東大生として企業で働くより勝算があった
ここ数年で、ひときわ注目を集めるお笑いコンビがいる。
サンミュージックプロダクションに所属する「無尽蔵(むじんぞう)」は、ボケの野尻とツッコミのやまぎわからなる漫才コンビ。2022年からプロの芸人として活動を始めると、K-PRO主催のバトルライブ「若武者」で4か月連続優勝を2回達成。2024年、2025年の『M-1グランプリ』では準々決勝に進出するなど、着実にその名が広まりつつある。
実力に加え、彼らが注目される理由はまだある。それは、二人とも東京大学出身の高学歴コンビという点だ。野尻は東京大学文学部西洋史学専修卒、やまぎわは東京大学大学院農業資源経済学専攻修了。東大卒というバックボーンから、歴史や科学、経済といったアカデミックな漫才を披露することも少なくない。
おそらく、何百回と聞かれただろう、「東大卒なのに、どうしてお笑いの世界へ?」という質問をぶつけると、野尻は笑いながら「無尽蔵にはむちゃくちゃ可能性があると思っていて。売れる自信があるからです」と答える。
「僕は、東大にギリギリで入れたような人間なので、卒業後に優秀な人たちと企業の中で戦うより、好きなお笑いを突き詰めたほうが楽しいし、勝算があると思ったんです。本当にそれだけなんですよ」(野尻)
一方のやまぎわは、大学院修了後、就職の道を選ぶ。現在は会社員として働きながら、芸人活動も行う‟二足のわらじ”を履く。
「将来のことは予想できないというか、いろいろなことをやってみたいというのが、一つのモチベーションとしてあります。芸人と社会人、両方を続けたまま『どこまで行けるんやろう』みたいなワクワクもある。 一つの道をこれって決めるより、いろんな未来を選ぶことができるように、今を続けていきたい。そういうモチベーションですね」(やまぎわ)
テレビに若手芸人のイスはない
キャラクターや考え方は真逆。野尻はアカレンジャー気質、やまぎわはアオレンジャー気質。だが、芸人の世界を鋭く考察するという点は一致する。実際、二人は『ダ・ヴィンチWeb』にて、「尽き無い思考」という連載コラムを交互に担当。「東大は武器か?足枷か? 」「お笑いはスポーツじゃないから好きだったのに、スポーツになってしまった」「キャラ化する/される芸人たち」など、主観と俯瞰を織り交ぜながらお笑いの今を探る筆致は、一読の価値がある。
そんな二人に、あらためて現在のお笑いシーンについて聞いてみた。
「若手芸人の間でよく言われているのは、テレビは上の世代が詰まりすぎていて、僕らの世代が活躍するのは難しいのではないかということ。今でも明石家さんまさんは第一線で活躍されていますし、爆笑問題さんやくりぃむしちゅーさんも余裕で現役です。イスは埋まっていて、立ち見ができているような状況ですよね」(野尻)
年々増え続ける『M-1グランプリ』のエントリー数を見ても分かる通り、芸人になりたい(あるいは趣味として楽しみたい)という人は、増加の一途を辿る。イスは空かないのに、次々と会場に人が押し寄せる。
「あと10年もすれば、ごそっと抜けるとも言われていますけど、空いた数以上に並んでいる数のほうが圧倒的に多い。順番待ちをするのは現実的ではないし、僕ら自身、順番待ちをする気力もない(笑)。テレビに出るということに関しては半分あきらめていて、違う場所で『面白い』と言われることが大事だと思っています。そういう意味では、ライブができる劇場だけは本当になくならないでほしい」(野尻)
ただし、簡単にあきらめるつもりはないという。『M-1グランプリ』を筆頭とした賞レースで結果を残すことができれば、一飛びで並んでいた人を追い越すことができる。「尽き無い思考」(第21回「賞レースの決勝に行ったらテレビに呼んでもらえるって、アスリートじゃないんだから」)で野尻は、こんなことを綴っている。
≪テレビというラピュタを眺めながら研鑽を詰む若手芸人の多くが注力するのは、やはり賞レースです。賞レースの長い長い階段を登って行った先に、どうやらテレビの世界の永住権を貰える窓口があるようなのですが(霜降り明星さんや令和ロマンさんはその階段を上り切った代表的なコンビでしょう)、本当にそこまでしないといけないのですか?
