”声優の大塚明夫さんからヒントをもらって
サインハンコとお名前シールを作りました♪
妻も考えていたようですぐに実行〜
昔書いてあったサインからこんなことが出来るんですね〜
ただ…明夫さんのに間に合いませんでした
ごめんなさい〜
でもこれで本の巻末に気持ちを印せますし
色々と使えそうです♪”
5月26日、Xにこういう投稿をしたのは声優の津久井教生さんだ。
津久井さんは2019年3月に体の異変を感じ、9月ににALS(筋萎縮性側索硬化症)の告知を受けた。しばらくは奇跡的に声が出るといわれながらニャンちゅうほか、多くの仕事を続けてきた。2022年ニャンちゅう30周年を迎えたのち、2022年の10月に、同じ事務所の羽多野渉さんにニャンちゅうの声をバトンタッチすることを公表。その2ヵ月後に気管切開し、現在は声が出ないながら、視線入力とAI生成の「津久井さんの声」で発信を続けている。
そんな津久井さんが2020年から「FRaUweb」にて続けた連載をベースに、視線入力での書き下ろし原稿を加え、60万字を14万字に編集して刊行した著書が『ALSと笑顔で生きる 声を失った声優の「工夫ファクトリー」』だ。
「ALSになるとはどういうことなのか」「介護される人の本音は」「気管切開や胃ろうをした人の感想」といったことは、なかなか当事者の生の声を聞くことができない。本書はそういう生の声をつづるノンフィクションであり、声優養成所で長く教えてきた津久井さんが「声の出し方」のノウハウも詰め込んだ、実用エッセイでもある。
そしてサブタイトルにあるように「工夫」の工場のように、やりたいことをやるために様々な工夫をしているのだ。声を失ってもテレビのインタビューを受けるまでにつづき、「体が動かなくなってもサイン色紙を作る」までをお届けする。
1週間ごとに2センチくらい上がらなくなっていった
ALSの症状は、大きくわけると上肢(手)から始まるタイプ、下肢(足)から始まるタイプ、そして球磨(顔や口)から始まるタイプがあるという。津久井さんは下肢から始まるタイプで、手はしばらく動くだろうと考えていた。そのときのことを次のようにつづっている。
”2019年、足はすぐに動かなくなりましたが、手を大事にしていこうと思い、筋力トレーニングはそこそこに指を中心にしたストレッチをしていました。しかしながら、罹患公表から2ヵ月弱、つまり2019年のうちにピアノが弾けなくなりました。最初は弾けるのですが、すぐに弾く体力がなくなってしまい、「えっ、でしょ、早すぎない?」と愕然としました。”(『ALSと笑顔で生きる。』より。以下同)
そして進行は思った以上に速いものだった。
”ところが、手の症状の進行も、自分が思ったよりもはるかに早いものでした。同時進行で起こっていた足の進行に隠されていましたが、ドンドン腕が上がらなくなり、物が持てなくなっていくのでした。ハッキリと筋肉がなくなっていくのを体感する感じで凹みました。1週間ごとに腕の上がり方をメモしていましたが、2センチずつ上がらなくなる感じです。腕を上げる筋肉と同時にキープする筋肉も減っていく2020年5月にはお風呂で頭と顔が洗えなくなりました。(中略)パソコンのキーボードも打てるのですが、すぐに疲れてしまって休み休みになっていってしまいました。ので、病名告知から6ヵ月くらいでバンザイができなくなり、頭に手を持っていくのがやっとになりました。”
「秘技・割り箸入力」開始
これではキーボードが打てなくなる。2020年4月からFRaUwebにて連載を始めていた津久井さんがそんなときに迷わず行ったのは連載をやめることではなく、「手でキーボードを打てないなら口で打つ」ことだった。
”腕が上がらなくなっていたので、パソコンのキーボードは割り箸を口にくわえ、ひともじひともじ打ち込んでマウスで作業する「割り箸入力」で打ち込むようになりました。「秘技・割り箸入力」の誕生です。”
こうして、2021年2月からは「割り箸入力」で連載が続けられた。
しかし、さらなる変化に津久井さんは直面する。そのときのことをこのようにつづっている。
”「割り箸入力」をはじめて1年近くがすぎたころ、2021年12月の冬への変わり目は、全身に寒さが浸透して体がこわばるような感覚に何度も襲われました。それがじわじわと腕に広がっていき、動かないまでも感覚的には少し動作のイメージが残っていた部分に影響していきました。毎日少しずつ右手の親指が動かなくなっていくのです。ゆっくりとなら動いていたのに、1日から3日に1ミリくらいずつ、動かなくなるのです。”
このときも、介護のスタッフの方々とともに、手が汗びっしょりになるまで試行錯誤して、動かなくなっていく中でかすかな動きでもマウスを動かせるような工夫をしている。しかし症状の進行は止まってくれなかった。
