大阪府北部、三島(みしま)地域と呼ばれる高槻市や茨木市は、古代日本の古墳文化が花開いた場所だ。3世紀中頃の古墳時代前期から7世紀の飛鳥時代まで、大小合わせて約700基の古墳が造られた。その中には、実在が確定し、現在の皇室につながるとされる継体(けいたい)天皇が眠る今城塚(いましろづか)古墳の他、飛鳥時代のスーパスター・藤原鎌足の墳墓もあるという。驚きに満ちた高槻古墳ワールドを訪ねた。
テンション爆上がりの今城塚古墳
大阪は、あちらこちらに古墳がある。
2021(令和3)年度の文化庁の資料によると、全国にある古墳13万8474基のうち、大阪府には3118基ある。世界三大墳墓のひとつ、堺の大仙陵(だいせんりょう)古墳を中心とする百舌鳥(もず)・古市(ふるいち)古墳群をはじめ、市内にも帝塚山(てづかやま)古墳や聖天山(しょうてんやま)古墳などが残っている。
いくつか古墳を見に行ったことはあるが、小さいものだと盛土の表面に芝生や樹木が植わっているだけでふーん、という感じ。大型の古墳になると、濠(ほり)に囲まれた林やなぁと思うくらいで、考古学ファンが聞いたら叱られそうな感想しか持てなかった学術的センスゼロの私であるが、大阪府高槻市の今城塚(いましろづか)古墳は違った。
「めっちゃかわいい♡」のである。
最寄り駅のJR摂津富田駅から徒歩約25分。女瀬川(にょぜがわ)沿いに北上した東側にある史跡 今城塚古墳は、聖徳太子の曾祖父・継体天皇の墳墓とされる。6世紀前半に築かれた前方後円墳で、墳丘は全長181メートル、濠の部分を合わせると総長約350メートル。淀川流域では最大の古墳で、現在は市民公園となっている。
天皇陵(大王墓)でありながら内部を自由に歩きまわれる古墳は、国内ではここだけだ。また、毎年11月には古墳や埴輪(はにわ)好きな人々約4万人が集まる大イベント・古墳フェス「はにコット」も開催される。
濠沿いを歩いていると、テラコッタ色の不思議なものが見えてきた。家や人物、動物などを象(かたど)った形象埴輪が約190点、整然と並べられている。これらは4つのエリアに区画され、1区には家の埴輪、2区には太刀や甲冑(かっちゅう)、巫女(みこ)など、3区には日本最大の家形埴輪や盛装した男子、4区には力士や武人、水鳥や馬、牛などが置かれていて、当時の祀り・儀礼の様子を再現しているという。どれも非常に精巧で立派なものだ。動物や人の埴輪は、ぽわんと脱力した表情が何ともかわいい。
これらは今置かれている場所の地下50cmに埋まっていたもので、発掘調査で確認された場所に複製を配置している。その事実にも驚きだが、何より古代の人々が作った埴輪の造形の妙に、胸を射貫かれてしまった。カワイすぎるやん。
発掘された出土品が並ぶ今城塚古代歴史館
今城塚古墳から北へ歩くこと約1分。今城塚古墳の形象埴輪群像の実物や、高槻市内の遺跡からの出土品約550点を常設展示する今城塚古代歴史館がある。入館無料で撮影自由、多くの出土品はケースなどに入れることなく、間近に鑑賞することができる。何とも太っ腹な施設だ。
「三島の古墳群は、古墳時代の前期から終末期までの各時期を代表する古墳があるのが特長です。今城塚古墳の発掘調査で分かった古墳造りの様子を実物大のジオラマで展示している他、三島古墳群から出土した副葬品や土器などをご覧いただき、古代の高槻を知ってもらう施設として2011(平成23)年4月にオープンしました」(高槻市街にぎわい部文化財課副主幹・内田真雄氏)
歴史館に入ってすぐの部屋では、三島の古墳時代前史を映像で解説している。
この地域には、約2万年前の旧石器時代のキャンプ地とされる郡家今城(ぐんげいましろ)遺跡があるかと思えば、約2500年前の弥生時代前期の稲作技術を持った人が拓いた環濠(かんごう)集落・安満(あま)遺跡もあり、多数の弥生土器や農具、勾玉(まがたま)などが見つかっている。古くから多くの人が暮らし、発展を遂げた三島地域には有力な首長、王と呼ばれる支配者が生まれた。
彼らが自らの力を誇示するように、ハニワなどで装飾した大きな墓=古墳を造るようになる。古墳時代の到来だ。
次の展示室では3世紀中頃から4世紀代、邪馬台国(やまたいこく)の時代に築造されたと考えられる安満山(あまみやま)古墳から出土した鏡や、古墳時代の前期に三島地域を治めた王(豪族)の古墳から出土した副葬品が展示されている。卑弥呼(ひみこ)が魏の国から贈られた銅鏡百枚の一部とされる三角縁三神三獣鏡や、日本最古の紀年銘鏡(年号を鋳出した鏡)の青龍三年銘鏡も。冒頭からこれほどのお宝を見ることができるとは!
