大学受験を控えた17歳からの約2年半、ライターの桑沢まりかさんは子どものころから父親のようにかわいがってくれた教師から性暴力の被害にあった。教師という強い立場を利用したグルーミングは桑沢さんの抵抗を封じ、行為が行われる「そのとき」、桑沢さんは心を空っぽに自分を「モノ」化することで乗り切るしかなかった。この状況は後に専門家のカウンセリングを受け、強いストレスやトラウマを受けたときに起こる「解離(記憶や感情などが分断される状況)」であることがわかったという。
このときの経験を桑沢さんは、記事『教師の性暴力に苦しんだ女性の告白「先生は一切避妊をしなかった」』など数回に渡り綴ってくれた。しかし、桑沢さんにはもうひとつ、誰にも言えず、自分の心の中だけに鍵をかけ封印してきた出来事があった。
「教師の性暴力の後遺症に悩んでいた20歳のころの出来事です。鮮明に記憶したら心が壊れてしまうのでそのときも自分をモノ化して乗り切りました。ライターとしてこの問題に向き合わねばと思いながらも筆が進みませんでした……。でも、富山県で起きた実娘をレイプした父親の性暴力事件が明らかになり、メディアに顔や実名を出し被害を訴え、性暴力の被害に声を挙げる娘さん(福山里帆さん)の姿をみて、私も性暴力がない世界を訴えるライターとして、あのときあったことと向き合わねば……。ライターとして今伝えられることを書いてみようと思ったのです」
桑沢さんは、「私のような被害に苦しむ人が少しでも救われる、理解される世の中になってほしい」と封印した出来事について、勇気を持って今回前後編で寄稿してくれた。
以下、桑沢まりかさんの原稿です。
※記事内に、性暴力に関する記載があります。
生き地獄ともいえる状況
2026年5月8日、約4年間実の娘に性加害をした大門広治被告に、懲役8年の刑が確定した。「やっと自分の人生を生きていくスタート」と語る大門広治被告の娘である福山里帆さんの姿をみて、涙が出た。
記載するのもためらってしまうような非情な事件だが、大まかな概要を説明しておきたい。現在、26歳の福山里帆さんは中学時代から実父による性暴力を受けていた。2016年8月、父親は自宅で里帆さんに対して抵抗できない状況で性交を行った。判決によればこういった性暴力行為は中学2年から高校2年までの間に最低でも8回は行われたという。里帆さんは2023年に富山県警に父親を告訴し、大門広治被告は24年に逮捕された。しかし、父親は逮捕後も行為に対して反省する様子がないことから、24年3月に里帆さんは自らが表に出て実名で父親の行為を公表した。
実の娘に性行為を行い続けた被告である父親は、法廷で無罪を主張し、こう言い放っていた。「娘は抵抗できない状態ではなかった」と……。
被告の弁護士側がこう主張したこともある。
「娘に手を上げたことはあるがしつけの範囲であり、恐怖心を抱かせたことはない。また、誘った際に娘は腕を振りほどくなどして断ることもあった。暴力をふるって抵抗不能な状態に陥らせておらず、倫理・道徳的には非難されるべきだが、無罪だ」
地獄である。
裁判では、里帆さんが妹に被害が及ぶのではと恐れていたこと、一家の収入を支えていたのが加害者であった父親であり、進学のためには逆らえないという感情に至ったことなどにも触れられた。
里帆さんは、以前会見で、「私は、父にレイプされ、性行為を強要された被害だけでなく、『父』という存在そのものを失いました」と語っている。
娘にとって、この世に唯一無二である生物学的父親に性行為をされることがどれだけ残酷であるのか。今回はそのことを、生物学的父親から性暴力を受けたひとりとして、里帆さん、家庭内性暴力を受ける/受けた、すべての人への連帯を込めて、ここに書き残したいと思う。
性暴力・ストーカー被害で傷ついた心
私はこれまで、父親のように慕っていた教師から受けた性暴力について何度か記事にしてきた。17歳から2年半、「嫌だ」と思ったらあまりにつらすぎて生きていけないと感じ、自己防衛本能からか私の意思は感じられなくなり、心のスイッチが切れて「モノ」になることでどうにか生きていた時期があった。相手がストーカーになったことをきっかけに警察に介入してもらいやっとの思いで縁を切ることができた。
そのときにはもう、私の対人関係の基軸となるバウンダリー(境界線)はボロボロで、自分が何を望み何を望まないのかわからなくなってしまった。気づけば、他者から性的な視線を向けられるだけで自動的に意思は消えて「モノ」になるようになっていた。今もそのときのPTSD(心的外傷後ストレス症)に悩まされ、治療を受けているが、私のカウンセラーはこのことを「異常な事態における正常な反応」と表現した。心理学的には「解離」と呼ばれるような状態で、多重人格の人などにも現れる心理症状のひとつだ。
そんな心が涸れてしまった私にも、密かに一縷の光のような希望があった。それは、生まれてから一度も会ったことのない、実父の存在だった。
私は16歳ではじめて性暴力被害を受けてから、ずっとこんな風に思ってきた。私がこういう目にあうのは、相手と自分が男と女という存在だからだ。生物学的父親は、性的なものを提供せずとも側にいることを許してくれて、セックスを交換条件にせずとも大切にしてくれるはず。そういう人が、世界にひとりは存在していると……。
この「父という存在がいる」という望みは私にとって、一方的な性的欲求を「守るから」「大切にするから」という甘い言葉でコーティングして私に押し付け、結局は傷つけてくるだけの男性たちに対抗する、唯一の希望であり、心のお守りだった。
20年ぶりに実父との再会を決意する
そうはいっても、私の生物学的父親は、生まれたばかりの私を捨て、20年以上放っていた男である。今更会ったところで、私を娘として愛してくれるとは思えない。もしも父親が性行為でも求めてきたら……。そんな地獄を考えた。でも、親子なのにそんなことあるはずない、と恐ろしい想像を打ち消した。
通常の精神なら長年会ってない父親に対してそんな恐ろしい考えを巡らすことはないだろう。しかし、20歳のころの私は心身ともにボロボロで、度重なる性暴力被害に、人に対する判断力も低下し、人生が見えなくなっていた。とにかく、少しでもこの世界に生きる希望を感じたい、藁にも縋るような思いで、実の父親に会うことを決意したのである。
父に会う日がやってきた。約束の場所で待っていたのは、見ず知らずの中年男性だった。「こんな人だったんだ……」そう思った。
それでも、生物学的父親である。父親不在の生活の中で、どれだけの男が、私の弱みや隙につけ込み、私の心身を食いつぶしていったのか……。つらかった日々を少しでもいいから聞いてほしかった。性的なことがなくてもそこにいていいとしてくれる存在がいるんだと、思わせてほしかった。
しかし父の口から出てきたのは、自分の仕事の話と、新しい妻との間にできた私とほぼ同い年の「娘たち」の自慢だった。私は閉口して、頭が真っ白のまま、ほぼしゃべらずに初めての出会いは終わった。
◇実父との再会が思った形にならなかった桑沢さんは、再び父親と会う約束をする。そして、そこで想像できない状況に……。後編では、桑沢さんの「父を失った」体験について引き続き寄稿いただく。