「長男教」という言葉がSNSで話題に
2026年5月15日、「長男教」という言葉がSNSを席巻した。きっかけはニュース番組『わたしとニュース』が取り上げたことによる。報道では、長男に教育費をかけるため学歴も年収も高い傾向があること。そして、長男が親と同居や面倒を見ることにより、その妻の幸福度が下がる可能性があることに言及していた。
長男教とは、長男を他のきょうだいよりも過剰に優遇し、特別視する価値観に対する造語だ。背景にあるのは、長男を重んじる儒教や戦前の民法などの影響などが考えられる。かつて日本では、個人ではなく「家」が尊重され、長男が財産の全てを相続していた。
しかし、戦後1947年の民法改正で、すべての子に平等になったが、今も長男だけを特別視する風潮は続いている。これは、会社の事業承継において顕著であり、『中小企業の事業承継に関するインターネット調査』(2023年・日本政策金融公庫総合研究所)を見ると、承継者は「長男以外の男の実子」が5.7%であるのに、「長男」は33.7%と圧倒的に多い。
親が長男を偏重して育てることは、性格形成のみならず、長男の孤立に大きな影響を与える。「長男であれ」を尊重し、個人の性質を無視することは心の病につながることもあるのではないだろうか。
キャリア10年以上、3000件以上の調査実績がある私立探偵・山村佳子さんは、メンタル心理アドバイザー、夫婦カウンセラーの資格を持つ。「長男教の親に育てられた子供は“家族の面倒をよく見るリーダー”という役割を強要されがちです。家の中でも威厳を保たねばならず、それが心の負担になり心の病になることもあるのです」という。
学生時代は警察官を希望していたが、当時は身長制限があり、受験資格はなかった。一般企業に勤務するが、目の前の人を助けたいという思いは強く、探偵の修業に入る。探偵は調査に入る前に、依頼者が抱えている困難やその背景を詳しく聞く。山村さんは相談から調査後に至るまで、依頼人が安心して生活し、救われるようにサポートをしている。
「探偵が見た家族の肖像」に続く山村さん連載「探偵はカウンセラー」は、山村さんが心のケアをどのようにして行ったのかも含め、様々な事例から、多くの人が抱える困難や悩みをあぶりだしていく。個人が特定されないように配慮しながら、家族、そして個人の心のあり方が、多くの人のヒントとなる事例を紹介していく。
今回山村さんのところに相談に来たのは、38歳の会社員・亮次さん(仮名)と34歳の弟だ。「会社を継いだ42歳の兄の行動に困っている」と連絡をしてきた。この兄について話を聞くと、まさに「長男教」の被害者ともいえた。
山村佳子(やまむら・よしこ)私立探偵、夫婦カウンセラー。JADP認定 メンタル心理アドバイザー JADP認定 夫婦カウンセラー。神奈川県横浜市で生まれ育つ。フェリス女学院大学在学中から、探偵の仕事を開始。卒業後は化粧品メーカーなどに勤務。2013年に5年間の修行を経て、リッツ横浜探偵社を設立。豊富な調査とカウンセリング経験を持つ探偵として注目を集める。テレビやWeb連載など様々なメディアで活躍している。
4代にわたって経営する中小企業
亮次さんから連絡があったのは平日の18時でした。「家族のことで困っており、弟と一緒に行っていいでしょうか」と言うので、カウンセリングルームでお待ちすることに。20時にやってきた亮次さんと弟はすぐに「問題があるのは兄なのです」とすぐに話し始めました。
「うちは、4代前から工業用薬剤の製造業をしています。もともと、布団屋だったそうですが、研究好きな4代前が害虫対策を独自に研究し、今の事業につなげたのです」
大正時代に創業し、4代にわたって事業を承継してきました。亮次さんのは、代々長男は幼い頃から「いずれ会社を継ぎ、未来につなげていく存在」として育てられるそうです。だから、祖父母や親が決めた学校に入学し、そこで人脈を培い、卒業することを求められているそう。
