稲泉連さんの『サーカスの子』が講談社文庫から刊行されました。子供時代にサーカスで暮らした稲泉さんが記録する、かつて存在した芸人たちの風景は、仮にサーカスを知らずに育った人々にとっても不思議と懐かしさを感じてしまう魅力があります。なぜ、そんなことが可能なのか。『口訳 太平記 ラブ&ピース』をはじめ、あらゆる日本の過去の風景を見つめ、現代に蘇らせてきた小説家・町田康さんによる文庫解説を特別公開します!
※ウェブ転載にあたり、一部再編集を行いました。
本書がなければ絶対に知りえなかったこと
降る雪や明治は遠くなりにけり、という俳句は昭和の初め頃に拵えられたそうだが、今、この文章を書いている私が子供だった昭和四〇年頃でも、「明治は遠くなりにけり」と慨嘆する大人がまだあった。それほどに遠く去った時代を懐かしむ気持ちがこの言葉に強く表れてあるということなのだろう。
その感じで言うと、平成の時代はそうでもなかったのが、年号が令和と改まってからこっち、昭和は遠くなりにけり、という感じが凄くするのは、ただ単に自分が年を取ったからではなく、この間、明治から大正を経て昭和となった頃と同じく、人々の価値観や話し言葉や行動パターンが大きく変化したからであろう。
かつて偏屈な若者(俺)が旧い語彙、例えば歪んだ大声のことを、「胴声」なんて言うと、「胴声なんて言葉、知ってる人は明治ですよ」と年長者に言われた。そこには微笑ましく見守る感じがあった。
今、偏頗な老人(俺)が旧い語彙、例えば〇〇〇〇のことを××××なんてと言うと、「そんなこと言うなんて価値観、昭和ですよ」と若者に言われない。ただ黙って目を逸らす。そこには心の底から軽蔑して、「この人、早く死なないかな」という感じがある。
「それ故、明治の場合は、降る雪や明治は遠くなりにけり、で、昭和は、行く春や昭和は遠くなりにけり、なんですよ」
と言って誰が共感するのか。誰もしない。
だけどいろんなことが変わったのだけは間違いない。しかし私たちはその変化がどのような変化であるかを明確に説明することができない。なぜなら私たちの命が時間のなかにあって、後戻りできないうえ、先のことは一切わからないからである。なので私たちの感覚はこの瞬間、常にバグっていて、時間の中に位置づけた正常な判断ができない。
それ故そこにあるのは、今、降る雪が遠ざかって行くような感覚とともに湧き上がる正体不明の懐かしさ、のみである。それを感じる瞬間、私たちは時間の淵に沈んで、一時、その情け容赦ない流れに流されるのを免れる。
昭和の風景や文物に懐かしさを感じる若い人があるのはその為だ。普通に考えればそんなことがあり得る筈がない。そもそも生まれてないからね。だけどそれが懐かしいのはそのように時間の淵に沈んで水死人として時間の水底にたゆたっているからである。
しかしそうして沈んでいくためには錘が必要だ。何かと言うと言葉と映像と音楽。その中で、言葉を錘とするのに巧みなのはやはり散文家ではなく詩人だろう。
幾時代かがありまして
茶色い戦争ありました
幾時代かがありまして
冬は疾風吹きました
幾時代かがありまして
今夜此処での一と殷盛り
というのは中原中也の「サーカス」という詩の書き始めの文句で、ここではまだ物語風の時間を孕むが、この後、サーカスの情景が描かれるにいたって私たちは一撃で懐かしい水底に沈んでいく。
しかしこの場所がサーカス小屋であることにより錘の重量が一際増しているのは間違いない。 なぜだかわからない、わからないが私たちは、サーカス、という語を目にするや直ちに正体不明の懐かしさに沈んでいくようにできあがっているのである。
その正体不明の感じは私たちにとっては永遠の謎であり、中原中也のような詩人はその仕組みを直観できたのかも知れぬが、しかし中原とてそれを外の人間に説明することはできない。そしてサーカスの内側の人間はそれを語らない。なぜならもはや私たちの郷愁としてのサーカスは現実には存在しないし、存在できないからである。
しかし私たちは本書『サーカスの子』によって、その得体の知れない、懐かしさの正体、煌煌と点るライト、安値いリボンと息を吐く白い灯、の向こう側に蟠る暗がり、それがあるからこそ成立する絢爛たるショー・摩訶不思議の幻術を支えるものを垣間見ることができる。
