被害総額、31億円。関与した営業職員は100人超。そして、その行為は35年もの長きにわたって続いていた――。
「金融のプロ集団」として名高いプルデンシャル生命保険で発覚した大規模な金銭詐取事件。金額や人数の規模もさることながら、その期間の長さが波紋を広げている。
ニュースを目にした人々の反応は厳しい。「金融マンとしてのモラルはどうなっているのか」「会社ぐるみで隠蔽していたに違いない」。ネット上には、企業への失望と、関与した社員たちの「人間性」を問う声が多くみられる。
普通の感覚なら、「なぜ誰も止めなかったのか?」「誰か一人くらい、おかしいと声を上げる人はいなかったのか?」と疑問に思うのは当然だ。
だが、法廷臨床心理学博士の遠藤貴則氏は、そうした「個人の資質」や「モラル」に原因を求めているうちは、この手の逸脱はなくならないと指摘する。
「この事件を見て、『ひどい会社だ』『悪い社員たちだ』と感情的に断じるのは簡単です。しかし、構造を分析すればするほど、これは異常な会社の特殊事例ではなく、ある種の環境下では誰にでも起こりうる現象であることがわかってきます。 問うべきは、個人の善悪ではなく、なぜ彼らがその選択をしてしまったのか、という“状況の力”なのです」(遠藤氏、以下「」も)
遠藤氏が解説するのは、私たちが信じている「優秀な組織」の定義そのものに潜む、構造的な欠陥についてだ。
「悪人」がいたのではなく「監視」がなかった
なぜ、100人もの人間が手を染め、35年も止まらなかったのか。遠藤氏は、まず事実認定の難しさと、初期段階の曖昧さを指摘する。
「多くの人は、最初から『会社を騙してやろう』という明確な悪意を持って犯行に及ぶとイメージします。しかし、のちに『不正』と呼ばれる事案の多くは、もっと曖昧な境界線から始まります。 最初は単なる『事務的なミス』だったかもしれないし、独自の『解釈の違い』だったかもしれない。あるいは、顧客のためを思った『一時的な近道』だった可能性もあります。
問題は、その『ミスか意図的なものか判然としない行動』が、監視の目の届かない場所で発生し、誰にも指摘されずに放置されてしまったことです。スタンフォード監獄実験が示したように、人は役割と環境を与えられ、監視がない(匿名性が高い)状況に置かれると、徐々に行動をエスカレートさせてしまう生き物なのです」
プルデンシャル生命のような成果主義が徹底され、個人の裁量が大きい組織では、社員は高い自律性を持って動く。この「自由」は強みである反面、監視の目が届きにくい死角を生む。
「最初は些細なルールの乖離だったはずです。しかし、それが誰にも咎められず、むしろ成果に繋がってしまったとき、人はその行動を『許容範囲』だと学習します。こうして小さな雪玉が、35年という時間をかけて巨大な雪崩へと成長していったと考えられます」
「告発できるのはサイコパスだけ」正論が“組織の敵”になる時
さらに深刻なのは、組織内でルール外の運用が蔓延したとき、それを止めることの難しさだ。なぜ、周囲の人間は沈黙し続けたのか。遠藤氏は、これを「共犯関係の圧力」と表現する。
「想像してみてください。自分の周りの実力者たちが、皆当たり前のようにその『処理』を行っている状況を。あたかも、銃を持った集団に一人で囲まれているようなものです。 そこで『それはコンプライアンス違反です』と声を上げるのは、自分自身が組織の『敵』になることを意味します。さらには、自分も黙認していた期間が長ければ長いほど、告発した瞬間に自分も『関与していた』として処罰されるリスクが発生します」
この状況下で、正論を吐ける人間はいるのだろうか。
「極端な言い方をすれば、そのような四面楚歌の状況で、空気を読まずに『ダメなものはダメだ』と言い切れるのは、社会的な恐怖を感じないサイコパス的(※他者への共感性や恐怖心が著しく低い)な資質を持った人間くらいでしょう。
普通の神経を持った人間ほど、集団の論理に飲み込まれ、沈黙を守るという “合理的な選択”をしてしまう。これが、優秀な組織ほど不適切な慣行が止まらない構造的要因なのです」
組織の「自浄作用」に絶対に期待してはいけない理由
事件を受け、プルデンシャル生命は再発防止策を練っていることだろう。だが遠藤氏は、組織が自らの力で変わろうとする自浄作用だけに期待するのは危ういと指摘する。
「精神論でシステムのエラーは直せません。いくら企業が『高い倫理観を持ちましょう』と呼びかけても、すでに集団心理ができあがっている組織の中では無力です。内部の人間にとって、そのやり方はすでに『日常』の一部であり、修正すべき『悪』とは認識されにくいからです」
では、どうすればよいのか。
「必要なのは、完全に独立した『第三者の目』です。外部監査が機能していたのか、という点は検証されるべきでしょう。 中の論理に染まっていない外部の人間が、客観的な基準で『これはおかしい』と介入できる仕組みを作る。それ以外に、暴走した集団心理にブレーキをかける方法はありません」
遠藤氏は、最後にこう語る。
「この事件において、事実関係が完全に解明されるまでは断定的なことは言えません。しかし、もしこれが『ミスや勘違いが放置され、集団圧力によって隠蔽され続けた結果』だとしたら、これはもはや対岸の火事ではありません」
「数字を出せばプロセスは問われない」「現場のエースには誰も逆らえない」「外部の目が入らない」――もしあなたの職場がこれに当てはまるなら、すでにプルデンシャル生命と同じ「時限爆弾」を抱えている状態かもしれない。
過剰なプレッシャーと、「波風を立てたくない」という人間の心理。これらが組み合わさったとき、ごく普通の人でさえ、知らず知らずのうちに不適切な慣行の一部に組み込まれてしまう…。
では、組織の構造が問題の引き金を引いたのだとしたら、それを35年間、誰にも言わせなかった力の正体とは何なのか。
後編記事『プルデンシャル生命「31億円詐取」…関与社員100人を沈黙させた「風通しのよい職場」の闇』では行動神経科学の視点から、人が周りに合わせてしまい、声を上げにくくなる。そんな「同調」と「沈黙」が生まれる脳の仕組みを解き明かしていく。