驚愕の流出映像
11月25日に、YouTube上に6時間以上にわたる驚愕の映像がアップされた。それは、今から36年前の1989年に、北京軍区所属の第38集団軍の司令官だった徐勤先少将が受けた軍事裁判の映像である。
1989年6月4日に、天安門広場に集まって話し合いを求めた若者たちを、中国の人民解放軍が武力鎮圧し、1万人以上の死者を生み出すというおぞましい事件があった。いわゆる天安門事件である。この時に出動を命じられた徐勤先少将は、この命令を拒絶したために軍事裁判にかけられた。アップされたのは、この時の裁判の映像だ。
この動画は、天安門事件を実体験として経験した後、アメリカに亡命した呉仁華氏によって公開された。動画によって、天安門事件の武力鎮圧がどういう過程を経て決定されたものであるかが、はっきりと示されたのである。
以下は、この動画によってわかったことの概略である。
第38集団軍の軍事出動には、中央軍事委員会のトップ3(中央軍事委員会主席と副主席2名の合計3名)全員の署名の入った出撃命令書が求められることになっていた。
当時の中央軍事委員会主席の鄧小平、中央軍事委員会副主席のうちの1人で国家主席でもあった楊尚昆が第38集団軍の出動命令に署名したが、もう1人の中央軍事委員会副主席で中国共産党総書記だった趙紫陽が署名を拒絶していたために、3名の署名の揃った命令書ができなかった。
正式の文面による命令書がないので、出動命令は口頭でなされたことになるが、それでは正式な出動命令にはならない、だから出動できないとして、徐勤先少将は出動を拒絶したのである。
出動命令書に署名を拒否した趙紫陽総書記は、民主化を求める若者たちの声に理解を示し、学生たちからも人気があった。しかしながら、当時の圧倒的な最高権力者は中央軍事委員会主席の鄧小平であった。趙紫陽総書記は天安門事件後に、動乱を支持して党を分裂させたことを理由として、解任されることになった。
徐勤先少将の弁明
天安門事件から2週間ちょっと前の1989年5月18日に、徐勤先少将は通知に従って北京軍区の会議に出席したが、その席で5月20日に38軍を率いて北京に入って戒厳令を執行するように要求された。
先に記したように、この時に徐勤先少将は同意しなかった。徐勤先少将が同意しなかったのは、決して命令書の不備という形式的な問題だけではない。徐勤先少将は「この任務は敵と対峙する軍事作戦でもなければ、緊急災害救助でもない」「治安を乱している人もいれば、そうでない人もいて、軍人も庶民も混ざっている中で、どうやって行動するのか」などと疑問を投げかけた。
徐勤先少将はさらに、「軍隊は国を守るために存在するのであって、人民と対峙するために存在するものではない」「軍隊は国家のものであり、特定の個人のものではない、従って人民を鎮圧せよとの命令は違法であり、自分には実行できない」「そもそも非武装の民に発砲することなどできない、人民に発砲すれば、私は歴史に名を残す罪人になってしまう」と主張した。
さらに徐勤先少将は、そもそもこのような大衆的な事件は政治的な方法で解決すべきであり、人民代表大会常務委員会や国務院全体会議が議論すべき問題ではないのか、このような命令を出すとしても、それは国家が発布すべきで、共産党の名前で発布するのは適切ではないのではないかとも語っていた。
徐勤先少将は、武器を持って向かうこと、しかも重武器を使うなどというのは到底受け入れられないと、国民に武力を向ける行動をはっきりと拒んだ。
命令に従えば、徐勤先少将にはとんとん拍子の出世が待っていたことだろう。困難な仕事をやり遂げた功績で、中将となり、大将となって、軍内部での出世街道を上り詰めることになっただろう。
しかし、命令を拒んだがために、彼は司令官から解任されただけではなく、捜査対象となり、裁判に引き摺り出され、軍事裁判によって戒厳命令違反罪だと認定され、懲役5年を宣告され、刑務所に入れられ、全てを失った。そしてそうなることがわかっていながら、命令を拒絶したのである。
