東日本大震災から15年。東京・日本橋から宮城県・仙台市までをつなぐ国道16号線、通称「ロッコク」の途中には、福島第一原子力発電所事故で帰還困難区域に指定されたエリアがある(※1)。その周辺には、今も暮らしを続ける人たちがいる。
ノンフィクション作家の川内有緒さんが『ロッコク・キッチン』(講談社)を執筆し、映像作家の三好大輔さんとともに共同監督を務めた映画『ロッコク・キッチン』(公開中)では、そんなロッコク沿いに暮らす人たちが今、「なに食べて、どう生きてるんだろう?」という小さな問いから始まり、被災地を「かわいそうな場所」として切り取るのではなく、そこに暮らす一人ひとりの複雑で温かな日常を綴るドキュメンタリー映画だ。
前編では本と映画の違い、「野次馬的発想」から始まった取材の経緯、被写体との距離の取り方について聞いた。後編では映画に登場する3人の登場人物を選んだ理由、撮影のスタンス、そして取材を通じて見えてきたものについて、ライターの田幸和歌子さんが、川内さんと三好さんに引き続き話を伺う。
※1:2011年3月11日に発生した東日本大震災での福島第一原子力発電所事故によって、避難指示は12市町村におよび、特に楢葉町、富岡町、大熊町、双葉町、浪江町は全町民に対して避難指示が出た。その後、避難指示区域は、帰還困難区域などに再編されると同時に、一部地域では少しずつ避難指示が解除されていったが、浪江町、大熊町、双葉町にはまだ非常に広範囲にわたる帰還困難区域が今も残っている。
ロッコク沿いに暮らす3人
田幸和歌子(以下 田幸):映画では、大熊町でおばあちゃんの家があった現在更地となった場所で夜だけ開く書店『読書屋 息つぎ』の武内優さん、インド出身の若い女性で双葉町を拠点に観光業に携わるスワスティカさん、写真家で『おれたちの伝承館』館長の中筋純さんの3人を軸に描かれていますが、川内さんが書かれた本の『ロッコク・キッチン』ではもっと多くの方が登場します。本の後半に登場する元東京電力幹部の方のお話など、映画では難しかったものもあったのではないでしょうか。映画には時間の制約があります。どなたのお話を生かすのか、という部分は相当悩まれたのかなと思うのですが……。
川内有緒(以下 川内):映画は2時間という尺の中できちんと描けるのが、せいぜい3人くらいだろうなと。武内さんとの出会いはすごく衝撃的で、最初から「この方がいるから映画ができる」と思いました。
スワスティカさんは移住してきた方で、インドのおじいさんとの思い出という普遍的なストーリーを持っている。「福島を描くなら被災者でなくてはならない」という固定観念や「被災者だからかわいそう」という存在ではない方が映画の中にいてもいいだろうと。『おれたちの伝承館』館長の中筋さんは最後に決まったんです。他の2人にはないもの――積み重ねてきた時間や経験、撮り続けてきた記録——を持っている方で、今を伝えるためには過去を知っている方に出ていただかなければいけない。途中からは「中筋さんの一番かっこいいところを撮る」のが私のミッションになっていました(笑)。
田幸:映像でも本の中でも中筋さんはかっこいい存在として描かれていますね(笑)。中筋さんは、もともとロッコクに辿りつく前は、廃墟を撮っていて、そこからチェルノブイリに行って写真集『廃墟チェルノブイリ Revelations of Chernobyl』を撮られている。チェルノブイリに「出会っちゃったのが運の尽き」とおっしゃっていたのが印象的でした。いわゆる震災の非当事者として被災地に足を踏み入れたという点では、中筋さんは川内さん、三好さんとも近いかと思いますが、何か背負うような気持ちもあったのでしょうか。
川内:私の場合、「背負う」というよりも、むしろ「行きたい」です。取材と関係なくても行きたい気持ちで。通ううちにだんだんロッコク沿いの土地に暮らす人たちが好きになった。会社を辞めてそこに住んでいる人もいるし、わざわざ仕事を見つけてきたという人もいて、町の魅力はまだ言語化しきれていないけれど、確かにある。
田幸:川内さんが書かれた本の中で、お話を聞かれている方たちは非当事者や移住者が多い印象でした。
川内:まず前提として、現地を訪れてみると、帰還した方よりも移住してきた人が圧倒的に多いんです。自分がやりたいことができる土地だから来たという人が結構いる。だから必ずしも使命感だけで来ているわけでもないし、簡単には「こんな人たち」とはくくれない。自分たちも被災した人たちを探していこうとしたわけではなく、自然な出会いの中で撮っていきました。
映像でエモくしたくない。日常をそのままに
田幸:撮影のスタンスについて伺います。三好さんは三脚を据えて固定で撮影して、被写体に寄っていかないそうですね。
三好大輔(以下 三好):その場の空気と違うもの、異質なものを持ち込みたくないんです。被写体に寄ってしまうと圧迫感があるし、現実が変わってしまうので、撮りたいものが撮れなくなってしまう。だからいつも控えめに構えています。『読書屋 息つぎ』の1周年の場面を撮っていたときも一日中カメラを回していましたが、「今日はどうですか」なんて声はかけない。だから、武内さんが他のメディアに出ているものを見ると、自分たちが見ている普段の姿とちょっと違うなあと感じます。
