選挙不信が止まらない
6月3日に韓国で実施された「6・3全国同時地方選挙」において発生した投票用紙の不足事態が、時間の経過とともにさらなる波紋を広げている。「公正」という価値に敏感な20〜30代の若者有権者を中心に「参政権を奪われた」という怒りが全国的に拡散しており、政界でも捜査の枠を超え、国政調査や特別検事(特検)の導入まで取り沙汰される雰囲気だ。こうした状況下、一部では再び不正選挙疑惑が提起されており、韓国社会全体で選挙手続きや選挙管理に対する不信感が募っている。
日本とは異なり、韓国の選挙管理委員会(選管)は政府に所属する行政機関ではなく、憲法が保障する独立機関である。国会や裁判所などと同様に独立した地位を与えられており、これは1960年の李承晩(イ・スンマン)政権による3・15不正選挙と、それに抗議した4・19革命の歴史的経験に由来する。権力の干渉を排除し、公正な選挙を管理せよという時代的要請が、選管に強力な権限と独立性を付与したのだ。
問題は、このような独立性が、時間の経過とともに事実上牽制を受けない構造へと変質してしまった点にある。選管は会計監査を除けば、人事や行政などの主要業務について外部監査をほとんど受けない。問題が発生しても、自主調査や真相究明委員会を通じて処理することが多く、その過程で批判も根強く提起されてきた。さらに、選管と司法府(裁判所)の密接な構造も論争の対象となってきた。中央選挙管理委員長は現職の最高裁判事(大法院判事)が兼任しており、各地域の選管委員長もまた現職の裁判官たちが務めている。
このような構造ゆえに、韓国社会の一角では、選管の行政上の過失や選挙法違反の疑惑が提起されるたびに、十分な外部チェックが行われにくいという懸念が持続的に示されてきた。強力な権限と独立性を享受しながらも、いざ選挙管理の過程では繰り返し雑音が発生する理由を、ここに求める視線も少なくない。
選管「杜撰」の歴史
選管の選挙不実管理(杜撰な管理)問題は、社会的「分断」が深化し始めた文在寅(ムン・ジェイン)政権時代に集中して指摘された。特に2020年の第21回総選挙では、深刻な「公正性」論争を巻き起こした。当時、野党だった未来統合党(現・「国民の力」)の「民生破綻、投票で阻止してください」という投票督励の文句に対し、選管は「現政府を連想させる」として選挙法違反を主張し、使用を不許可とした。その一方で、与党だった共に民主党側の「投票で親日・積弊清算」は「純粋な選挙督励だ」として使用を許可したが、野党の激しい抗議を受けると、後になって使用を禁止するという醜態を演じた。
翌2021年のソウル・釜山(プサン)市長補欠選挙でも、選管の「二重基準」は続いた。野党・国民の力の広報フレーズである「ネロナムブル(身内には甘く他人には厳しい:偽善の意)」、「偽善」、「無能」などの単語が現政権を連想させるとして、使用を全面禁止したのである。これとは対照的に、政権与党の候補記号1番を巧妙に連想させるソウル市公営放送TBSの「#1(イル)しましょう」キャンペーンに対しては、「問題はない」として免罪符を与え、激しい偏向批判を自ら招いた。
選管の無能と不実管理は、2022年の第20回大統領選挙においてついに爆発し、不正選挙疑惑の導火線となった。新型コロナウイルスのパンデミック当時、感染者の投票を別途分離して進める過程で、記票(投票)が完了した投票用紙を規格の封筒ではなく、ゴミ袋やプラスチック製のザル、ラーメンの箱などに入れて杜撰に運ぶ現場が赤裸々に捉えられたのである。この荒唐無稽な光景が収められた動画が拡散すると、選管は国民的な不信感とともに、巨大な不正選挙疑惑に巻き込まれることとなった。
裁判所と不正の選管は「グル」
選管が国民の信頼を失うに至ったのは、単に選挙管理の問題だけが原因ではない。2023年には、前・現職の選管高官による子女の特権採用(コネ採用)疑惑が報道によって明らかになった。当時、選管は独立機関であることを理由に政府の監査を拒否し、自主調査を進めながら「法的手続き上の問題はない」との立場を示したが、その後、監査院による全面監査が実施された結果、800件を超える違法・不当な事例が摘発された。特に法的懲戒時効である10年間、採用不正がなかった年がただの一度もなかったという点が確認され、国民に大きな衝撃を与えた。
しかし、この一連の事態の中で最も衝撃的な部分は、2025年2月に出された憲法裁判所の決定である。憲法裁判所は、監査院による選管への職務監察について「独立した憲法機関を、行政機関の傘下にある監査院が監察することは、違憲的な権限侵害である」として選管側の手を挙げた。800件を超える不正が露呈したにもかかわらず、法の論理によって外部の監視網を根こそぎ遮断してしまったのだ。
結局のところ、少なくない国民は、選管と司法機関が互いを保護し合う構造の中にあると認識するようになった。こうした状況下で、選管がわずか1年後に再び投票用紙の不足という前代未聞の事態を引き起こしたのだから、激しい反発が湧き起こるのはある意味で当然の結果と言えるかもしれない。今や国民は、司法府の判断や選管の自主調査だけでは、今回の事態に納得することは難しいと訴えている。
若者の怒りの根源
6月3日の全国同時地方選挙において、選管は内部決裁により本投票用の用紙を有権者の50%しか印刷しないという無理な指針を出した。その結果、ソウル市松坡区の14箇所を含む全国91箇所の投票所で用紙不足により投票が中断され、多くの有権者が投票を諦めて引き返すなど、参政権が侵害された。特に、一部の投票所では夜10時まで投票が延長されたことで、有権者が放送局の開票結果を見ながら投票を行うという、史上初の選挙の公正性が毀損される事態が発生した。
今回の投票用紙不足の事態に最も強く憤っている世代は、断トツで20〜30代の若者層である。韓国の若者たちは「公正」、特に「手続き的な(=過程の)公正性」を重要な価値観と捉えている。高い住居費や、熾烈な入試・就職競争の中で育ってきた彼らにとって、公正なルールとは単なる道徳的価値ではなく、社会を信頼するための最小限の条件である。公正とは、過酷な現実の中でも「努力すれば機会を得られる」という信条を支える最後の砦のようなものだ。
その点において、今回の事態は若者たちにとって単なる行政上のミスとしては受け入れられていない。過去の特権採用疑惑によってすでに信頼を失っていた機関が、今回は国民の最も基本的な政治的権利である投票権の行使という過程においてまで問題を結実させたからである。
あるソウル大学の教授はこれを指して、「夜を徹して勉強して試験場に向かったのに、試験用紙がなくて試験を受けられなくなったのと同じだ」と表現した。自身の努力とは無関係に、制度の無能と失敗によって機会そのものが剥奪された状況であるという点で、多くの若者は今回の事態を公正性に対する重大な毀損と受け止めている。
選挙とは、国家が国民に交わす約束である。「あなたの一票は大切であり、誰にでも公正な権利(1票)が保障される」という約束だ。しかし、その約束を管理する機関が国民の信頼を失い始めれば、問題は単なる行政ミスでは終わらない。選挙を信じられなくなり、ひいては選挙制度そのものへの疑念へとつながっていく。今回の事態を契機に、韓国国民が投げかけている質問は単純である。「なぜこのような事態が起きたのか」「誰が責任を取るのか」そして「次の選挙では本当に同じことが繰り返されないのか」。
選管がこの問いに答えられなければ、韓国の民主主義は再び大きな試練の場に立たされることになるだろう。
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