本連載の締め括りに、埼玉県の教員が「五色百人一首」を使っておこなった実践を紹介する。五色百人一首は正しく使うのが王道だ。しかし、ただマニュアルを墨守するのではなく、その現場にいる子ども一人ひとりに応じて瞬時に判断を下すのも、教師にとっては大切な仕事である。そのことがよくわかるエピソードを、長谷川氏の取材によってお届けしよう。
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【前編を読む】難癖をつけて成績を改変…恐るべき「クレーマー生徒」が「五色百人一首」に熱中して奇跡の変容を遂げるまで
授業で生徒指導を行う
埼玉県の中学校教師である伊藤圭一氏が、ある年度に行った実践を紹介する。
伊藤氏は2学期の間、週1時間、中学2年生の国語の選択授業を受けもった。氏はこの学年の通常の国語は担当していない。よって、授業でのかかわりはこの選択の時間だけであった。
この学年は入学当初から低学力であり、しかも小学校の時から続く荒れがあったという。中学2年生となり、どのクラスも担任は「力の指導」をする男性教諭となった。表面上は落ち着いて見えるが、その落ち着きは心の内からくる安定ではない。外からの圧力によるものだった。
週1時間の授業をするにあたり、伊藤氏は考えた。
1.生徒が本来もっている「素直さ」「明るさ」を引き出す。
2.そのために、とにかく楽しい、知的な授業をする。
3.子どもが自然と発言したくなるような授業にする。
4.時には静寂のうちに進む授業も組み込む。
5.暗唱、視写、百人一首をパーツの中心とする。
思春期真っ只中の生徒の荒れに対し、授業で勝負する。授業で、生徒指導をする。
TOSSで学ぶ教師ならではの構想である。
下を向いたままのA君
選択国語コースには、A君がいた。ADHD傾向が強く、小学校から怒られる経験ばかりしてきた。何をやるにしても「やる気がない」ように見える。他教師も匙(さじ)を投げている。
だが、学んでいる伊藤氏には、違った様相が見える。
「できない」を隠すために「やらない」。
長い間「わからない」「できない」授業を受け、注意や叱責をされ続け、自尊感情が低下した生徒は、自分を守るために「やらない」ことを選択する。それ以上傷つきたくないからだ。私もそういう生徒を何人も見てきた。
A君もまた、そうであった。できることさえやらなくなってきていた。
何かA君ができることを、と考えた伊藤氏は授業開きから五色百人一首に取り組んだ。A君以外にも配慮を要する生徒がいる。一時に一事を特に意識して、ルールをインプットしていった。全体を見て、できている生徒を褒めていった。
だが、A君は下を向いたままだった。対戦相手は隣の席の女子だった。A君は1枚も取ろうとしない。促してもやらない。目の前の札を読んでも取らない。「これだよ」と教えてあげると、A君は自分では取らずに、相手に「これだよ」と言って取らせようとした。そして、そのまま周りの生徒の対戦を見ていた。対戦相手の女子もしらけて、やる気がなくなっていった。
A君を後押しするためにしたこと
伊藤氏は考えた。
「もしかしたらA君は、できないこと(負けること)を見られたくないから、やろうとしなかったのではないだろうか」
「しかも対戦相手は女子である。プライドが傷つくから、やらないのかもしれない」
どうにかしてA君を参加させたい。自分から札を取りに行く場面を作りたい。そのためには、安心して負けられる環境を作ればいい。
氏は言った。
「本来ならそれは学級経営によるところが多いかもしれない。あるいは授業で『教室とは、間違えるところなんだよ』と教えていくべきところであるのかもしれない。でも、そういう時間はない。私はA君をその時間で何とかしたかった」
そして、咄嗟(とっさ)に席替えを工夫した。A君の対戦相手を、同じサッカー部の生徒となるようにしたのである。リーグ戦形式に取り組む前だったので都合がよかった。全体に「対戦相手を変えましょう」と指示し、A君と男子が対戦できるように、しかもそれが目的とは気づかれないように、全体の席替えを調整した。
関わろうとする教師に、生徒は心を開く
男子との対戦に、A君は盛り上がった。身を乗り出してやっていた。たとえ百人一首で負けたとしても、部活で取り返せる。また、人間関係ができているから、負けを受け入れられる。そういう思いが、A君の口にする言葉の端々から伺えた。1回目とは別人のような姿を、A君は見せた。
多少ズルはしていたが、伊藤氏は全体に指導をし、個別の指導は簡単に済ませた。まずは百人一首を楽しくさせることが第一だと考えたからある。氏は言った。
「楽しいことなら、ルールを受け入れることもするだろう。楽しいことをさせる教師の言うことなら、聞く耳をもつだろう」
私も同意するが、楽しいことをさせるから聞く耳をもつ、その先があると考える。
生徒は、その教師が自分を相手にしてくれているか、見放しているかを敏感に察知する。自分が活躍する姿を喜んで見ている伊藤氏に、A君は必ず気づく。そのような教師の指導であればこそ、生徒は聞き、従おうとするのである。そういう教師に出会ってこなかった生徒なら、なおさらである。
翌週の授業開始前の休み時間、A君が氏の所に来て言った。「先生、今日は百人一首やらないんすか」氏が「やるよ」と返すと、「よっしゃ!」と笑顔になった。関係は、こうして紡がれていく。
*初出『教育トークライン』2011年11月号。一部に加筆修正を行った。
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