50年以上の歴史を誇る「ギョーザ」をはじめ、「ザ★チャーハン」「プリプリのエビシューマイ」などの冷凍食品を展開する味の素冷凍食品。社長を務める寺本博之氏(60歳)の休日の過ごし方とは?
(撮影/西﨑進也)
味の素冷凍食品株式会社
代表取締役社長寺本博之
65年、大阪府生まれ。関西大学社会学部を卒業後、89年に味の素入社。家庭用営業、マーケッターなどを経て、00年よりインドネシア味の素に6年、09年よりベトナム味の素に4年駐在。15年、海外食品部長。19年、執行役員東京支社長。22年4月より現職。
おいしいバゲットの店があると行きたくなる
パンがもともと好きで、今も毎朝バゲットを食べています。ですから週末、バゲットを買うために通っているパン屋さんがあります。何も言わずにバゲットだけ1本買って帰るので、変なおじさんと思われているかもしれないですが(笑)。
それ以外にも、テレビで見たり、人に聞いたりして、おいしいバゲットの店があるとわかると行きたくなるんですね。
ちょっと遠くても、片道1時間くらいまでだったら、行きます。バスに乗ったり、電車に乗ったりして行くことも。
そうして買ってきたら、家に戻ってすぐに食べてみる。ハード系が好きですね。バターをつけるか、もしくはオリーブオイルと岩塩をつけるか。
自分なりに当たりがあったり、ちょっと違ったりすることもありますが、それも含めて楽しい。
駐在していたベトナムは、フランスパンがおいしかったんです。
パインミーと呼ばれるサンドイッチのようなものが街中に売っていたりして、これも美味しかった。
ところが帰国して、日本のパン屋さんのレベルの高さに驚いてしまって。特にバゲットはお店によってこだわりがあったりして、まったく違う。だから巡るのはとても楽しいです。最近のお気に入りは中野区の「algorithm」、杉並区の「SONKA」です。
ちなみに、家族でパンを食べるのは、私だけです。だから、買ってきたバゲットは自分でカットすることもあります。そういう時間もまた、いいんです。
平日それなりにタイトですから、休日はできるだけのんびりしようと考えています。できるだけ歩く、バスに乗る、電車に乗る、というのも意識していることです。
古着屋、角打ち、息子とキャッチボール
パン屋さん以外だと、古着屋によく行きます。息子が好きだったんですが、私は買う理由がよくわかりませんでした。ところが無理矢理に連れて行かれて、古着屋の楽しさがわかったんですね。
新品だと、お店に行けばサイズも色も形もいろいろ豊富で、お金さえ払えば買える。ところが古着屋はそんなふうに揃っていません。
ただ、だからこそ自分で欲しいものを見つけるという楽しさがあるんです。しかも、リーズナブル。なんだか小さな幸せが味わえるんですよね。
若い人に人気なのかと思いきや、実は私のような年齢の人もたくさんおいでになるんですよ。やっぱり見つける楽しさがあるんだと思います。
モノを手に入れることにあまり困らない時代になっているからこそ、自分ならではの出会いを見つけることにワクワクするんだと思います。ほとんど毎週、行っています(笑)。
あと、近所の酒屋で角打ちをすることもあります。面白い店があって、売り場から持ってきて、お金を払って、その場で飲めるんです。
軒下のような場所ですが、そこに集う人たちとの語らいがまた面白くて。誰も名刺を出したりしないし、何者かもわからない。そこがまたいいんですよね。
加えて、もう社会人になっている息子と、ときどきキャッチボールをしたりもします。私は元甲子園球児なんです。1回戦だけ勝って、2回戦で負けてしまったんですが。ファーストを守っていました。
息子も野球をやりましたが、親父がうるさすぎたんだと思います。やめてしまって、かわいそうなことをしました。
2人とも東北楽天イーグルスのファンで、一緒に仙台まで応援に行くこともあります。
とても人手をかけていると知って驚いた
味の素でずっとキャリアを積んできました。初めて冷凍食品の会社に来て、実はびっくりしたんです。
自動化がかなり進んでいるんだろうなと想像して工場を回ったら、肉でもキャベツでもニラでも、人が選別したり、切ったりしているんですね。たくさんの人がいて、とても手間をかけているんです。
異物が入らないように、キャベツは芯を入れないように、具材がうまく混ざるように。
思わず、尊い事業だ、と感じました。機械だけが作っているんじゃないんです。これだけたくさんの人が思いを込めて作っている。
思ったのは、価格をもうちょっと頑張るのが社長の仕事ではないか、と。だから価値に見合った価格に挑んでいます。これからもいいものを作り続けるためにも、です。
忘れられない仕事の思い出は、味の素でインドネシアに赴任したときです。海外に出るチャンスが多い会社ですが、英語もできないし、日本で頑張ろうと思っていた。ところが、インドネシアに行くことになって。
「英語ができない」と上長に伝えたら、「大丈夫だ、インドネシア語だから」と。もちろんインドネシア語もできません。それで行ってみたら、550人の組織で日本人は一人。半年ほどでインドネシア語が話せるようになりました。
ところが突然、あるトラブルが原因でインドネシア全土のお店に並んでいる商品の回収を命じられたんです。毎日現金を持って、朝から夕方まで市場から製品を回収する。過酷な仕事でした。私も現地社員と一緒に回りました。何かの間違いだから会社を信じてくれ、と伝えながら。実際、のちに販売は再開されるんです。
ただ、その間に、社員のみんなの顔がどんどん暗くなっていきました。会社は大丈夫かと不安になったんでしょうね。当時、私は35歳でしたが、このとき人生観が変わったんです。
自分のやりたいことなんて、どうでもよくなった。とにかく、みんなが笑顔で仕事ができるようにしないといけないんだ、と。まずはそこに挑もう、と。以来ずっと、それを目指してきました。
今も目指しているのは、経営理念でもある「感動で笑顔を」です。これは私個人の目標でもあって、会社の目標とシンクロさせています。これが実現できれば、事業は間違いなく成長していくと信じているんです。
社長の月曜日
ガラス張りの社長室はブラインドをおろさず、常に開けています。こうしておくと、社員が入りやすくなるんですね。若い人も来てくれる。社長に就任したとき、フロアのレイアウトも変えました。明るいオフィスにしたかったからです。当時から金曜日はカジュアルな服装でもよかったのですが、せっかくならと毎日にしました。役職名で呼ぶのもやめて「さん」づけにしています。やはり風通しのいい環境は、とても大事だと考えています。