日本の国技である“相撲”。「序の口」や「番狂わせ」といった日常的に使われる言葉は、実は相撲が由来であり、日本において長年親しまれてきたことがうかがえる。
しかし、長年国民から愛されているにもかかわらず、相撲には多くの人の気づいていない“謎”が溢れていることをご存じだろうか。
「相撲界を守ろうとしたのに嫌われた白鵬」「国技館の地下にある焼き鳥工場」など、角界に潜むウラ話の数々を、『白鵬はなぜ嫌われなければならなかったのか だれも知らない角界不思議話』より一部抜粋・再編集してお届けする。
「大関が引退するパターン」とは
その話の前に……。
大関魁皇の師匠だった友綱親方(元関脇魁輝)から2日続けて叱られた私だが、実はその後、友綱親方には大変お世話になった。親方が定年退職したいまだから話せるが、朝日新聞がスクープした「魁皇引退」の情報は、友綱親方が私に教えてくれた。
2011年7月19日。その日は、名古屋場所10日目だった。大関魁皇は琴欧洲との大関対決に敗れ、引退を決めた。
大関が引退する主なパターンは、次の2つだ。
大関からの陥落が決まり、引退する
大関陥落後も土俵を務めたが、さらに番付が落ちて幕内から十両への転落が決定的となり、引退する
古い相撲ファンなら、長く審判を務めた頭頂部が不自然に盛り上がった親方を覚えているのではないだろうか。元大関大受の元朝日山親方。盛り上がった頭は、力士になるための身長基準を満たすために、頭にシリコーンを入れたためだ。当時のシリコーンは1度入れたら取り出すことができなかった。盛り上がった頭は、朝日山親方の誇りだったそうだ。昭和以降の大関で、十両に落ちても土俵を務め続けたのは長年、この大受ただ一人だった。
引退に追い込まれる要素はないのになぜ…
この場所の魁皇は、カド番ではなかった。たとえ負け越しても、続く秋場所で勝ち越せば大関に踏みとどまれる。しかも、この場所で魁皇は千代の富士を抜く史上最多勝の新記録を打ち立てたばかりだった。場所直前には稽古用のまわしを新調していた。一見すると、引退に追い込まれる要素は見当たらない。
ただ、この日の琴欧洲戦に敗れた時、私は何か胸騒ぎがした。結びの取組が終わり、会場のある愛知県体育館を出ようとする友綱親方を呼び止めた。親方は、私にこう言った。
「これから、アイツに伝えるよ」
「まだ来場所があるじゃないですか」と尋ねると、
「知ってるじゃないか、アイツの腰のことは。初日に出られただけでも十分だった。ここまでだ」
「書きますね」と伝えると、「いい記事で花道を飾ってやってよ」と言った。
背中を向けて歩き始めた親方に、もう一度、声をかけた。
「いいしこ名を付けられましたね」
親方は立ち止まって振り返り、「ん? んー……いや、アイツが自分で『いいしこ名』に育てたんだよ」。
「土俵に悔いはない」
その十数分後、朝日新聞デジタルは「魁皇、引退へ」を速報した。
2日続けて怒鳴られて始まった親方との関係だが、その後、信頼関係が築けたと自負している。
新人時代の失敗話からの余談が長くなるが、翌朝刊の記事もご覧いただきたい。
◇
2011年7月20日付、朝日新聞朝刊
◆23年、数々の偉業と故障と
力士・魁皇の最後となった10日目の土俵。対戦相手の大関琴欧洲は、左を差しに来た。魁皇に「黄金の右上手」を取ってくれ、と言わんばかりに。魁皇はしかし、これを突き放す。この取り口に、魁皇の大きな意志が感じられた。支度部屋に戻る魁皇は、笑みを浮かべていた。
「そろそろ楽にしてほしい、という思いはないか」と魁皇に尋ねたことがある。「土俵に悔いはない。(次の世代が自分を引退に追い込み)それで変わっていくんだと思う」と語っていた。間近に迫る引退に、自然体で受け入れる覚悟を決めていた。
ただ、史上最多勝の偉業を遂げたその場所で、とは本人も予想していなかったろう。場所前に白の稽古まわしを新調し、「引退まで使おうと思っていたけど、オレの体よりまわしがダメになりそうだったからね」と笑っていた。
初土俵から23年余。体は、もう限界だった。両肩、両ひじ、両ひざ、両もも。「故障するたびに弱くなっていく」。特に腰痛は慢性化し、もう何年も、場所後は歩くことすらままならなかった。
何とか動けるように治療して迎えた今場所、一つの不安を口にした。「(初日2日前の)伊勢神宮の参拝が怖い」。紋付き袴で玉砂利を歩き続けなければならない協会行事を恐れていた。不安は現実のものとなり、爆弾が埋まる腰は抜き差しならない状態まで悪化。友綱親方は、「初日に出られただけでも十分だった」と振り返る。
本来は横綱への通過点であるべき大関。そこに長く居座った力士の象徴的な存在となってしまったのは事実だ。だが、魁皇に引導を渡す新星は現れなかった。横綱をしのぐ人気に、協会も関取衆も甘えていた。八百長で大量の力士が処分された今年4月。直後の関取衆の会合は荒れた。夏場所のボイコットを主張する力士が現れ、白鵬も同調する動きを見せた。このとき、「絶対にダメだ」と体を張って止めたのが魁皇だった。
地元の福岡県直方市は、南北朝時代に「皇方」と称した時代があったという。魁皇のしこ名は、その故事から師匠・友綱親方が名付けた。1回目の仕切りから「魁皇コール」がわき起こり、右上手をつかんだだけで桟敷席がわく人気大関の土俵は、もう見られない。
【後編を読む】「なぜ日本人は年を取ると相撲にハマるのか?」…新米相撲記者と大ベテランの問答が明かす、相撲の「神髄」