昭和を代表する文豪・松本清張の生涯を描いた『松本清張の昭和』(2025年12月25日発売)は、清張の「初の本格評伝」となります。
著者は、松本清張を研究する文芸評論家で、明治大学准教授の酒井信さんです。酒井さんは長年にわたり、清張のさまざまな関連資料を収集し、人物と作品研究を深めてきました。そしてこのたび研究の集大成として、清張の自分史のみに頼らない多角度的な視点から新たな像を結ぶ、清張の評伝を完成させました。
この記事では、酒井信著『松本清張の昭和』にいただいた推薦文と本書の「読みどころ」とともに、松本清張という作家であり人間の魅力をご紹介していきます。
「マイナス観光地」というルーツ
原 武史氏 絶賛!
いかにして清張は「国民作家」となったのか。
そのルーツが初めて明かされた記念碑的作品だ。
新たな事実を掘り起こしてゆく著者の筆力にぐいぐいと引き込まれた。
本書の推薦文をくださったお一人目は、政治学者で明治学院大学名誉教授の原武史さんです。原さんは、ご自身にも『松本清張の「遺言」 『昭和史発掘』『神々の乱心』を読み解く』(文春文庫)や『「松本清張」で読む昭和史』(NHK出版新書)などの著書があり、傑出した「松本清張」通としても知られています。 そんな「清張」通の原さんが「絶賛!」してくださったのは、清張の評伝として「お墨付き」をいただいたようで、たいへんに光栄なことです。
原さんが言及してくださっているように、著者の酒井さんは本書で、清張が「国民作家」となったルーツの一つとして、「マイナス観光地」で幼少期を送ったことに注目しています。
幼少期に彼が住んだ自宅は、「平家滅亡の地」のど真ん中にあった。人間の業の深さや人生の儚(はかな)さを描いた清張作品の悲劇の源泉は、旧壇ノ浦の自宅にあったのだ。日本史上、屈指の「マイナス観光地」で、清張は幼年時代を過ごし、文学的な感性を磨いたのである。(「第二章 出生をめぐる謎」より)
松本清張は、『ゼロの焦点』(1959年)の能登金剛の断崖や、『波の塔』(1960年)の富士青木ヶ原の樹海などの「自殺の名所」を、「マイナス観光地」として有名にしたことで知られています。
そんな清張が幼少期の一時期を過ごしたのは、下関市・旧壇ノ浦の「海にはみ出した杭の上の家」でした。壇ノ浦といえば、幼い安徳天皇が戦いに敗れ、入水して亡くなった「平家滅亡の地」で、清張はこの地に1歳から住んでいました。
家に隣接していた山が崖崩れを起こし、清張一家は生き埋め寸前となりますが、そうした「呪われた地」に住んでいたことも、のちの清張文学につながる源泉として、本書では解説をしています。
次に、原さんのお言葉の中に「新たな事実を掘り起こしてゆく」とあるように、著者の酒井信さんは、まだ一般にはあまり知られていない事実も盛り込みながら、清張の生涯を丹念に追っていきます。
朝日新聞西部本社で同僚だった岡本健資の証言によると、この時期、黒原に近いキャンプ城野では、朝鮮半島から運ばれてきた戦死体の処理が行われており、清張が「アルバイト」をしていた可能性が高いという。(「第一章 運命をひらく」より)
敗戦直後、清張は家族8人の生活を必死で支えていました。そのため副業として「ほうきの仲買」の仕事だけでなく、「米兵の屍体処理」のアルバイトをしていた可能性がきわめて高い件についても、本書では清張の元同僚の方の今年の著作から引用しながら解説しています。
他にも、妻や戦死した親友の親戚の証言など、さまざまな資料を引きながら、松本清張という人間を複数の視点から解き明かしていきます。
「巻き紙に毛筆」で採用を求めた手紙
酒井順子氏 絶賛!
松本清張の向上心、行動力、信念が本書からほとばしる。
清張の人生を知ることは、昭和を知ることだ。
本書を「絶賛!」し、推薦文をくださったお二人目は、人気エッセイストの酒井順子さん。日本の古典にも造詣が深く、「週刊文春」の「読書日記」や「東京新聞」他での書評も長年にわたり執筆されている酒井順子さんの近著が『松本清張の女たち』(新潮社)です。
「清張作品はなぜ今も愛され続けるのか」を考え、酒井順子さんが注目したのが、松本清張の小説に登場する女性たちでした。「お嬢さん探偵」「転落するお嬢さん」など、同書のとても面白くて明快な分析を紹介し、『松本清張の昭和』では著者の酒井信さんがさらに、気になる清張自身の女性経験についても意外なエピソードで話を展開していきます。(W「酒井」さんなので、フルネーム表記にしましたが、ちょっとややこしいですね…)
さて、酒井順子さんのお言葉にあるように、本書では松本清張の向上心、行動力、信念をさまざまなエピソードで描き出しています。その一つが、高等小学校卒の清張が朝日新聞社で働くようになるまでの経緯です。
「十二年一月のある日、朝日新聞を見ていると、小倉市にある九州支社の社屋を増築し、最新設備を整えて印刷するという社告が載っていた。私は、そういうことになれば、地元の新聞広告もふえるに違いない。広告には当然デザインが必要である。もし、そうした版下を描く者を現地で採用するなら、これはチャンスだと思った」(『半生の記』)
清張は労働者の街・小倉で異彩を放つ「文化の殿堂」で胸を張って働き、生活を安定させるべく、「巻紙に毛筆」で採用を求める手紙を、支社長に送った。戦国時代のような書状で、彼は自らの意欲を伝えたのだ。(「第四章 結婚と戦争」より)
清張は、縁もゆかりもない(朝日新聞九州支社の)支社長に宛てて、「巻き紙に毛筆」の手紙を送り、採用を熱烈に訴えるという大胆な行動に出たのでした。彼の強い思いは届き、最初は社員ではありませんが、朝日新聞で印刷画工の仕事をするようになります。
そもそも、この「印刷画工」の仕事で認められていたことで、清張はチャンスをつかめたわけですが、印刷画工として一人前になるためにも彼は猛烈な努力をしていました。このように清張が「向上心」と「努力」で見事に運命を切りひらいていく経緯も「昭和という時代の力」を感じさせる、本書『松本清張の昭和』の読みどころとなっています。