労務相談やハラスメント対応を主力業務として扱っている社労士の私が、企業の皆様から受けるご相談は年々多様化しています。高年齢者雇用安定法により65歳までは雇用が義務化され、さらなる定年延長や定年廃止の動きも高まり、役職定年制度によって元上司が部下となり、元部下が上司になるというケースも少なくありません。
今回は、役職定年を迎えたベテラン社員と年下の上司との間で起きたトラブルについて取りあげます。(なお、ご相談事例は個人の特定を防ぐため、複数のエピソードを組み合わせて再構成したものです)
【前編】『「俺のほうが詳しい」…若手上司を完全無視、制御不能に陥った「役職定年」モンスター化の実態』よりつづく。
制度そのものより「運用」が重要
ここで、実際に起きた具体的な事例で見ていきましょう。
まず、定年延長とあわせて役職定年制度を導入し、高齢層の賃金を大幅に引き下げたことが争われた裁判では、企業側は「人件費の適正化」や「組織の活性化」といった必要性を主張しましたが、裁判所は、特定の年齢層に対してのみ大きな不利益が集中している点を重く見ました。
賃金の減額幅が大きいこと、それに対しての経過措置や十分な代償措置が講じられていなかったこと、さらに経営上の「差し迫った必要性」が認められないことなどから、就業規則の変更としての合理性を否定しています。(参照:みちのく銀行事件 最高裁判平成12年9月7日)。
一方で、役職定年制度が有効と判断された事例もあります。
たとえば、一定年齢に達した管理職を役職から外し、専任職として配置したうえで役職手当の支給を停止したことが争われた裁判では、制度の目的が「役職人事の円滑化」や「若手登用による組織活性化」にあり、その内容も社会通念上相当であるとして有効と判断されています。
この裁判では、役職から外れることについては企業の裁量の範囲内とされ、雇用が継続されていることや制度として一定の合理性が認められることが重視されました。(参照:ハナマルキ事件 東京地裁判令和2年8月28日)
ふたつの代表的な事例をもとに整理すると、裁判所が線を引いているのは、「役職を外すことの是非」ではなく、「それに伴う不利益が合理的な範囲にとどまっているかどうか」という点です。つまり、役職定年制度の是非は、次の観点から検討される可能性が高いです。
・若手登用や組織活性化といった目的があるか
・特定の層に過度な不利益が集中していないか
・賃金減少に対する配慮や経過措置があるか
・制度導入にあたり十分な説明や協議が行われているか
役職定年後の配置が曖昧であったり、実質的に「格下げ」と受け止められるような処遇となっていた場合、制度としては許容されていても、個別の運用が問題視される可能性があります。逆に、役割や期待される職務が明確にされ、本人の経験や専門性を活かす形で配置されていれば、不利益の程度は限定的なため評価されやすくなります。
裁判例の傾向から見えてくるのは、役職定年制度は一律に適法・違法と判断されるものではなく、個別具体的な事情に応じて評価が分かれます。
役職定年によって形式的に役割が整理されていたとしても、現場における権限や役割の認識が一致していなければ、組織としての指揮命令系統は、かんたんに揺らいでしまいます。そして、T社のトラブルもこの点がそのまま当てはまります。
制度の設計だけでなく、その後の運用まで含めて考える必要性を、改めて意識しておきたいところです。
裁判所が見ている「判断の軸」とは
では、今回の事例に戻ってみましょう。
問題の本質は、たんに「元上司と元部下の関係が逆転したこと」ではありません。「労働者が上司の指揮命令に従わない」という状態が組織内で生じてしまったことです。
労働契約の基本は、労働者が使用者の指揮命令のもとで働くことにあります。企業組織においては、その指揮命令は上司を通じて具体化されます。年齢や過去の関係にかかわらず、現在の上司の指示には従う義務があるというのが原則です。
今回のケースでは、Bさんの指示は、取引先からのクレーム対応という明確な業務上の必要性に基づくものでした。にもかかわらず、それに従わないCさんが、独自の判断で現場に指示を出していたことは、結果として指揮命令系統を崩し、組織の統制を乱す行為と評価されます。
特に問題となるのは、
・上司の指示と異なる行動をとっていること
・その影響が現場のほかの従業員に及んでいること
・結果として「誰の指示に従うべきか分からない」状態を生んでいること
といった点です。これらは、たんなる意見の相違ではなく、組織運営上の問題として扱われる可能性が高いからです。
もっとも、このような事例はT社に限らず見られることです。しかし、裁判所が重視するのは、当事者の感情ではありません。あくまでも具体的な事実関係です。
「元上司である」「長年の功労がある」「納得できない気持ちがある」といった事情は一定程度考慮されるものの、指示に従わないことが正当化されるわけではありません。
裁判所では、たとえば、次のような点が総合的に検討されます。
・指示に業務上の必要性があったか
・その指示の内容や方法が合理的であったか
・指示に従わない行為が組織にどのような影響を与えたか
・当該行為が一時的なものか、継続的・反復的なものか
・会社がどのような対応を行ったか
つまり、「誰が正しいと思っているか」ではなく、業務として合理的であったか、組織として適切であったかが判断の軸になります。
