は、いままで見てきたとおり、たいがい「大きな数字のほうが危ない」という「文脈」になっているのだが、例外もある。たとえば古い建物の解体工事などでアスベストの粉塵が発生する度合いは、レベル1から3までの3段階のうちレベル1が最も危険なのだ。
1類から5類に分かれる感染症の分類も、数字が小さいほど危険で、1類感染症にはエボラ出血熱やペストなど致死率がきわめて高いものが並ぶ。新型コロナが2023年5月8日をもって従来の「新型インフルエンザ等感染症(いわゆる2類相当)」から「5類感染症」に移行してなんとかひと息ついたのは、まだ記憶に新しいはずだが、これも災害情報の「文脈」をうっかり当てはめると、「2から5に? マジかよ!」と大騒ぎになってしまいかねないのだ。
さらに厄介なケースも…
さらに厄介なことに、まるっきり正反対の2つの「文脈」が共存しているケースもある。
たとえば災害や事故で瀕死の重傷を負っている人の意識状態を客観的に評価するための指標には、日本独自の評価方法のJCSと、海外で広く使用されているGCSがあるのだが、JCSでは「数字が大きくなるほど重度の意識障害」なのに、GCSでは「数字が小さくなるほど重度の意識障害」なのだ。
これ、現場で混乱しないのかなあ(特に大規模災害で海外の医療従事者との混成チームで緊急医療にあたっているときなど)……と、シロウトながら/シロウトだからこそ、勝手に気を揉んでいるのである。
もうちょっと身近なところで言えば、韓国語検定についても、そうなのだ。日本で受験できる韓国語検定は、韓国政府公認の『TOPIK(韓国語能力試験)』と日本独自の『ハン検(ハングル能力検定試験)』の2つが最も一般的なのだが、1級から6級まである『TOPIK』では6級が最も難度が高いのに対し、1級から5級までの『ハン検』では1級が最も難度が高い。
つまり、就職の面接で「韓国語検定で1級を取っています」と言われても、その検定が『TOPIK』なのか『ハン検』なのかで、評価はまるっきり変わってしまうのだ。
……ホントに、ややこしいでしょ、数字って。
それを思うと、昭和の頃の小学校低学年の通知表によくあった〈たいへんよくできました〉〈よくできました〉〈がんばりましょう〉は、言葉じたいに「文脈」が折り込まれていてわかりやすかったよなあ、としみじみ思うのである。
もちろん、「文脈」を読むことは、数字と向き合うときにだけ意識していればいい、というわけではない。
ABCといったアルファベットも、○△×の記号も、「文脈」次第で意味や重みがまるで変わってくる。そして、言葉にも「文脈」に大きく左右されてしまうものがあり、それが物語をイキイキと面白くしてくれる。作家としては、そういう言葉をどういう「文脈」に乗せるかが、腕の見せどころにもなるわけなのだが——。
そのあたりも含めて、次回も「文脈」について、もう少し語らせていただきたい。
(第7回・了)