昨年12月に全8巻が完結した「地中海世界の歴史」が注目を集めている。メソポタミア、エジプトから、ペルシア帝国、ギリシア都市国家を経てローマ帝国まで、4000年にわたる古代文明史を一人で執筆した大作だ。古代史は現代人に何を教えてくれるのか。そこから得られるのは、単なる史実の羅列やウンチクにとどまらないのだ。
各紙誌注目「宿願の大作」
メソポタミア文明からローマ帝国までを「地中海文明」という大きな視野でとらえた「地中海世界の歴史・全8巻」(講談社選書メチエ)の完結のニュースは、一般紙誌などでも大きく取り上げている。読売新聞が、著者・本村凌二氏と東洋史研究者・岡本隆司氏の対談「地中海と中国 対照的な文明発展」を掲載(2月17日付)したほか、月刊誌Voiceの4月号や日本経済新聞が本村氏のインタビューを記事化した。
〈4000年の古代史を1人の歴史家が描き出す壮大なシリーズがこのほど完結した。著者の本村凌二(78)にとっては、宿願の大作だ〉(日経新聞3月10日付夕刊)
特に注目されているのは、このシリーズが現代人にとっての「古代史の意味」を深く問いかけている点だ。
〈地中海世界という一つの文明を、ある典型として捉えることができれば、「その後の人類の文明を変異(バリエーション)として見通せるんじゃないか」という壮大なもくろみもある。〉(同紙)
ひとつの文明の起承転結を観察し、自分の内側に「文明盛衰の尺度」を持てば、それと照らし合わせることで、いま我々がどういう時代にあるかがみえてくる――というのだ。
たとえば本村氏は、地中海世界の4000年史の中で、多神教から一神教への転換で生じた「心性の変化」をきわめて大きな「人類史の旋回」とみている。一神教がもたらした倫理観と規律が、その後の歴史と文化に与えた影響は計り知れないからだ。そうした尺度からは、現代社会の変化もまた、違う角度でみえてくる。
〈「現代でも、人工知能(AI)に判断を委ねてしまう心性の根底には、古代の信仰の名残がある。わたしたちはいまだに、古代の枠組みにとらわれているのかもしれない。そのことに気づけていないだけで」〉(同紙)
現代は、数百年あるいは1000年に1度の「文明の転換期」ともいわれる。しかし、そうした1000年単位の文明の変貌はどのように訪れ、感知することができるのだろうか。それを知るためには、古代にさかのぼって数千年の歴史を深く見つめるしかない。人類の文明史5000年のうち、8割は古代なのだ。
このシリーズ「地中海世界の歴史」のなかで、こうした「古代からの視線」は現代のアメリカにも向けられている。
交錯する古代ローマと現代アメリカ
2009年1月20日、アメリカ合衆国に史上初めての黒人大統領が誕生した。バラク・オバマ氏である。「歴史の大転換」として世界中が注目し、期待にあふれていたことを思い出す人は多いだろう。初代大統領ジョージ・ワシントンからは、200年余りの年月が経っていた。
ところが、同じようなことは、古代ローマでも起こっている。
紀元前27年、ローマ帝国の初代皇帝となったアウグスティヌスは生粋のローマ人であり、白人種だった。それから200年余りが過ぎた193年、アメリカと同じ年月を経て皇帝となったのが、セプティミウス・セウェルスというセム系の有色人種だったのだ。北アフリカ出身のセウェルス帝にはカルタゴ人の血が流れており、強い訛(なま)りのあるラテン語を話したという。
この時代、肌の色の違いがどれほど差別の対象となっていたかははっきりしないが、リビア人と総称される北アフリカの人々には、傭兵や剣闘士、芸人、料理人などの職にある下層民が多かったことが史料からわかっている。
〈このような下層民を多くかかえる属州地からローマ皇帝が出現したのである。セウェルス帝はもはやローマの伝統やイタリアの優位さに配慮する必要など感じなかった。彼の目にはすべての地域が平等であり、全体としての帝国があるだけだった。古来の由緒ある特権を遵守する根拠などどこにもなかった。〉(第7巻『平和と繁栄の宿命』p.275-276)
このセウェルスの治世は、伝統と秩序を破壊した野蛮な時代ととらえることもできるし、伝統と差別の枠を取り払った空前の民主化時代と見なすこともできる。
〈ところで、オバマ以後のアメリカは、トランプ大統領の登場で2009年に世界に与えた期待感に翳りがさしたとはいえ、将来はまだ未知数である。だが、ローマ帝国の行く末ならわかっている。〉(同書p.276)
軍人給与が高くなり国家財政を圧迫する。貨幣価値の低下に歯止めがかからず、金融危機が誘発された。経済危機から生じる混乱に乗じて、辺境にいたゲルマン人も侵入し、東ではササン朝ペルシアの侵攻に悩まされる。軍隊に後押しされた皇帝が乱立し、「軍人皇帝の時代」「三世紀の危機」とよばれる時代に突入していくのである。
アメリカ合衆国の金融危機が世界中に深刻な影響を及ぼし、欧米各国が移民政策に苦悩し社会の分断が著しい昨今では、ローマ帝国の経験はなにやら示唆するものがあるのではないだろうか――と、本村氏は述べている。
〈歴史とは何か、何によって動くのかを全体的に考え解釈する「歴史観」にとどまらず、歴史のなかに現在を見出し、現在のなかに歴史を感じ取る、いわば「歴史感」をも研ぎ澄ますべき同時代史の渦中に、私たちは生きているのかもしれない。〉(同書p.277)
「歴史観」を刷新するだけでなく、「歴史感」を磨く。大きな一つの文明の誕生から終焉までを読む体験は、読者の内部に新たな尺度と感覚をもたらしてくれるだろう。
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