「ウチにはそれが“当たり前”なんです。今の時代に全然合っていませんよね。だから、親父は1回離婚している。家を最優先するから、兄の母は逃げちゃったんですよ。僕たちは2番目の妻の子です」
「後妻の子は黙ってなさい」
現在も歌舞伎などの伝統芸術の世界で、一子相伝の世界があることを知っていましたが、会社経営でも長男が偏重されていることを改めて知りました。
「実際に、兄を特別扱いしていたのは、両親ではなく同居する祖父母でした。特に2年前に亡くなった祖母がすごかった。何事も兄優先で、お菓子やおもちゃを買ってきて『お兄ちゃんだから先に選びなさい』と言い、僕たちが不満を言うと『後妻の子は黙ってなさい』と叱る。『立派な跡取りになってほしい』という思いと、僕たちを排除する目的もあったんでしょうね」
父のきょうだいについて聞くと、「父は姉が2人いる末っ子長男です。祖母は曽祖母から、『女しか産めない女腹』といじめられ、ど根性で産んだとか」。家を中心に考える呪いのようなものが、亮次さんの家にあることを確信しました。
中受、高受、大学も失敗
きょうだいで上が優秀だと下がプレッシャーを感じたり、逆は上がしんどい思いをしたりということもあり得ますが、特にこの一族のように「長男は立派な跡取り」が命じられている場合は、そのプレッシャーは計り知れません。実は長男は受験に失敗していました。
「兄は勉強がすごくできるタイプではないんです。それでもすごく頑張ったと思います。祖母は兄を名門大学の附属中学校に『絶対に入学させる』と頑張っていましたが、不合格。高校もダメで、大学には1浪してやっと入ったのです。僕たちも中学受験をしていますが、祖母から『兄が落ちた大学は絶対に受けるな』と厳命されました。まあそこは行きたい学校ではなかったのでよかったんですけど」
父は祖母に対して反論はできません。都合が悪いことがあると、仕事にかこつけて、家を不在にする。亮次さんと弟の母は、「お兄ちゃんと私は無関係」と、同居しながらも祖母とは距離を置いていたそうです。中学受験は親の受験とも言われます。そこで不合格でも得るものがあることはおおいにありますが、それは親のサポートが必須。中学受験のときに実の母がいなかった長男はどのように感じたのでしょうか。中学でも高校でも大学でも自分の偏差値よりも高いところを受け続けさせられたのではないかと想像すると、胸が苦しくなります。
父が弟ふたりを呼び出した深刻な理由
会社の経営は卒業校で決まりません。もちろんいわゆる「いい大学」での教育は素晴らしいものが多いでしょうし、そこで得た知識が経営につながることはあるでしょう。人脈も生きることでしょう。でも大学に進んでいなくても大きな企業の経営をしている方も少なくありません。ただ、長男の場合、言いなりにせざるを得なかった環境で、自由に経営ができるのかは疑問だと感じながら話を聞いていました。
実際その予感は当たっていたようです。
「兄が祖母の期待と愛を一身に受けていたから、まあ、僕たちは自由にやらせてもらいました。好きな大学に入って、希望の会社に就職して楽しくやっていたのに、2年前、100歳を超えていた祖母が亡くなってから、父に『ちょっと会社を見てくれ』と呼び出されたのです」
父は現在70歳で、5年前に会長職になり、兄に事業を承継させているそうです。
「僕はメガバンクに、弟は大手商社にいたので、財務諸表ほか経営状況を見るのはお手のもの。数字を見ると、兄が継いだ5年前から業績が下がっており、優秀な社員が離職している。従業員100人規模の会社で、事業ケイパビリティ(会社の強み)が明確にあっても、この状況が続くといずれ倒産する。また、親父が海外に販路を拡大していたのに、それも進んでいない。思わず『どうしてこんなことに』と驚いてしまいました」
変革に社長がGOを出さない会社