賞レースを優勝した芸人が、その実績を称えられて朝のニュースや長寿トーク番組に出演するというのは本当にアスリートがやっていることと同じというか、賞レースだってテレビの一部であるはずなのに、もはやスポーツの世界と同じくらいテレビの世界と少ない結節点のみを共有するにとどまってしまったのでしょうか。
(中略)賞レースの長い階段を上り切った先に公人の証明書が配布されることに不満があるわけではないのですが、もうその段階に到達してしまったら、自分たちのお笑いを真に理解してくれる人に対しては粗方刺さり切っているのではないでしょうか。となると、テレビを頑張る原動力は全国的な知名度への野心と仕事に真面目に取り組もうという社会性しかないのかもしれません≫
バラエティ番組のコンプラ規制などもあって、芸人がテレビに出演できる出代(機会)は限られた。以前に比べると門戸が狭くなっている状況下で、新鮮味のある芸人を起用するなら、制作サイドが‟箔”を求めるのも不思議ではない。賞レースは、いつしかテレビと芸人をつなぐ通行手形の一つになっている。賞レースで勝つ(あるいは、勝ちあがる)ことは、列をなす若手芸人にとって命題に。「面白い」以上に、「勝ち」にこだわらなくてはいけなくなるのは、想像に難しくないだろう。
相方であるやまぎわも、こう同調する。
「希望は持たないです。自分たちのことだけで精一杯。それこそ、目の前の準々決勝(取材時はM-1準々決勝前)のことで頭がいっぱい。テレビの世界で起きたこと、例えばテレビで誰々が復帰したといっても、僕らが関わり合いを持てるわけじゃない。テレビとライブが分かれすぎている。なのに、賞レースで結果を出すと、そこがつながる。意味が分からないから、希望は持たないようにしています(笑)」
お笑いグルメに自分たちの「面白い」を証明する
半面、「勝ち」を重視する反動からか、あるいはYouTubeやSNSなどが定着化したからか、「昨今のお笑いは面白いが多様化している」とやまぎわは話す。
「かつては、テレビと芸人に明確な主従関係があったというか、テレビに出ることでしか芸人は売れる道がなかった。ですが、今はテレビ以外の道ができたことで、選択の幅が広がったと思います。芸人の態度次第とも言えるので、無理にテレビに迎合する必要もないと思うし、テレビを敬遠する必要もないと思うんですよね」(やまぎわ)
面白いが多様化したことで、こんな副作用も起きていると付言する。
「お笑い業界全体が一つの島だとしたら、その中にいろんな村が生まれています。例えば、人力舎の『チリ』というライブは、裁判所のセットを借りて、そこでコントをしたりする。あるときは、街中でお客さんと歩きながら水鉄砲を打ち合うといったこともしていた。みんなが笑いに対してグルメになるあまり、いろいろな味を求めて、ものすごく小さな村がたくさんできている」(やまぎわ)
少し前の時代までにはあっただろう殺伐とした雰囲気はなく、「面白ければいい」を求めて、新しいものがポップに生まれている。剣術が剣道になったように、時代とともに笑いの提案も変わっているということか。
「もちろん売れたいというか、芸人だけで生活したいと考えていると思うんですけど、好きなことをやれていることに充実感を見出している芸人も少なくないです。僕自身、芸人だけで生活することと、バイトをしながら芸人を続けること、それってそんなに幸せが変わるんかなとも思っていて。
結局、自分のお笑いが面白いと思えれば、『別にそれでいいや』みたいなモチベーションの人が多いと思うんですよ。そういう意味で言うと、今まで言われてきた‟売れる”という概念が、今の若手芸人に対してちゃんと言い得ているかというと、そうでもないような気がしています」(やまぎわ)
ちなみに、二人にとって売れるとはどういうことなのか? 野尻が話す。
「お笑いに興味がない人にも名前が知られているということ、お笑いとは関係ない業界と仕事ができていることじゃないですか。お笑い島の外に出て、プロ野球の始球式に登場したら、それはもう売れているって言っていいと思う(笑)」
大胆不敵な彼らしい回答である。対して、やまぎわは冷静だ。
「僕はお笑いの島からあまり外に出たくないってのがあります。なので、お笑い島に林立しすぎているいろいろな村の人から『無尽蔵は面白い』と思われたい。やっぱり芸人のモチベーションの一つに、『俺らってもっと面白いはずやのに、なんでこんなに認められてないねん』みたいな、面白さと周囲の評判が釣り合って状況を埋めたいという思いがある。
僕らは面白いと思っているのに、違う層にいるお笑い好きからは、そう思われていない。それをクリアにすることが、僕にとっては大きなモチベーションになるんですよね。それができたら、それなりに結果もついてきてるやろって。そういう意味で、すべてのお笑い村が注目する賞レース、もっと言えば『M-1グランプリ』で結果を出すことは近道になる」
違う島へ渡航するためにも、今いる島に存在する村に認めてもらうにも、『M-1グランプリ』は御旗になっている。
「世代によって好きなお笑いが違いますよね。お笑いは、ここ10年くらいでものすごく細分化が進んだと思います。僕ら自身、10年後、20年後は、その時の若い世代の好みとはズレたお笑いをやっているんだろうなって思うくらいです。若い人に見てもらいたい気持ちはありますけど、変に媚びるのも違うだろうって。
結局、そのときに自分たちが面白いと思ったものをやるんじゃないかと思います。そのときに、若い人たちがどんな笑いをしているのかは、めちゃくちゃ楽しみですけど(笑)」(野尻)
東大卒というと、‟異色のコンビ”などと言われがちだが、決してそんなこともなく、それだけ笑いが多様化している――というだけなのかもしれない。
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