20代で東京に移住してくる人はどれくらいいるだろうか。
東京都の「住民基本台帳人口移動報告」令和6年版を見ると、地方から東京に移住した人数は20代が最も多く、25~29歳が19万5628名、20~24歳が16万1892名となる。
しかし東京は物価が高いことも間違いない。しかも昨今では家賃も上昇しており、都内20平米のワンルームを見ても、3年間で15%ほど家賃が上昇している。
第175回直木賞にノミネートされた凪良ゆうさんの最新短編集『多類婚姻譚』は、「結婚」をキーワードに、セクシュアリティ、ジェンダー、生育環境、貧富など、人々の「違い」が生み出す現状を浮かび上がらせる5つの短編集だ。
宇垣美里さんが本書を読んで感じたこととは。
宇垣美里 うがき・みさと
兵庫県出身。フリーアナウンサーとしてテレビ・ラジオに出演するほか、執筆活動など幅広く活躍している。TBSラジオ『アフター6ジャンクション2』水曜パートナーを担当中。
私はただ何も奪われたくないだけなのに
「結婚」という言葉に、しあわせやめでたさ以外のどこかざらっとした響きを感じるようになって久しい。一生一緒にいたいと思えるような他者と出会えるなんて、本当に素敵なことだ。健やかなる時だけではなく、病める時すらも支え合うと誓うなんて、美しくかけがえのない関係だと思う。それなのに、どうしても搾取とか、束縛とか、断絶とか、差別とか、そういうものがチラついてしまう。
人はそんな私の怯えをも、三十路を過ぎているのにもかかわらず結婚もできず、子どももいない女の僻みだと嗤うのだろうか。そんな嘲笑が、より一層私の忌避感を強くするとも知らずに。ああ、別にどうでもいいのか。『多類婚姻譚』の作中に登場するある女性の「お願いだから、もうわたしからなにも取り上げないで」という悲鳴のようなセリフが頭をよぎる。そう、私はただ何も奪われたくないだけなのに。でもそれは、どうやらたいそう贅沢な願いだったみたいだ。
先入観に気づかされぎょっとする
結婚がゴールという時代は終わり、価値観が日々変化し多様化していく今の日本で、結婚というものをきっかけに変化する5組のカップルを描いた連作短編集である本作。導入となる巻頭作「Thank you for your understanding」は、大手食品会社で課長として働く38歳の小暮華が主人公だ。無職で甘えたがりながら一応家事をやってくれているふたつ年下の樹と付き合って3年、半年前から同棲もしている。母親から請われ、初めてパートナーを家族に紹介するべく、正月に樹と共に華の実家に帰ることにする。
後半に判明する事実に、自分の先入観に気付かされ思わずぎょっとした。そしてそこまで自分が気づけなかったことから、いかに彼女が悟られないよう過剰なまでに気を付けて振舞ってきたかが分かり、その切なさに言葉を失う。あらためて読み返すと「おいしいご飯にお酒。わたし、もう人生これだけでいいです」という華のセリフや、樹の「自分と結婚って縁がなさすぎて」という言葉の意味がまるで違って響く。
怒ることに疲れきって諦めてしまったこと、受け止めきれない怒りや悲しみを一旦引き出しにしまって致命傷を避ける処世術。覚えのある感情の連続に痛いほど共感する一方で、だからこそ終盤に母親から必死の思いで伝えられる言葉にハッとさせられた。傷つきたくないと殻にこもり、私は今までどれだけ相手をないがしろにしてきたんだろう。恥ずかしくって顔から火がでそうだ。世代や価値観や思想の違う私たちが分かり合うことは、きっと難しい。それでも、理解したいと足搔き傷つけたくないと気を遣い続けることは、できるはずだ。
上京したばかりの新入社員時代を思い出す
続く「Beautiful Dreamer」に描かれるのは東京で暮らす地方出身女子のリアル。27歳の野々村花織は、今日も苦心して撮った写真で丁寧な生活っぷりを伝えるSNSを更新し、付き合って一年の派遣先の社員・恵斗との結婚を願いながら理解ある彼女を装って微笑む。こんなに頑張っているのに、ささやかでありふれたしあわせは手から零れ落ち、真綿で首を絞められているような絶望が作品全体を覆う。上京したばかりの新入社員の頃、地元とは比べ物にならない物価と家賃に震え、慣れない都会の全てに怯えていた私とは裏腹に、慣れた様子で母親の作った美しく華やかな弁当をつつく同期にこっそりと唇を嚙み締めた日々を思い出し、たまらなくなった。
「小鳥たち」では夫の不倫と離婚をきっかけに地元に戻り、実家の本屋を継いだ一葉と適応障害で休職中の中学時代の同級生・越智とのやりとりが温かく、優しい。レールをはずれても、なんとなく寄り添い合って、手を差し伸べ合ってただ生きていくことの尊さよ。
抑えようのない憤りへの共感
「Position Talk」では常にハラスメントに気を配って生きる律と同僚で婚約者の朱里との、性差や価値観の違いから生まれる答えの出ないぶつかり合いが描かれる。朱里の戦闘モードな様子に少し引いてしまいながらも、その抑えようのない憤りが理解できてしまうのは私だけではないだろう。いまだに友人たちは妊娠出産をきっかけに時短勤務を選ばされているし、ずっとずっと彼より優秀だった彼女が謎のロジックで昇進を見送られたのも知っているから。恵まれしマジョリティたる男たちの負う原罪が許される日はくるのか。でもあなた本当にそこまで気を配れていましたかね……?
愛の名のもとに、間違っていると知りながらもその道を突き進んでしまうことが、人生にはある。「C’est la vie」はそんな間違いすらも愛しながら、一線を越えた時にはすっとプライドを守る決断を下す女性が描かれ、その気合いの入った生き方は清々しく眩しい。
登場人物たちは同じ大手食品会社を軸にゆるくつながっており、それぞれの物語の中でその後の姿や他者からどう見えているかなどを知ることができる。皆それぞれに形の違う生きづらさを抱えながら、何とか折り合いをつけて生きていこうとあがく姿に励まされ、それでも他者と共にこの社会で生きていきたいんだ、という願いを肯定してもらえたように感じた。明けない夜はないように、止まない雨はないように、ただよりよい世界を信じ、私たちは泥道を進み続ける。楽園の場所は誰も知らない。