ついに歴代興行収入第1位の座に
とうとう映画『国宝』が邦画実写作品・歴代興行収入第1位の座に就いた。配給会社の東宝によると『国宝』は公開172日で観客動員数1231万1553人、興行収入173億7739万4500円を達成。22年間1位だった『踊る大捜査線 THE MOVIE 2 レインボーブリッジを封鎖せよ!』を約半年かけて抜き去ったことになる。
派手なアクションもミステリー要素もなく“なんとなく知ってはいるけれど実際に観たことはない伝統芸能”歌舞伎の世界を描いたこの作品が、誰もが知る大ヒットドラマの映画版『踊る大捜査線』を凌駕する存在になると誰が予想できただろうか。
『国宝』大ヒットの要因を外側から見た場合、大きな後押しとなったのがSNSでの拡散である。歌舞伎の世界において「血筋か芸か」と長きにわたって語られてきた命題を、吉沢亮、横浜流星という当代の人気俳優ふたりが文字通り血反吐を吐くような鍛錬の末に体現した本作は、それまで伝統芸能に興味を抱くことがなかった若い世代にもリーチし、その熱がSNSを通じてミドル層~シニア層へと拡がっていった。そしてその熱は今、形を変えて進化を続けている。
毎日新聞の記事によると『国宝』公開後の2025年7月以降、初めて歌舞伎座を訪れた観客が1万人を超えたとのこと。これは映画をきっかけに多くの人が実際の歌舞伎も鑑賞してみたいと劇場に足を運んだと考えて間違いないだろう。1本の映画が1万人のアクションの原動力になったのである。
この現象は伝統芸能を含めた舞台芸術、ライブエンターテインメントの世界において、もはや“事件”といえる。
映画『国宝』が歌舞伎界に与えた“好影響”
歌舞伎の世界にとって映画『国宝』によってもたらされた恩恵は非常に大きい。
というのも、2020年2月末からのコロナ禍で、歌舞伎界は大変な痛手を負っていたからだ。まず、歌舞伎には年配の出演者がとても多く、新型コロナウィルスが2類に分類されていた当時は、毎日の体温チェックで基準をクリアできない関係者が出れば、感染症の蔓延を防ぐためにその日の舞台は休演。当然、販売済みのチケットは払い戻しとなった。
また、観客も年配の人の割合が高かったため、本人の健康状態や家族に外出を止められるなどの理由で劇場に足を運ぶ人の絶対数が減少。それに加えてリスクの管理が難しい団体客の予約も激減したため、当然、チケットの売り上げは大幅にダウンした。
さらに、昨今の経済不安、コロナ禍による観劇習慣の無効化、チケット代値上げなどで、新型コロナウィルスの扱いが5類になった2023年以降も歌舞伎の客足は伸び悩み、こと演劇事業において、松竹は苦しい経営が続いていた。
ところが、映画『国宝』の大ヒットで、その状況に変化が生じている。中日新聞によると、松竹が10月に公表した2025年度上半期(3~8月)の中間連結決算・演劇事業の営業利益は4億8900万円で6年ぶりの営業黒字へと転換したそうだ。
映画『国宝』大ヒットの兆しが見え始めてからの松竹や歌舞伎俳優たちの動きも早かった。
作中で吉沢亮演じる喜久雄と横浜流星演じる俊介が踊った「二人道成寺」を「京鹿子娘二人道成寺」や、さらに白拍子の人数が多い「京鹿子娘五人道成寺」としてシネマ歌舞伎で再上映したり、歌舞伎の世界に身を置く俳優たちがこぞってSNSやブログで『国宝』を好意的に取り上げ、映画のヒットを後押し。歌舞伎界の大名跡を預かる市川團十郎も自身のYouTubeチャンネルやブログなどで『国宝』を絶賛している。
流行スタイルを取り入れて「新規層を獲得」
さらに“聖地巡礼”と呼ばれる映画のロケ地巡りも作品ファンの間で盛んにおこなわれ、滋賀ロケーションマップは関西広域『国宝』ロケ地マップを制作。また歌舞伎関連のトークショーやイベント、映画館で歌舞伎の映像を鑑賞できるシネマ歌舞伎も大盛況で、夏には喜久雄のモデルのひとりと囁かれる人間国宝・坂東玉三郎のアクスタ(アクリルスタンド)まで発売されて、大人気となった。
ことライブエンターテインメントの発展と継続において、新規観客の獲得は必須で、それは歌舞伎をはじめとした伝統芸能も同様である。
松竹は特に近年、古典作品だけでなく、若年層やライト層と呼ばれる観客にリーチする歌舞伎作品を多く提供してきた。なかでもスタジオジブリのアニメ作品を歌舞伎として上演した『風の谷のナウシカ』や、おなじみ『ルパン三世』が原作の『流白浪燦星』などは評判も良く、これまで歌舞伎鑑賞の経験がなかった層からも支持を得たし、ゲームが原作の歌舞伎『刀剣乱舞』は第1弾、第2弾ともに大盛況。
さらに、最新デジタル技術を駆使した初音ミクと中村獅童のコラボレーション『超歌舞伎』も歌舞伎座で上演。さらに来年の夏にはスタジオジブリ作品を基にした『もののけ姫』の歌舞伎公演も発表されており、こちらもチケットの争奪戦が起きそうだ。従来の古典作品にもコロナ禍の寂しさが嘘のように、若い観客が訪れるようになった。
といった具合に、映画『国宝』大ヒットの後押しもあり、今、歌舞伎界には追い風が吹いているわけだが、おもしろいのは、映画の配給と宣伝を手掛けたのは東宝で、歌舞伎の興行をほぼ独占的に取り仕切っているのが松竹という点である。
いってみれば、東宝はライバルの松竹に塩を送る形にもなったわけだが、東宝の市川南専務は「映画自体に力があればここまでのヒットになる。邦画実写の作り手を鼓舞したと思う」(時事通信 文化特信部の記事より)。と語っているので、これは幸福な形のwin-winといっていいのではないだろうか。
さて、映画『国宝』の勢いは国内だけにとどまらず、海外での上映も続々とおこなわれているのだが、概ね好評のなか、複雑な感想も見受けられるようである。次のコラムではそのあたりにフォーカスしながら、今を生きる梨園の妻たちを追ってみたい。
【つづきを読む】『興収歴代1位の映画『国宝』の海外展開で思わぬ波紋…問われる「女性の描き方」と、現実の梨園を支える女傑たちの素顔』