”それだけ皆さんに手伝ってもらったにもかかわらず、「あれっ、右手親指がおかしい」と感じ始めて1ヵ月あまりで動かなくなりました。マウスのトラックボールに親指をのせてもらって前後左右に1センチずつ動かせれば最低限の作業はできるように設定してあったのに、それができなくなったのです。最後の方は「あれっ、このままちょびっと動く状態で継続するかな」と思わせた次の日に動かなくなりました。朝起きたら動かないのです。「あぁ〜もう〜、寝るんじゃなかった!」などという間違った発想を口走ってしまいます。でもこんな風に愚痴りたくなるのをわかっていただけるとありがたいです。”
ピンチを救ってくれた「左手親指」とパソコン設定の多様性
ところが、「寝るんじゃなかった!」と絶望しながら、まだ工夫をやめなかった。
”「割り箸入力での作業もこれで限界かな」と絶望しました。このピンチを救ってくれたのが、左手の存在と、パソコンの設定の多様性でした。1回も使ったことのない左手用のマウスで、かすかに動き続けてくれていた左手の親指の可動範囲の限界に合わせてパソコンのマウスの動きを設定する。私がカーソルを動かせる範囲ってどれくらいだったと思います?この頃は1回の親指のはじきで3〜4センチって感じです。最初は1回で5〜6センチ動かせたのになぁと思いますが贅沢は言っていられません。左手の親指にはものすごく感謝しています。”
津久井さんは、以前もXにて「わずかに動いてくれていた右手中指の先が動かなくなりました」とつづっている。これは「全身使えるすべてを使い尽くしている」からこをいえる言葉なのではないだろうか。
昔のサインで「サインハンコ」と名前の千社札
書籍の刊行をしたとき、「書店まわり」といってリアルな書店のみなさまにご挨拶に行かせてもらうことがある。著者としても自分の作品が書店に並んでいるのを見るのはとても嬉しいし、書店員の方と話し、どんなことが必要かを直接お聞きできるのもありがたい。もしサインを書いてもいいのなら、させていただくこともある。
しかし津久井さんは2022年12月に気管切開をしたのち、最近2年以上は家を出ない生活になったという。理由は、呼吸器が装着されていることもあり、「外に出る」ことに人の手が多く必要だとわかったからだ。外に行こうと誘ってもらっても、ベッドの上でいかに人生を楽しむかにシフトしたということを共同通信社のインタビューでも語っていた。
そこで、そんな津久井さんの代わりにリアル書店で『ALSと笑顔で生きる。』をみつけたら写真をとってどこの棚にあるかを伝える「#本屋さんで津久井さん探し」をXでスタート。すると、津久井さんの地元・川越の書店さんが、愛のこもった手書きのポップをつけてくれたり、棚で大きく展開してくれたりしていた。
「こうやって応援してくださる書店さまにお礼の色紙を渡したいですよね!」
そんな風に津久井さんと妻の雅子さんとやり取りをする中、「サインの代わりに千社札を作ろうと思っていたんです」「昔のサインのビジュアルゲットしました」とどんどん進み、じゃあサイン色紙を作りましょう! となった。
そこで担当編集が編集部のスタッフの協力を得て、津久井さんのサインと写真を色紙に貼って津久井さんのご自宅に持参。千社札を貼り、書店様へのメッセージは妻の雅子さんに依頼した。津久井さんは別途書店様への手紙を視線入力で書いていた。
さっそく持参すると、紀伊國屋書店川越店の星野さんは「昔幼稚園の先生をしていて、ニャンちゅうが子どもたちを救ってきたのをずっと見ていたんです。”いい子”を求めるのではなくて、自分らしくあることをそのまま受け入れてもらえるキャラクターを津久井さんは作ってくれた。だから津久井さんのXはよく拝見していて、本が出ると知って絶対応援したいと思いました」と語ってくださったた。
そしてブックファースト ルミネ川越店の萩元さんは「学生時代ニャンちゅうも『スクライド』のクーガーも大好きでした!」と豪華なコーナーを作ってくださった。
思いがつながると、心が温かくなる。
「できなくなることをありのままに受け止め、でもやりたいことを諦めない」津久井さんの姿勢と思いが、確実につながっている。
繰り返しになるが、人は誰もが「変化」をする。加齢による衰えだったり、病気や怪我もありうるし、「できていたことができなくなる」に直面しない人はいないのではないだろうか。
声を失ってもテレビのインタビューを受ける津久井さんの「工夫」につづき、手が動かなくてもサインを書店様に届ける工夫は、私たちに「できることっていろいろあるな」と改めて教えてくれるのだ。
構成・文/新町真弓(FRaUweb)