日本中を熱狂させたWBC。大会連覇を狙っていた日本代表「侍ジャパン」だが、アメリカ・フロリダ州マイアミで行われた準々決勝で強豪・ベネズエラに5-8で敗れ、準々決勝敗退が決まった――。
村上宗隆や岡本和真ら若きサムライたちはどんな青春を過ごしてきたのか。まだ何者でもなかった彼らを知る関係者たちが証言する。
【前編記事】『日本を破ったベネズエラは「ヤマモトの強メンタル」を理解していた…関係者が明かす、山本由伸の“まだ未熟だった”青春時代』よりつづく。
「“ムネ”は野球の才能以上に…」
ヤクルト時代、プロ野球史上最年少の22歳で三冠王を達成した「村神様」こと村上宗隆(26歳)は、昨年末にホワイトソックスと契約を結んだ。
父親は、熊本県熊本市で不動産業を営むことで地域では名の知れた資産家だ。野球指導にも熱心で、村上が中学時代に所属していた「熊本東リトルシニア」の副会長を現在も務めている。チーム監督の吉本幸夫さんが、こう語る。
「お父さまは野球経験者で、お母さまは身長170センチメートル近くあるバレーボール経験者。そのDNAなのかムネ(宗隆)の兄と弟も身体が大きかった。
ムネの飛ばした打球が練習場近くの民家や農家の屋根を壊したことは、伝説として語り継がれています。よくムネのご両親が手土産を持って謝りに行っていました」
中学卒業後には地元の九州学院高校に進学。1年夏から4番ファーストで甲子園に出場するなど大活躍を果たした。
恵まれて育った村上だが、それを鼻にかけることはなかったという。九州学院時代に監督として村上を指導した坂井宏安さんは、こう語る。
「ムネは自宅からグラウンドまで約13キロの距離を毎日自転車で通っていました。何ごとも一生懸命なんです。私が技術以上に徹底させたのは『人間教育』で、主力選手たちはグラウンドのトイレ掃除をするのが伝統。ムネは、文句を何一つ言わず素手でトイレ掃除を3年間もやっていました。
そのせいか、野球の才能以上に人間性が際立っていました。謙虚で明るくて、練習でも試合でも声を出す。そして誰より早く練習に来ていた。昔からキャプテンシーに優れているんです。こうした姿勢が、いまのムネを支える土台になったのでしょう」
岡本は「背中で語る実直な男」
村上と同じ日本屈指のスラッガーで、今年からはブルージェイズでプレーする選手といえば岡本和真(29歳)だ。長年、巨人で「不動の4番打者」として君臨してきた男は、小学生のときから地元でその名を轟かせていた。投手だった小学3年生のとき、球速100キロを出していたという。
岡本が中学時代に所属していた、地元・奈良のチーム「橿原磯城リトルシニア」会長・松本宗弘さんはこう語る。
「最初から『この子はプロに行く』と思っていました。ただ、プレーをしていないときは優しくておっとりした子です。普段はマイペースだけど、打席に入ったときの集中力は飛びぬけていました。
あとは、目標が絶対にブレない子ですね。小学生のときから『地元の智辯学園でライバルの天理高校に勝ち、甲子園に行く』と話していましたが、実際に成し遂げています。高校の寮には絶対に入りたくなくて、家から自転車で行けるというのも、智辯を選んだ理由の一つと聞きました(笑)」
言葉ではなく、プレーで実力を証明する。いまでこそそんな岡本の人間性は有名だが、その姿勢は昔から変わらないという。松本さんが続ける。
「正直、岡本が飛びぬけて練習をしていた記憶はありません。ただ、いつも手には大きなマメを作っていました。陰でかなり素振りをしていたんだと思います。キャプテンもやりたがらず、自分がプレー以外で前に出ることを嫌がっていた。人に努力を見せたりせず、背中で語る実直な男だったのです」
肋骨を痛めても組体操には強行参加
最後に紹介するのは、カブスの鈴木誠也(31歳)だ。’12年にドラフト2位で広島に入団し、プロ4年目の’16年に大ブレイク。セ・パ交流戦で決勝本塁打を3試合連続で放つと、緒方孝市監督(当時)は「神ってる」と大絶賛。同年の流行語大賞にも選ばれた。
そんな鈴木の地元は、東京都荒川区町屋。中小の町工場が今も多く残るエリアとして有名だ。「下町の星」として町屋の住民から愛されている鈴木は、少年時代のエピソードも昭和の匂いがする。所属していたチーム「荒川リトルシニア」事務局長の石墳成良さんは、こう振り返る。
「私は金属加工工場の経営にも携わっているのですが、誠也が4年生のときに彼の父親から『細い鉄のバットを作れないか』と相談されました。そこでスチールパイプを切って、グリップだけつけた物を渡したんです。それからは、鉄パイプを使ってゴルフボールを打つ練習を始めました。
父親と二人で練習をしていたのが印象的です。(プロ入り後の)オフに工場の敷地内で二人でティーバッティングをしたことがあって『もうちょっとピッと投げてよ!』と誠也が言えば、父親が『うるせーな!』と返す。よく親子喧嘩していましたね(笑)」
鈴木が中学生のときに担任を務めていた山口優さんは、当時の様子についてこう語る。
「とにかく元気のいい奴でした。学校行事の組体操で、四段タワーを作ることになり、誠也には大事な土台(一番下)を任せたんです。ところが、直前に野球で肋骨を痛めてしまった。それで『どうする?』と聞いたら『いや俺、やりますよ!』と即答したんです。コワモテのお父さんも『先生、やらせてやってよ』と言っていました。とにかく気持ちの強さは昔から変わっていないようです」
今でも親交の深い荒川リトルシニア時代のチームメイト、松村健さんは、鈴木の意外な一面を明かす。
「メジャーリーガーになっても、誠也は中学生のころから変わっていません。シーズンが終わって地元に帰ってくると、あの頃と同じようにサイゼリヤにご飯を食べにいきます。また誠也は、中学生のころから負けられない試合のほうが楽しそうにプレーするんです。去年のカブスのポストシーズンも、テレビで見ていて楽しそうにしてたので、この前会ったときに聞いてみたら『楽しい』と笑っていました。WBCも誠也が楽しそうに野球してるので、見てて羨ましいです」
栴檀は双葉より芳し。ニッポンの若武者たちは、若い頃から逸話を残していた。
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「週刊現代」2026年3月30日号より