「1万ウォンの幸福」は過去の話
かつて日本の会社員の間では、コイン一枚、つまり500円あれば昼食が解決できる「ワンコインランチ(One-coin Lunch)」という言葉が流行した。韓国にもこれに似た、会社員のランチ文化を象徴する「1万ウォンの幸福」という言葉があった。1万ウォン札一枚あれば、温かいチゲとおかずが並ぶ白飯(ペッパン)を食べ、残ったお金でコーヒーを飲む余裕が楽しめた時代。忙しい韓国の会社員たちにとって「1万ウォンの幸福」は最もささやかで確かな幸せだったかもしれない。
しかし、日本から500円の食事が姿を消しつつあるように、韓国の「1万ウォンの幸福」も今や遠い思い出となってしまった。一般的なランチメニューが1万2000ウォンから1万5000ウォン(約1300〜1700円)まで高騰し、食後のコーヒー一杯ですら5000ウォン時代を迎えたからだ。今では1万ウォンどころか、札を二枚取り出す「2万ウォンの幸福」さえ容易ではない世の中になってしまったわけだ。
2025年上半期、フィンテック企業「NHNペイコ(PAYCO)」が決済データを分析した結果によると、韓国の会社員の平均ランチ代は9500ウォンに達している。特に物価の高いソウル・三成洞(サムソンドン)は1万5000ウォンを記録し、江南(カンナム)や汝矣島(ヨイド)といった主要オフィス街も1万3000〜1万4000ウォン前後となっている。
「社食」遠征
2025年11月、ジョブコリア(Jobkorea)が会社員1000人を対象に実施したアンケートでは、回答者の92.6%が「ランチ代が負担だ」と答えた。節約のための苦肉の策として、コンビニ弁当や三角おにぎりを選ぶ人が42.1%、弁当を持参する会社員が33.8%に達した。食後のコーヒーを控えるという回答は51.2%にのぼり、コスパの良い「社員食堂」を求めて遠征に出るという回答も20.5%あった。
実際に汝矣島で働く私の後輩は、国会図書館の地下にある社員食堂をよく利用している。ご飯とスープ、そして4種類のおかずが出る充実した献立が5500ウォン(約600円)で、周辺の飲食店より半分以上も安いからだ。初回訪問時にキオスクで簡単に閲覧証(出入り証)を発行すると、その後は手続きなしで継続して利用できるそうだ。このほか、手続きなしで入場できる国会博物館や、身分証持参が必須の議員会館の社員食堂も5500ウォンという優れたコスパを誇る。後輩は毎朝、国会のホームページでメニューを確認してから、その日の行き先を決めているという。
光化門エリアでは、LG光化門ビル内の社員食堂の口コミがすごい。外部利用者は午後12時20分から7000ウォンで利用可能で、韓国料理(Aコース)と洋食(Bコース)から選べる。特にサラダとおかずをセルフサービスで自由に楽しめる点が魅力だそうだ。「眺めの良い店」を探すなら、ソウル市庁・西小門(ソソムン)庁舎がおすすめだ。6000ウォンで食事を済ませた後、13階の貞洞(チョンドン)展望台カフェへ移動すれば、2000ウォン程度の安価なコーヒーとともに大韓帝国時代の宮殿の徳寿宮(トクスグン)の絶景を一望できる。
物価が最も高い江南エリアでは、江南区庁(6700ウォン)や特許庁・ソウル事務所(7000ウォン)、そして駅三(テクサム)にあるポスコタワー(8500ウォン)の社員食堂が有名だ。特にポスコタワー12階の食堂は、ガラス張りの向こうにテヘラン路の活気ある全景を眺めながら食事を楽しめる空間で、新鮮なサラダを好きなだけ楽しめるサラダバーも備わっており、近隣の会社員の間で高い人気を集めている。
ソウルを訪れる際は、コスパ最高の社員食堂を訪ねてみるのも韓国の食事文化を知るいい機会になるかもしれない。
コンビニ弁当への流入
もちろん、コスパの良い社員食堂でさえ、今や5000ウォンを優に上回るうえ、待ち時間や移動時間がかかるという現実的な限界がある。貴重な昼休み時間に「コスパ」と「タイパ」の両立を求める会社員たちは、コンビニへと足を向ける。3000ウォンから5000ウォン台で解決できるコンビニ弁当は、高物価時代における最も強力な代替案となったのだ。
すでに飽和状態にあると評されていたコンビニ業界は、思いがけない「ランチフレーション(ランチ+インフレーション)特需」に沸いている。業界によると、コンビニ大手3社の弁当売上は前年比で平均25〜30%以上急増しており、オフィス密集地ではその上昇幅がさらに顕著だ。特に最近では「弁当サブスクリプション」が会社員の間で爆発的な人気を集めている。月額料金や一定額を先払いすれば、弁当やカップ麺などを常時20〜30%割引価格で購入できるこのサービスは、少しでも出費を抑えたい人々にとって必須アイテムとなっている。
実利派の会社員の間では、見切り品販売アプリ「ラストオーダー」が不可欠なアプリとして挙げられている。消費期限が迫ったコンビニ弁当などを最大70%引きで予約できるサービスだ。商品登録(販売開始)の通知が届くやいなや完売するほど利用者が殺到しているが、こうして手に入れた弁当をオフィスのデスクで一人食べる「デスクテリアン(Desk+Eater)」が、高物価時代のありふれた昼食風景となっている。
明日上がるかもしれない
では、会社員たちはこうして浮かせたお金を一体どこに使っているのだろうか。後輩たちに尋ねると、十中八九は「株式投資」の軍資金(シードマネー)として活用していると答えた。わずか1〜2年前まで2500〜3000のボックス圏に閉じ込められていた韓国総合株価指数(KOSPI)が、最近記録的な急騰を見せ、いわゆる「株式狂騒曲」が巻き起こっているからだろう。自分だけがこの波に乗り遅れることへの不安、いわゆる「FOMO(フォーモ)」現象も相まって、ランチ代を一銭でも惜しんで株を一株でも多く買おうとする熱気は冷める気配がない。
しかし、バラ色の展望ばかりではない。最近勃発したイラン戦争は、ただでさえ高い食卓物価をさらに押し上げ、期待を背負って走っていた株式市場も先行き不透明な霧の中へと突き落とされる可能性が高いからだ。特に対外環境に敏感で経済規模が小さい韓国にとっては、中東発の衝撃が日本のような先進国よりもはるかに痛手になるという懸念の声も上がっている。
ミサイルのニュースよりも、明日上がるかもしれないランチ代の方が恐ろしく感じられる昨今。それでも黙々とオフィスのデスクに座り、弁当を広げる会社員たちの姿は、この不安定な世界の中で「自分と家族の未来だけはどうにかして守り抜きたい」という、切実かつ誠実な決意なのかもしれない。
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