徐勤先少将が出動を拒む中でも、中国共産党は5月20日に北京に対して「戒厳令」を宣言した。天安門広場に集まっていた学生たちは、これに素直に従って解散するようなことはしなかったが、暴れるような真似をしていたわけではない。戒厳令を受けて学生たちは、この問題を解決するために、緊急人民代表大会を招集することを求めるようになった。
なお、こうした学生たちの動きに先んじて、徐勤先少将は人民代表大会側が動くなどして、平和的な解決を探るべきだという姿勢を、5月18日の会議で示していた。こうした一連の経緯が、この動画が公開されたことで、はっきりとわかった。
呉仁華氏がこの裁判の動画をどこから入手したかはわからないが、今の習近平体制に不満を持つ、中国共産党指導部内のどこかから、今のタイミングで漏れたものであるのは、確実だろう。軍事裁判資料であることからすると、人民解放軍の内部から漏れ出た可能性もあるのだろう。
習近平は自分に逆らう人間を次々と粛清してきた。相次ぐ粛清を行なって軍内部を徹底的に取り締まってきたのに、こういう動画が今なお流出しているとなると、習近平の疑心暗鬼はこれまで以上に強いものにならざるをえないのではないか。中国政治の権力闘争をめぐる混乱は、今後さらに強いものになるだろう。
慌てて始まった締め付け
さて、この動画が公開された翌日の11月26日に、中国の国家保密局の局長の李兆宗と副局長の史英立が揃って同時に粛清された。例によって粛清の理由はわからないが、このビデオ漏洩事件の責任を負わされた可能性も考えられる。
また、この動画が公開されてから5日後の11月30日に、中国共産党中央軍事委員会は突如として「軍隊における『中国共産党規律条例』の実施に関する補足規定」を公布し、2026年1月1日から施行すると発表した。
こちらも内容が明確に示されてはいないが、プレスリリースにおいて「誤った政治的見解や不適切な発言の公表」、「中央軍事委員会の決定と配置の不十分な実施」を問題視していることから、習近平に逆らうような内容が外部に漏れることを恐れ、この件での締め付けをより厳しくするぞと脅したものだろう。
中国の内部情報をよくスクープしてくる蔡申坤氏は、今回の規定の改定についてもスクープしたとしている。これが正しいものかどうかは現段階ではわからないが、一応正しいとみた上で私なりに整理すると、内容には4つの柱があるとみればいいのではないかと思う。
1つ目は上官の命令に従わないことが重罰になるのは、これまでは戦時の時のみとされていたのが、今回の規定改定によって、戦争をしているわけではない平時でも、厳罰化されたという点だ。
平時であっても、不服従が重大であるとみなされれば、直ちに軍から除隊させられ、軍事検察に引き渡されて刑事訴追され、最高刑は終身刑だということになった。
2つ目は、取り締まりの主対象が2つあるとされている点だ。
1つは、暴動、騒乱、または重大な政治事件を鎮圧する際に、人道性や良心を理由に発砲や掃討作戦の実施を拒否することだ。人道性や良心を理由に拒否することは認めないというのである。これはまさに天安門事件での徐勤先少将のような行動は許さないということを明文化したというものだろう。
もう1つは、重要任務の遂行中に、士気を低下させるような無許可の発言をしたり、関係する指示を外部に漏らしたりすることだ。おそらく今回の規定の改定は軍上層部内部だけでの秘密にしておき、外部に漏らすことは許さないということだったのだろうが、ここまで締め付けを強化している中で今回の具体的な改定内容が蔡申坤氏に漏れているのであれば、実に皮肉な話である。
やはり解放軍内に習近平への不満が
3つ目は、規定に対する違反があったとされた場合に、事実認定などの検証作業を一旦吹っ飛ばしてまずは処分が先に下されるという点だ。つまり、規律違反があったとされた場合には、すぐに停職処分となり、給料がもらえなくなり、福利厚生も凍結される。それから捜査が始まり、最終的に有罪かどうかが判定されるという手順になるというのである。要するに、上から不服従だと疑われるようなことがあれば、その段階で大きな不利益を被るようになっており、上の判断と違う自分の考えを述べることを、一切許さなくなったと見るべきである。
