悪臭と恐怖に満ちたイランのエヴィーン刑務所。イランの首都テヘラン北部に位置し、主に政治犯・思想犯が収容される。そこで繰り返されるのは、看守による鞭打ち、性的虐待、そして囚人の昼夜の感覚を奪う「白い拷問」。囚人の中には、思想犯・政治犯として不実の罪で逮捕された女性たちも多い。
13回の逮捕と5回の有罪判決にも屈せずに「自由」を目指し闘い続け、獄中でノーベル平和賞を受賞したナルゲス・モハンマディによって明かされる、その非人道的な所業の実態とは…。
全世界で出版されている禁断のノンフィクション『白い拷問』(翻訳:星 薫子)より、一部抜粋・再編集してお届けする。
『白い拷問』連載第71回
『独房から出た途端に“残忍”な看守の態度が激変…イラン政府が「囚人を追い詰めるためだけ」に設計した「独房」の仕組み』より続く。
聞き手:ナルゲス・モハンマディ、語り手:マルジエ・アミリ
マルジエ・アミリ・ガファロキはジャーナリスト、学生活動家、政治犯、女性の権利運動家、そして新聞「シャルク」の経済記者でもある。彼女は2019年、テヘランのアルグ・エリアで逮捕された。メーデーの大会参加者が逮捕後にどのような待遇を受けているのか、調べている最中の出来事だった。彼女はそれ以前の2018年3月8日にも、国際女性デーを祝う集会に参加したときに、他の十数人とともに逮捕されたことがある。
マルジエはイスラム革命裁判所で10年半の禁固刑と、鞭打ち148回を科されたが刑法134条により、禁固刑は最低6年になった。
マルジエは保釈を申請し、2019年10月26日にエヴィーン刑務所より仮釈放され、現在は仮釈放中である。
家族をネタに脅されて
——判決が下ったら何年の刑になるか、言われましたか?
尋問官は、最初から、私は10年から15年の刑になると言っていました。
——家族をネタに脅されることはありましたか?
家族は、私の逮捕を母に知らせまいとしていました。そこで尋問官は、母をここに連れてきて囚人服姿の私を見せてやる、と脅しました。あるいは、母に電話をして、私がどこにいるかばらすぞ、とも言いました。私の妹を逮捕すると言ったこともありました。
私は、家族のなかで連絡したいのは妹だけで、もしそれが許されないのなら、家族の誰とも連絡を取りたくないと言いました。そうしてやっと妹に電話をかけることができました。
ある日突然、意識を失い…
——体調を崩したとき、治療を受けることはできましたか?
サローラ・キャンプでは比較的、大丈夫でしたが、よく血圧が低くなりました。基本的にずっと低かったです。目隠しをされて、血圧を計測されたことが2回ありましたが、あんなおざなりの検査に意味はありません。
そのあと間もなく209棟に移されました。移送には非常に緊張を強いられました。尋問は長く、そして独房拘禁で私は心身ともに傷ついていきました。
私にはてんかんがあり、もちろんその症状を心配していました。尋問官に何度も説明し、紙にも書きましたが、まるで知らん顔でした。ある日、独房にひとりでいるとき、立ち上がった瞬間に意識を失いました。発作が起きたのです。床に倒れました。
意識が戻ると、まだそのまま独房の床に倒れていました。体が激しく震えていたので、両腕で脚を押さえました。発作が少し治まって、立ち上がれるようになるまで、そのままの姿勢で待ちました。それから看守を呼び、何があったのか説明しました。刑務所のお偉方が病院に連れて行ってくれるだろう、と言われました。
ずいぶん時間が経ってから、医師の診察を受けることができました。私の心拍数はとても高く、血圧はとても低いという状態でした。医師はインデラル(心拍数を抑える薬)を処方し、私を独房に帰しました。私は逮捕のずっと前にてんかんの発作を起こしたことがありましたが、発作の間隔は長かったです。最後に起きたのは3年前でした。
刑務所の外で動悸が激しくなったことは一度もありません。
自由の身でいるときは、消化器官に問題を抱えたこともなければ、胃腸の薬を飲んだこともありませんでした。それなのに、刑務所で胃潰瘍になってしまったのです。病院に連れて行かれたとき、医師に、この症状は刑務所の環境のせいだと言われました。
翻訳:星 薫子
『「奈落の底に引きずりこまれた」…イラン政府に拘束された学生活動家が“鞭打ち148回”よりも「つらかった瞬間」とは』へ続く。