巨大古墳の埴輪は高槻で造られた
5世紀に入ると堺の大仙陵古墳に見られるように古墳が巨大化、淀川流域の三島地域でも巨大古墳が造られる。代表的なものが長さ226mの太田茶臼山(おおだちゃうすやま)古墳(茨木市)だ。
古墳で使われた埴輪は、高槻市の新池(しんいけ)遺跡にあったハニワ工場で作られたものだ。巨大古墳の墳丘や濠、それらを巡る堤の上に並べた埴輪は何千本にもなるので、当時の一大事業だった。
これらの遺跡から出土した展示品を見ていると、埴輪も須恵器(すえき)などの土器も年代が進むにつれて技術が進んでいくのがわかる。埴輪を焼いていた窯(かま)の断面からは補修の回数も知ることができるそうで、焼きもの好きにとってはたまらない。
次の部屋に入って、「わぁ!」と声を上げた。上半身裸の人が石を積んでいる。今城塚古墳の築造風景を実物大で再現したジオラマだ。驚くほどリアルなのも当然で、実際に発掘された石が使われている。
平たい台地の上にある今城塚古墳はまず濠を掘り、その土を盛り上げていく方法で造られた。ザルのようなものに土を入れ、ひっくり返して土を積んだ様子が古墳の断面からうかがい知ることができる。
土を17m余りの高さに積み上げるだけでは、土そのものの重みで崩れてしまうので、盛土の中に埋め殺しの石組みや排水溝を作ったり、風雨で土が流出しないよう表面に石を葺くなどの工夫がされている。
形象埴輪群像の実物とご対面
そして、今城塚古墳公園で見た形象埴輪群像の実物とご対面。やはり、本物が放つオーラは違う。約1500年前に作られた埴輪たちは、想像以上にイキイキとしている。
「今城塚古墳の形象埴輪群像は、配置が分かる状態で発掘されたことが大きな意味を持ちます。というのも、埴輪はひとつひとつの形が特徴的で面白いので、単体でも大きな価値を持っていますが、どのように配列されていたかが明らかになることで、それぞれの埴輪が持つ関係性や意味などが見えてきたのです。
形象埴輪群像が堤の外の張り出した部分に並べられていた理由は、外から一番よく見える場所に置き、人々に見せつけるためでしょう。当時は文字がない時代ですから、埴輪で物語を語る、知ってもらうという意味で並べたのではないかと思われます」(内田氏)
日本各地の「ブランド石」が石棺に使われた
形象埴輪群像が展示されている室内中央には、今城塚古墳に収められていた3つの石棺(複製)が鎮座している。これらは熊本・宇土(うと)の阿蘇ピンク石、兵庫・高砂の竜山石(たつやまいし)、そして大阪・奈良にまたがる二上山白石(にじょうさんしらいし)と、採掘される場所も色も違う凝灰岩(ぎょうかいがん)が使われている。
特に石をくり抜いて造られた阿蘇ピンク石の石棺は、箱の身(側石)の上端に凸部、蓋石(ふたいし)の縁に凹部(溝)を設け密閉性を高める印籠式(いんろうしき)石棺で、古代の人々の石工技術の高さがうかがえる。
九州、兵庫、そして奈良からここまで、いったいどうやって運んできたのか。日本のピラミッド・古墳を巡る謎は尽きず、興味がふつふつと湧いてくる。
藤原鎌足の墓もあった!