これらを踏まえると、今回のケースでは大きく次の4点をとどめておく必要があります。まずひとつ目は、「役割の明確化」です。役職を外したあとの職務が曖昧なままでは、今回のように指揮命令系統が混乱してしまいます。
・誰の指示に従うのか
・どの範囲で裁量があるのか
役職定年制度を設けるのであれば、この点を明確にしておく必要があります。
ふたつ目は、役職定年者に対する「不利益の程度への配慮」です。賃金の減少幅が大きい場合や、 実質的に「格下げ」と受け止められるような配置は、合理性が否定されるリスクが高まります。
3つ目は、「役職手当廃止に伴う代償措置の検討」です。急激な給与減額にならないよう専任職手当を設けるなど経過措置を検討したり、職務給の見直しなど、労働者が受ける不利益を緩和する措置が重要となります。
そして4つ目。じつはこれがもっとも重要です。それは「丁寧な説明と合意形成」を行うことです。
制度導入時だけでなく、配置変更時や職務変更時にも本人への説明と納得形成が不可欠です。役職定年制度の自社における意義や必要性、その時期や待遇の変化については、就業規則の周知徹底を図るとともに、わかりやすい説明をして理解してもらう必要があるでしょう。
懲戒処分する前に会社がやるべきこと
相談の時点では、Aさんは当初Cさんの行為について懲戒処分を含めた対応を検討していました。議論を重ねたすえに導入した制度が、適切に機能するかどうかの分水嶺でもあり、また社内で存在感のあるCさんの言動の影響も無視できない状況であったためです。
「CのBに対する態度は許容できるものではありません。でも、私たちとしては、できれば懲戒はしたくないんです。BもCも優秀な社員で、どちらもT社にとっては必要です。ですが、ほかの社員の手前、Cだけを役職定年のルールから外すわけにもいきません」
「そうですね。Cさんを役職者にすることはできるでしょうが、社内的にはより混乱の原因になりますし、例外を認めると役職定年制度自体が形骸化するリスクもあります。Cさんに懲戒を科すことも選択肢には残るでしょうが、まず一度、人事権の行使の範囲内で対応できないか検討されてはいかがでしょうか?」
Aさんはしばらく考えた後、まずはCさんと対話する時間を設けると言って帰られました。後日、3時間ほどかけてCさんと向き合ったそうです。
そのなかで見えてきたのは、Cさんの不満の所在が、必ずしもBさん個人に向いているわけではないことでした。むしろCさんは、「長年、部署内でリーダー格だった自分が、現場の一プレイヤーとして作業を行うこと」そのものに違和感や不満を抱いていたのです。
「自分は会社に反抗したいわけでも、B課長を認めていないわけでもない。技術指導として残ってほしいと言われたから残ることにしたのに、実際には育成とは名ばかりで、新人と同じような作業員としての仕事しか与えられないことが不満だ」
Cさんが吐露した不満は、Bさんとの関係ではなく「役割の変化」でした。そこでT社は、対応の方向性を見直すことにしました。役割そのものの再設計を試みたのです。
・Cさんを現場のプレイヤーとしてではなく、育成に特化した役割へシフトすることを前提に、作業的業務についてはOJTを基本とする
・社内研修の講師として若手教育に関わってもらう
・営業部門とも連携し、顧客への技術提案などにも関与してもらう
・役職定年前に担っていた各種会議への出席、責任者として客先対応は行わない(ポジションの名目と実態の一致)
加えて、物理的にもBさんとの接点を減らすため、業務の分担を見直し、両者が直接関わる時間を意図的に減らす措置を取りました。その結果、現場での衝突は徐々に収まり、組織としての統制も回復していきました。
さらにT社は、Cさんの件を重く受け止め、これらの運用を全社的に行うことにしました。役職定年者を元の部署に戻す場合は、若手育成にのみ限定し、給与も責任の範囲に見合うだけに留めること、社内での新たな役割を明確にしたうえで、個別に伝えることを徹底したのです。
「制度だから」と機械的に運用するのではなく、個別に面談し、本人が希望すれば早期退職の選択肢や、資格取得支援を行うことも決まりました。今後は役職定年を迎える社員向けのキャリア研修も検討しているそうです。
この事例から見えてくるのは、役職定年制度において重要なのは「制度」そのものではなく、「運用」であるという点です。
裁判例を踏まえても、企業が押さえておくべきポイントは明確です。制度の目的が合理的であること(若手登用・組織活性化など)や特定の層に過度な不利益が集中していないことなどの制度設計上の論点もありますが、運用においてもっとも重要なのは役職定年後の役割をどう設計するかということです。
役割が曖昧なままでは、T社のように指揮命令系統の混乱や現場のモチベーションの低下、感情的なものも含め組織内の対立が生じやすくなります。
一方で、本人の経験や強みを活かし、明確な役割を与えることができれば、不利益の程度は限定的となり、制度は機能しやすくなります。
役職定年は、たんに「ポストを外す制度」ではなく、キャリアの再設計を伴う制度です。その視点を欠いたまま運用してしまうと、このような問題が繰り返されていきます。
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