なぜそれが可能であったかというと、作者がかつて幕の内側に暮らした子供であったからであり、成長の後、ノンフィクション作家となったからで、これにより、普通の人間が絶対に知ることができぬことが一部、明らかになったのである。
その一つは例えば郷愁の根源となっているサーカスに伴う仄暗さについてであろう。おそらくそれは、近代以前の放浪芸から昭和、平成に至るまでは連綿と列なってあった、暗さ、であったと思われる。
それは令和の今においては、「あってはならない」として斥けられる暗さであり、隅々まで均一な光によって照明され、至るところに監視カメラが設置されている現代にあっては存在しない暗さである。
そしてその暗さは芸人、サーカス芸人ひとりびとりがその背に背負う暗さなのである。それ故、それを物語化して売り物にすることはなく、観客はそれを感じつつも、まばゆい光の中で、とても人間業とは思えない曲芸を見て、思わず歎息するのである。
観客様はみな鰯/咽喉が鳴ります牡蠣殻と
と中原中也が歌うが如くに、どんな偏差値の高い大学を出た人も、それを見た瞬間はまるでアホのように口を開けて、おー、と言うのであり、それは最先端の特殊映像効果を駆使したハリウッド映画とはまるで違った、純粋な驚きと畏怖の混じった讃嘆である。なぜそうなるかというと、そこに人間の生身があり、人間の生身には必ず躍動する喜びと同時に衰滅の哀しみが、その絶頂に現れるからである。
豊かさとともに失われた、暗くも甘美な光景
しかしその生身の個人は時代の移り変わりと無縁ではなく、それが世の中の移り変わりとともにどのように変わっていったかという点も本書は描いている。国全体が経済的な発展を遂げるより前、親の言うことを聞かぬ子供は、「言うことを聞かなんだらサーカスに売るぞ」と脅されたそうな。芸を身につけるためには早いに越したことはなく、貧しい家の子供を引き取って小さいうちから芸を仕込んだら勿論上達は早く、昔はそれに近いことがあったのだろう。そして、サーカスの子、という言葉には、差別・被差別の気配がつきまとう。しかしその子の世代になれば、子が学齢に達するや、子の教育のため、親が旅から旅の芸人の世界から足を洗うようになり、その子の世代になれば、自己実現的にサーカスに入団する堅気の家の息子・娘が現れる。
つまり社会が豊かになるにつれ、闇が消えて明るくなっていく。そしてそれは、一座であり、家族であり、共同体であり、一般社会の外側にあったサーカスが企業となり、みなでテントに集住していた芸人が、別にウイークリーマンションを借り、そこから通ってくるサラリーマンになったということである。
みたいなことはしかし、私たちの社会の至る所で起こってきたことであろう。客席もリングも殺伐としていたプロレスは明るいエンターテイメントとなり、かつて不良の音楽といわれたロックコンサートはみんなでルールを守って愉しむ明るく健全なフェスとなり果てている。芸人と芸能人の区別がなくなり、運動選手はathleteと呼ばれる。
素晴らしき哉。曲芸の練習はおそらく辛い。見ていると楽しいばかりだが、血が滲むような修練を積んだ上でとてつもない恐怖心と向き合わなければならない。そしてそれを露ほども見せず、観客の御愉快に奉仕するために微笑んでいなければならない。それにより人並み以上の報酬を得られるかも知れないが、芸はあくまでも匿名的で個人が称揚されることはない、そして肉体が衰えれば潰しがきかない。
それによる陰翳が価値となっているのなら、そんなものはない方が良い。明るく塗りつぶしてしまえ! というのは時代の要請である。
にもかかわらず、ここに描かれるサーカスの人たちとその記憶はなぜかくも甘美なのだろうか。私たちは今、個人として尊重され、大抵のことが掌の中で実現する。なのに本書を読むと、もう一度、
頭倒さに手を垂れて/汚れ木綿の屋蓋のもと
遙か高みを揺れる共同体を見上げたくなる。たとえ一度も見たことがなくても、確かに懐かしい、あの風景を見たくなるのである。