川内:三好さんはいつも静かに撮影をしているから、たまにカメラを持たないで誰かに会いに行くと「三好さんって、実はこんなに喋る人だったんだ」って驚かれるのよね(笑)。私は撮影中ほとんどモニターも見ていないから、素材を見て、三好さんが「ここ撮ってくれてたんだ」と驚くこともある。ただ、料理だけはしっかり撮ることは私たち二人で共有していて、キッチンは狭いので別のカメラを使ったり、家でシミュレーションしたりして工夫しました。
田幸:調理のシーンは想像とちょっと違っておもしろかったですね。餃子の手際の良さとか、丁寧な水の切り方とか、普段ボーイズクラブ的にワイワイしている男性たちの料理シーンも印象的でした。
川内:女性メンバーが来ても「何にもしなくていいから」って全部やってくれるんです(笑)。
田幸:映画を観た方からはどんな感想がありましたか。
三好:上映後にジャーナリストの方が感想を言ってくれたんですね。「自分たちは伝えなきゃいけないことを伝える仕事だから、どうしても非日常にフォーカスせざるを得ない。でも、本当は日常を伝えたいんだ」と。報道の積み重ねが福島に対する偏見を作っている面もあると思うんです。実際、取材に来る人たちには被災した姿、今も大変であるという姿だったり、復興して頑張っている姿を撮りたいという前提がある。でも、そこには、ただ美味しそうなカツサンドを食べている日常だってあるわけです。
田幸:エッセイを書いた方が自分の文章を読み返して涙する場面も、本には書かれていましたね。
川内:自分の言葉をもう一度読み返す力ってすごいと思うんです。ただ映画でそればかりやるとエモくなってしまう。前作の映画『目の見えない白鳥さん、アートを見にいく』のときもそうでしたが、わかりやすくエモい方向には持っていかないということは二人の共通認識としてあるんですね。映像では前後の文脈なしに切り取ることになるので、誤解が生じやすいけれど、本ならちゃんと文脈を伝えられる。それぞれの使い分けは意識しました。
復興とは…「今のままでもいい」の問い
田幸:幼いころに被災された本屋をやっている武内さんの「復興というと、全てが今までにない何かになることを意味している気がする。でも、そのままでいいよと町に対して言ってあげられないか」という言葉に、ハッと気づかされる思いでした。
川内:あれは武内さんと話しているときに出てきた言葉なんです。「懐かしめるものが懐かしめない」「この街はかつてどんな街だったか思い出せなくなった」という話から、「この街はこのままでいいんじゃないか」と。復興というのは街がリニューアルされて便利になることだと思っていた自分にとって、武内さんにこんなにいろいろ教えてもらえるのかと感動しました。ただ、みんなが楽しいということでもなくて、グラデーションがあるから、それらをひとつにはまとめられないんですよね。
田幸:川内さんは中学時代にアニメ映画『風が吹くとき』を観て、鎌田慧さんと核戦争についての座談会をした体験が、作品の原点のひとつになっているのかと思います。「何も知らないまま死んでいくのは嫌だ」とおっしゃった当時のご自身と、今この映画を作ったご自身を重ねて、どんなことを感じますか。
川内:当時の自分の発言を読んで「こんなこと言ってたの?」と。何も知らないまま意見をいっぱい言っていて、ちょっと封印したいくらいですが(笑)。中学生のころは短絡的で結論にすぐ飛びつくけれど、歳を経て、ものごとはもっと複雑だとわかった。何かを知り始めると知らなかったことに気づかされて、その先に膨大な知らない世界がある。それはおもしろいことだし、重要なことだと思います。
田幸:知らないほうが楽なことも多い中で、わかりやすいストーリーに落とし込まない姿勢が一貫していますね。「モザイク」という言葉を繰り返し使っていらっしゃるのも、そうした思いからでしょうか。
川内:みんなそれぞれが存在しています、ということしか自分には言えないんだなと取材の途中で気づいたんです。「これはこうだ」と解釈されると違う。言い切れない曖昧さのまま映画も本も終わっていると思います。でも、それぞれ違ったものが、曖昧なまま、どこかでつながっていることに、首飾りのイメージを持つようになりました。いろんな色の、大きさも違う石が、一本の糸でつながっているような。
三好:あの土地で生きることを選んだ人たちには、うっすらと連帯しているような感覚がある。食に対しても生きることに対しても意識の持ち方が違う。誰かを否定せずにそこに一緒にいるという空気が、帰還した人も移住してきた人もゆるやかにつないでいるように思います。
川内:複雑さを受け入れるのは疲れることが多い。でもその複雑さを引き受けられる社会はいい社会だと思うんです。お花畑な人間だと思われるかもしれないけれど、みんなが幸せになれる社会がいいって私はいつも思っていて。多様性とかみんなが違うということのしんどさを、ひとつひとつクリアしていくしかないんですよね。
田幸:今後の展開についてはいかがですか。
川内:今までの頻度では通えないかもしれませんが、見続けたいなと思っています。娘が0歳のころから何度も福島に連れて行っていたので、親戚を訪ねるような感覚になっていて。今年4月に毎年行く春祭に行けないとわかったときは娘の怒りがすごかった(笑)。10年間通い続けてきたので、何らかの形で続けたいですね。