亮次さん兄弟は、家業に対して思い入れが強い。それは就職して銀行や商社という場に出たからこそ、「うちの家業は内容が素晴らしい」と確認ができたことにも理由があるようです。さらに「どうせ兄が継ぐものだから」と諦めていたからこそ、「自分ならこうするのに」と考えていたそうです。
「あとはウチの母が経営者の娘で、経済学部卒のバリキャリってこともあるかもしれません。兄の母は祖母が決めた、おとなしい高卒の女性だったそうですが、僕たちの母は父が一目ぼれして結婚している。祖母も母に対して遠慮していた。そういう環境だったから、僕たちは経営とは何かを考えられるようになったんだと思います」
亮次さん兄弟は、当初は片手間に家業を手伝っていましたが、それでは足りないと、1年前に会社を辞めて入社することに。多くの経営判断を行い、会社の立て直しをしているところだそうです。
「これに兄がいちいち反発するんです。会長(父)も『いい』と言っているのにNGを出す。だから物事が進まない。一応、僕たちも役員なので独断でやってしまってもいいのですが、会社は“法人”という“人格”を持っている。それを形成するのは、トップである兄なのです。不思議なことに、トップがGOを出さない事業はうまくいかないんですよ」
「兄こそ被害者ではないか」
何となくですが、兄はモラハラ的な傾向があるのではないかと思いました。
「その通りです。兄は祖母が勧める女性と結婚していますが、祖母が亡くなってから、兄の妻は『長年モラハラを受けていた』と巨額の慰謝料を求めて別居しています。兄には息子と娘がいますが、この2年間会っていないそうです」
話を聞いていると、兄も長男偏重の家父長制度の被害者のように感じました。両親不在で偏った思想を持つ祖母に育てられ、独善的な性格に育ってしまった。だから、周囲に味方が少ない。
「最初、ムカついていたんですが、最近は僕たちも『兄こそ被害者ではないか』と思うようになりました。幼い頃から、『長男だから』と好きなものを取り上げられ、友人関係も否定されて42歳になってしまった。おそらく、兄も代表を適性がある僕の弟に譲り、別のことをした方が幸せだとわかっている。それなのに、強硬に反抗しているのです」
そこで、兄に諦めてもらうための、根拠を求めているといいます。それが素行調査です。
「僕たちのような中小企業でも、コンプライアンスが求められています。兄は僕たちと違い、容姿端麗なので昔から女性にモテている。別居して2年、女性がいないわけがないんです。浮気をしている証拠を見せれば、トップを譲り役員報酬としてそれなりの報酬を受けつつ、好きなことをすればいい。ここまでやるのは、僕たちには100人近い従業員とその家族の生活……いや、一生がかかっているからです。このタイミングで、経営者としての資質がある弟が、代表になるべきなのです」
このことは、亮次さんの父も「ぜひそうしたい」と話しているそうです。ただ、父は兄に負い目があり、強いことは言えない。だから、亮次さん兄弟に任せているとのこと。私が亮次さんと話していると、私欲から会社を乗っ取ろうという気持ちが全くないことがわかりました。大企業に勤務していた方が、いい生活ができたかもしれないのに、あえて中小企業の家業に入った。そこに強い使命感があると見て、調査を受けることにしたのです。
◇「兄こそ被害者ではないか」この言葉がすべてを物語っている。実の母の不在、養母の距離感、祖母の過多な愛情と締め付け。「悪気はない」としても、長男が息苦しい思いを抱いていて当然だ。まさに今話題の「長男教」の犠牲者といえる。
しかしそれによって4代つづいた会社がなくなってしまっては元も子もない。まずは長男が納得して役員に退けるような材料が見つかるのか、現状を知る必要がある。調査の結果は後編「まさに「長男教」の犠牲者。祖母に跡継ぎの呪いをかけられた42歳長男社長、弟たちが驚愕した「秘密の散財」」にて詳しくお伝えする。