今、社会問題となっているクマによる被害。「クマなど絶滅させてしまえばいい」と主張する人がいる一方、「クマは自然の中で重要な役割を果たしている」と擁護する人もいる。私たちはこれから、クマとどう付き合っていけばよいのか。著書に『クマは都心に現れるのか?』がある動物学者の小池伸介氏が答えを出す。
「絶滅させてしまえばいい」という極論
最近よく耳にするのが「クマなど絶滅させてしまえばいい」という極論である。九州ではクマが絶滅した。これを受けての極論なのだろう。
では実際、クマが少なくなりすぎた場合、あるいは完全にいなくなった場合、どういったことが起こると考えられるのか。これはよく私のような研究者に寄せられる質問である。
私はもともとクマの生態そのものではなく、植物の種子(タネ)を運ぶというクマの生態系における役割の研究をしていた。そのため、愛護団体の人々はよくこの研究を引用して「クマは自然の中で重要役割を果たしているから大事なんだ」と主張する。
一方、絶滅推進派の人々は「九州のクマはいなくなっても九州の森はあるじゃないか」と反論する。この両者はよく激突し、私にも問いが突き付けられることがある。
森がどうなるかはすぐにわからない
私の答えはこうだ。確かにクマは植物の種子を運ぶという役割を持っている。他の鳥やサルに比べると非常に広い範囲で、非常にたくさんの種子を運ぶ。
森の中の植物の繁殖を助ける上で、他の種子の散布動物が持っていない役割をクマが果たしているのは間違いない。つまり、森が森であるためにはクマも必要な存在であると言える。
だが、九州からクマがいなくなってまだ80年しか経っていない。植物の寿命は100年、200年だ。植物の世代交代は、気の遠くなるような時間軸で繰り広げられる。
毎年毎年果実を何万粒も実らせ、種子を動物や風を使ってどこかにまき、その中から一粒か二粒でも根付いて成長してくれれば、世代を更新できて大成功というようなことを連綿とやってきたのだ。
そう考えれば、クマがいなくなってたかが80年程度で「ほら森があるじゃないか」と言われても、クマがいなくなっても影響がないのか、あるいはその影響が今後あるのかという判断はまだできない。
クマが本当にいなくなった場合、日本の森がどうなるのかは、おそらく500年、1000年経たなければわからない。森が維持できるかできないかというのは、人間のタイムスケールで測ることは難しいのだ。
生態系は人間が思うようには動かない
これらのことは常に野生動物管理の議論になるが、自然の変化は私たちの予想もつかないような時間の長さや規模で起きる。そして、変化に気付いたとき、私たちはもう取り返しがつかない状態になってしまっている。
気候変動や異常気象は、まさにこの問題が顕在化したものだ。だからこそ、予防的に措置しましょうという考え方が正解なのである。
現在、シカやイノシシが増えすぎて農作物への被害が深刻になっている。中には「シカが増えすぎたからシカを捕食させるためにオオカミを放せ」と主張する人もいる。しかし、これも暴論だ。
生態系は人間が思うようには動いてくれない。奄美大島のハブとマングースの話を思い出してほしい。ハブを駆除するために導入されたマングースは、ハブではなく希少な在来種を捕食し、その駆除に膨大な費用と手間がかかった。生態系を人間の都合でいじって、人間の思う方向に変えようというのは、とてもではないが無理な話だ。
野生生物がいなくなってから回復しようと思っても難しい。だからこそ、人間と野生生物との持続的な共存をこれからも目指していくしかない。長い自然の歴史を考えれば、答えは自ずからわかる。予防的に考えて共存していくしかないという知恵を、人間もようやく持ち始めてきたのだ。
クマと共存する道を真剣に考えるべき
彼らが完全にいなくなってしまった後では遅い。そうならないうちに共存する道を考えなければならない。もし人間が自らを万物の霊長だと思い上がっているのだとしたら、それこそ自分たちの知恵で解決すべきである。
クマが絶滅に瀕している四国の状況だけを見ても、日本はこの現状を国として深刻に受け止める必要がある。他国は大型獣をどう守るかという議論を真剣にしている中、21世紀の先進国でクマほどの大型哺乳類が絶滅しようとしている地域があるのは、国際的に見ても非常に恥ずかしい。
すでに九州はクマが絶滅してしまった。国際的に、日本は野生動物を本当に管理できているのかと、その姿勢や真剣度、本気度が問われている。残念ながら、日本人にはこうした自覚がほとんどない。先進国としての自覚が欠けているとしか思えない。
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