これでは、軍事作戦を立案する際にも障害になるのではないか。上官が考えた作戦よりももっといいやり方が思いついても、それを提案すること自体が上官に対する不服従を疑われることになりかねないからだ。これにより、人民解放軍内ではますます面従腹背が強まることだろう。
4つ目は、有罪判決を受けた軍人の子供、孫、兄弟姉妹などの近親者は、士官学校への入学や軍隊への入隊を永久に禁じられることになっている点だ。中国に限られた話ではないだろうが、軍人の家系というものがある。その家系で誰かが上官の言うことに素直に従わなかったとされたら、その家系の軍人は全て職を失い、将来的にも軍務に就くことも許されなくなるというのである。
こうした規定を入れてまで締め付けを強化しているのは、裏返してみれば、習近平に表面的には従う姿勢を示しながら、裏では裏切っている動きが、人民解放軍内にかなりあるということが想像される。
今回の天安門事件の裁判動画が流出したのは、まさにそういう例のうちでも、習近平にとって絶対に許しがたい事件だと言えるだろう。
さらに言えば、中国の民衆が中国共産党に対する信頼をすっかり失っていて、民衆の中での不穏な動きが出てくる兆候が出てきていることを、習近平が恐れているのかもしれない。天安門事件のように、再び人民解放軍が国民に銃を向けて弾圧しなければならなくなるような事態の発生が今後ありうるから、これに備えなければならないと共産党中央が感じている可能性はかなり高いと見ることができそうだ。
習近平の疑心暗鬼に外に捌け口を求めさせないために
この徐勤先少将の裁判動画は、VPNを利用して中国のネット規制を突破して海外のネット情報を集めている中国人の中で、密かに広まっていくだろう。天安門事件について全く教えられていない若者たちの中でも、中国人民に解放軍が銃を向ける事件があったこと、これに抵抗して正論を吐き、その結果処分された勇敢な司令官がいたといったことが、少しずつ知られていくだろう。彼らの口からヒソヒソ話によって、こうした情報が水面下で拡散していくことにもなるだろう。
経済状況の悪化によって、国民の中における中国共産党、とりわけ習近平指導部に対する信頼度は地に堕ちている。その状態でこうした情報が広がっていけば、政権維持にボディーブローのように効いていくことになる。
それでも、中国で大きな政変がすぐにでも始まるとは考えない方がいいだろう。
政変が起きるには、人々の中での不満が広がっていること、その不満が体制変革を求めるほど大きいことも重要だが、その不満のエネルギーを1つにまとめていく仕組みも必要となるし、そのためには今の体制に取って代わる新しい体制のビジョンも求められることなる。今の監視国家中国で、現体制に代わるビジョンを示し、そこにエネルギーを集中させていくというのはなかなか難しいという現実も見ておかなければならない。中国は末期症状を呈しながら、国内にも国外にもどんどんと混乱と無用な対立を募らせていく、そんな流れが続くのではないか。
その一方で、習近平指導部の中では、国内の不穏な動きを外に向けることで解消したい誘因が強まっているとも言える。こうした点で台湾への軍事侵攻は懸念される事態だと言えるだろう。中国の暴走を防ぐためには、中国が軍事侵攻しても絶対に勝ち目がないと思わせることが必要になる。
こういう観点からすれば、台湾有事を巡る高市発言は、中国を牽制する意味合いから必要だったとも言えるのではないか。そして高市発言が、習近平が進みたい道を大いに邪魔することになったからこそ、我が国に対する中国側からの異様な反応をもたらしているとも言える。
中国に余計な動きをさせないようにするためにも、我が国は高市政権を中心にまとまり、中国に正しく対峙することが必要なのではないだろうか。
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