歴史館の最終展示室では、阿武山(あぶやま)古墳の出土品(複製)が展示されている。昭和9(1934)年、京都大学地震観測所を建設する際に偶然発見された阿武山古墳は、盛土をせず、周りに浅い溝を円形に掘ったもので、地下2mに石室が置かれていた。中にはきらびやかな錦をまとった60代くらいの男性の遺体と、青と緑のガラス玉を綴(つづ)った玉枕(たままくら)や、金糸で刺繍(ししゅう)された最も高い位の冠・大織冠(たいしょっかん)が入っていたという。
「当時は、天皇家につながるであろう高貴な人の墓を発掘調査するのは憚(はばか)られ、すぐに埋め戻されました。しかし後年、発掘時に撮影されたX線写真が見つかり調査が進みました。古墳のふもとを流れる安威川(あいがわ)流域には、鎌足の出身氏族・中臣(なかとみ)氏の領地があり、鎌足をお祀りしているお寺や神社もあることを考え合わせると、被古墳の主は藤原鎌足と思われます」(内田氏)
何と最後は、大化の改新の藤原鎌足に辿り着いた。料理に例えるなら、オードブルから最後のメインディッシュまで怒濤(どとう)の展開で、素晴らしすぎる。奈良時代以前の日本史は、学校で習った時は、何だかむにゃむにゃとよくわからなかったが、俄然興味が湧いてきた。是非、NHKで大河ドラマ化してほしい。
まだあった! 古代のハニワ工場(こうば)公園
今城塚古墳と今城塚古墳歴史館を訪れてお腹いっぱい、展示内容に大満足したが、まだ終わらない。歴史館から約1.7km北西に、古代のハニワ工場があるという。その名もハニワ工場(こうば)公園(新池(しんいけ)遺跡)。入口付近には、すべり台など子どもの遊具もある普通の公園の奥に、古代のハニワ工場が復元されている。周りはマンションが建ち並んでいて、新旧の建物のコントラストが何とも不思議な感じだ。
ここで発掘された古代のハニワ工場からは、埴輪を焼く窯18基と工房3棟の他、工人(埴輪を作る人)の住居が見つかった。斜面に溝を掘って天井を架けて窯をつくり、そこに埴輪を並べて焼いたと思われる。当時、この工場は日本最大規模を誇り、東海や関東の工人たちも研修に訪れ、地元に帰って埴輪作りに従事していたそうだ。5世紀中頃から約100年間稼働する中で、太田茶臼山(おおだちゃうすやま)古墳や今城塚古墳の埴輪も、ここで作られた。公園内では、今城塚古墳の埴輪を焼いた第18号窯が発掘当時のまま展示されている。埴輪を作ったところ、実際に置かれていた場所、そして実物の埴輪を徒歩圏内で見ることができるのはすごいと思う。日本の、高槻の古墳に興奮、そして大感動である。
人気テレビ番組『なるほど・ザ・ワールド』や『世界不思議発見!』でエジプトのピラミッドがよく取り上げられていたが、日本の、高槻の古墳も負けず劣らずめっちゃすごい。
「なるほど・ザ高槻古墳ワールド」、是非一度、体験してほしい。
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史跡今城塚古墳
〒569-1136 大阪府高槻市郡家新町地内
高槻市立今城塚古代歴史館
〒569-1136 大阪府高槻市郡家新町48-8
電話:072-682-0820 FAX:072-682-0930
https://www.takatsuki-kankou.org/imashiro-daio/
開 館:10:00~17:00(入場は16:30まで)
休館日:月・祝日の翌平日、年末年始(12月28日~1月3日)
入園料:無料
ハニワ工場公園(史跡:新池ハニワ製作遺跡)
〒569-1044 大阪府高槻市上土室1丁目