日本の国技である“相撲”。「序の口」や「番狂わせ」といった日常的に使われる言葉は、実は相撲が由来であり、日本において長年親しまれてきたことがうかがえる。
しかし、長年国民から愛されているにもかかわらず、相撲には多くの人の気づいていない“謎”が溢れていることをご存じだろうか。
「相撲界を守ろうとしたのに嫌われた白鵬」「国技館の地下にある焼き鳥工場」など、角界に潜むウラ話の数々を、『白鵬はなぜ嫌われなければならなかったのか だれも知らない角界不思議話』より一部抜粋・再編集してお届けする。
相撲記者の仕事
いまや笑い話だが、当時は泣くに泣けなかった昔話をいくつか。
4年間の地方勤務と名古屋社会部の遊軍記者をへて、東京スポーツ部に異動した私が初めて相撲担当になったのは、入社7年目の2000年。当時の番付最高位は曙、貴乃花、武蔵丸の3横綱だった。
相撲記者の仕事は、偶数月末の「番付発表」から始まる。発表の朝、横綱や新三役、注目力士らの会見があり、今場所の抱負などを取材。翌日から朝稽古に通い、2週間後の初日に備える。
朝稽古で力士の調子を取材し、稽古後のクールダウン中に雑談を交わして記事に書けそうなエピソードを探る。時に、一緒にちゃんこを食べようと誘われることもある。
新聞記者の現場リーダーを「キャップ」という。仕事に慣れてくれば、朝稽古の取材先は自分で決めるのだが、最初は右も左もわからない。キャップが取材先を指示する。
初取材での「やらかし」
初めて相撲担当になった2000年。当時の朝日新聞相撲取材班のキャップは、千葉・銚子支局長を最後に65歳の定年を迎えた根岸敦生記者だった。
相撲取材の初日。根岸さんの指示は「貴乃花を見てこい」。東京・中野にあった二子山部屋に向かった。
相撲部屋は親方の個人財産だ。自宅に土俵をしつらえ、力士を集め、衣食住の面倒を見てやり、稽古を積ませ、力士を育てている。相撲協会は、大相撲というコンテンツの屋台骨である力士のスカウトから育成まで、親方に丸投げしている。
相撲部屋=親方の個人財産なので、部屋ごとに「流儀」がまるで違う。私は、初日からやらかしてしまった。
初めての朝稽古取材。ひとの家に入るのだから、玄関の呼び鈴を鳴らした。だが、出てきたのは驚いたような顔をした他社の記者だった。
「どうした?」
どうしたも、こうしたもない。取材に来たのだが……。ドアを開けてくれた記者は「そっと入って」と小声で早口に言うと、背中を向けてしまった。
靴を脱いで後を追い、親方にあいさつ——しようと思ったら、「稽古中ですよ。静かにしてください」と親方(元大関初代貴ノ花)に叱られてしまった。
【後編を読む】「黙って入っても、呼び鈴を鳴らしても怒られる」…新米相撲記者を待ち受ける、友綱部屋の「洗礼」