「上司のひと言をさらっと聞き流せない」「ゆらいでしまう自分を変えたい」「気づけば自己否定でまとめてしまう自分がいる……」――。
こうした状態は「いのちの泉が枯れている」場合が多いと著者の稲葉俊郎さんは言います。稲葉さんは西洋医学だけでなく、東洋医学や代替医療、心理学も修めた医師です。
治療現場や旅先での出会い、温泉、演劇、アート、本などを通して、「いのちの力」がよみがえる方法を、著書『肯定からあなたの物語は始まる 視点が変わるヒント』より抜粋してお届けします。
ものを書くきっかけは3.11だった
ことばは ふしぎ
足りなかったり 溢れたり
求めたり 拒んだり
私が本や文章を書くようになったのは、2011年3月11日の東日本大震災がきっかけだ。2004年に医師となり医療現場で働き始めた。
心臓を専門分野に選んだが、心臓の治療は常に1分1秒を争う緊張感に満ちた現場の連続で、仕事以外のことを考える余裕がなかった。当時の記憶はあまりない。おそらく目の前の課題を解決することだけで精いっぱいだったのだろう。緊急治療も多かったため眠りも浅く短く、間違いなく身心は疲労していた。
2011年3月11日に東日本大震災が起きた。そのときも心臓の治療中だった。特に難易度の高い治療の日だったので、1週間前から集中力を高めるために肉食を制限し、完全な菜食生活をしていた。肉を食べずに野菜だけ食べていると、集中力と感受性が高まっていくことを経験的に知っていた私は、極めて難易度の高い治療に臨むときだけは、食生活を変えて精神統一をするように心と体をチューニングしていた。
だからこそ、地震があった3月11日は集中力と感受性が極限まで高まっていた日でもあったのだ。治療中の手術室も大きくゆれた。精密な手の動きが必要な治療だったので、しばし手を止めて冷静に状況判断を行った。大きなゆれがおさまった後、治療も無事に終わらせることができて極度の緊張から解放された。
治療後に病棟の回診などを終え、ほっと一息ついて休憩室でテレビを見たときに、東北の現場で起きている現状に息をのんだ。当時の私は、テレビの映像を見ていても何が真実かよくわからなくなり混乱した。
現場を知りたかったこと、困っている人を手伝いたいと思ったこともあり、すぐに福島の医療ボランティアの手伝いを志願した。
言葉は死者からの贈り物
震災直後に現地の光景を見て、地球そのものを見ているような奇妙な感覚に襲われた。自然界から人工物だけがもぎ取られた光景を目にして、地球の存在をダイレクトに感じたからだ。自分の意識状態も特殊なものに変容していた。感受性が高まったり失われたり、昂揚と虚無が入り混じった。つまり、自分の内部でも巨大な地殻変動が起きていた。
すると、体内を野生動物のような生き物が駆け回るのを感じた。内部から巨大な突き上げが起き始めた。生きている「何ものか」が外に出たいと、激しく動いていた。そのざわめきは声にならない叫びのように大合唱で響いた。
言葉にならない体験をどう処理すればいいのかがわからない。今起きている体験を言葉にフィットさせることができない。うまくあてはめることができない。心が大きくゆれ動いているが、その動きを止めることができない。
そもそも、自分が日常的に使っていた言葉は、本当に自分の体験をうまく言葉にできていたのだろうかと、大きな疑問が襲ってきた。これまで言葉を安易に使っていた。自分の深層をも含めた身体感覚とうまくフィットした言葉を発することがいかに難しいことか、体験と言葉のずれを感じた。「?」「!」としか表現できない体験は、これまで私の内部でどういうふうに処理されてきたのだろうか。
表現衝動が起きた。言葉で伝えたい。私の中にある形を与えられていない「何か」は、言葉によって形を与えられることを求めている。とにかく、表現したい。その衝動は激しいものだった。
私は現場で医療ボランティアとして必死に従事しながら、ふとした時間の空白にノートに言葉を書き記した。体験を言葉で伝えようとしても、心の引き出しの中に適切な言葉が見つからなかったが、必死に言葉を探しあてた。
「言葉は死者からの贈り物だ」
そんな言葉が私を襲った。内部からやってきたのか、外部からやってきたのかわからなかったが、言葉は唐突に現れた。
確かに、「ありがとう」も「さようなら」も、「うれしい」も「かなしい」も、私が発明した言葉ではない。誰が発明したのか、その由来もわからない。著作権なんて存在しない。そのことは言葉だけではなく、主語や述語、副詞や形容詞など、文法といわれる言葉の仕組みも同様だ。日本語だけではなく、外国語でも同じだ。あらゆる言葉は、今は亡き存在からの無償の贈り物なのだ。
震災の現場で鎮魂の念を胸に抱えながら、いのちを受け継ぐようにして言葉を正しく使うことを真剣に考え始めた。自分が抱える違和感の正体を解明するために、人生の謎を解明するために。私の内部からドアをノックし続けている「何ものか」のざわめきを野に放つためには、言葉の力を借りる必要があったからだ。
こうして書き記しながらも、いまだに言葉は難しいと痛感している。言葉が詰まった本を読んでいるだけで、言語化の涙ぐましい奮闘が本の形へと変換され、物体として存在していることに畏敬の念すら感じるようになった。
音楽家が音楽を作ること、美術家が美術作品を作ること、形のないものに形を与えていくことと言語化のプロセスは似ている。言葉は日常的にありふれているからこそ、あまり改めて考えないだけだ。自分の内界と外界とに橋をかけるために、私は言葉の力を必要としている。
否定的な言葉を受け取ると、体は硬直し、顔はこわばる。肯定的な言葉を受け取ると、体は和らぎ、顔はほぐれる。体と言葉には、密接な関係性がある。私は医療の専門家として、心身の本質を追い求め続けることに身を捧げる覚悟がある。だからこそ、言葉が心身に及ぼすこと、そして言葉と心身の治癒との関係性をも探究し続けたいと思っている。書き言葉だけではなく、話し言葉もそうだ。言葉以前の声そのものの力も同じだと思う。
私はいのちを受け継ぐようにして言葉を選び、文章として形にする。言葉は死者からの贈り物だ。文章となった言葉は読み手を必要とする。言葉が人から人へ受け渡されていくように、いのちは密かに手渡されていくのだ。