1992年4月25日、26歳の若さで旅立ったロックシンガーの尾崎豊さん。没後33年以上経つというのに、『I LOVE YOU』『OH MY LITTLE GIRL』『シェリー』『卒業』……、尾崎さんが残した名曲は世代を問わず歌い継がれています。
11月29日は、そんな尾崎さんの誕生日です。生きていたら60歳、還暦という年齢。「もしも生きていたら、今どんな曲を作り、歌っていたんだろう」という問いがさまざまなところで起きています。
「豊とは、18歳で出会い、20歳で結婚しました。あまりに若かったので、自分たちが年齢を重ね、還暦になるという想定も、想像することも当時はありませんでした。豊との生活は韓国ドラマにも負けないほどジェットコースターのような日々で、あまりにめまぐるしく、その日を生きることに精一杯でもありました。私自身も年齢を重ね、改めて還暦になった夫について考えてみると、過去のこと、今生きていたら……とさまざまな想いが溢れました」と語る尾崎豊さんの妻・尾崎繁美さん。
繁美さんは、尾崎さんとの想い出を豊さんの没後30周年を機に、封印を溶くように連載『30年後に語ること』として発表。その後、2023年7月からは、豊さんが旅立った後、息子の裕哉さんとともに二人で渡米し、ともに暮らしたボストンでの母子留学の日々を新連載『笑顔を守る力』として定期的に寄稿いただいています。
今回は、大きな節目と生きていたら還暦を迎えた豊さんに向けて、率直な思いを特別版として寄稿いただきました。溢れる繁美さんの想いを綴った長い手紙をお伝えします。
以下より、尾崎繁美さん自身の寄稿です。
もしあなたが今の時代を生きていたら
もしあなたが今、2025年のこの先の見えない時代に生きていたなら……。
どんな歌を生み出していただろう。
この問いは、長く私の心に灯ったままです。
今年3月、東京新聞のインタビューを受けたときも、この質問がありました。
「もし尾崎豊が今の時代に生きていたら、どんな歌を歌っていたと思いますか?」
私は迷わずこう答えました。
「混沌とした時代になって絶望感を抱く人も多いでしょう。だからこそ、一人ひとりの心に宿る“愛”を思い出させるような歌をつくっていくのではないかと思います」と。
あの頃から今日まで、あなたの歌は人の痛みと真実に向き合い、誰も気づかない”心の叫び”を救い上げてきたからです。
あなたは生前、表舞台に立つことを選ばず、テレビにもほとんど出演しませんでした。姿を見せないからこそ、紡ぎ出す言葉が真実味を帯び、その存在を際立たせていました。大衆的な華やかさには目を向けず、自分が信じる嘘のない世界だけを選び取ってきた人だった、と私は今も言い切れます。
変わりゆく時代の中で、あなたを想像してみる
時代は令和になり、世界は劇的に変わりました。それでも「尾崎豊」という名は薄れるどころか、ますます風のように広がり続けています。あなたを知らないはずの中学生が『15の夜』を口ずさみ、あなたの言葉が再び若い心を揺らしています。
SNSが世界を動かし、政治の価値観も大きく変わりました。ビジネスマンだったトランプ氏が大統領となり、日本でも初の女性総理が誕生した今。きっとあなたなら、自分の正義を押しつけず、「自由とは何か」「力とは何か」そんな根源的な問いを、この時代の痛みと希望に寄り沿って歌っていたのだろうと思います。世界では戦争が長引き、胸が締めつけられる現実があります。あなたが現代にいたなら、どちらの国でもなく、どんな思想でもなく、きっと”傷ついた子どもたちの涙”に寄り添う歌を描いたと思います。
そして、今はSNSが中心の時代。もしあなたが生きていたのなら、InstagramやXを使ったり、Facebookで友達と呼べる人と繋がっていたのでしょうか。気づけば、常にペンを握り、ノートだけでなく紙切れにまで浮かんだ思いを書き留めていたあなたが、今生きていたなら、どんな発信をしたのか、そんな姿を想像すると心がざわめきます。
AIとSNSの発達はつながりを生む一方で、かつてないほど孤独を感じる人が増えています。誰もが“見せる自分”を演じながら、本当の心を置き去りにしてしまう時代。あなたならその痛みにいち早く気づき、「あるがまま生きていい」と歌っていたことでしょう。その歌はきっと、街の喧騒の中で迷い立ち尽くす人の心に響いたはずです。
あなたは、かつて1000万円もしたMacを使いこなし、独学でコンピューターを扱っていたあなたの先見性を思えば、きっと“今”という時代であっても、音楽制作にも柔軟で、新しいツールを抵抗なく取り入れていたと思います。でも、どれだけテクノロジーが進んでも、最後にはピアノや生ギターをかき鳴らす、あなたらしい“人間の音”を大切にしていたに違いないと私は思うのです。
「還暦」という言葉で想い出すこと
「還暦」という言葉でまず想い出すのは、あなたのお母さん、絹枝さんのことです。還暦を迎えたわずか2ヵ月後に突然旅立ってしまいました。還暦祝いに赤い小さなルビーが付いた腕時計をあなたと2人で贈ったら、大喜びして子どものような無邪気な笑顔を見せてくれたあの光景が、今も胸の奥に鮮やかに残っています。
当時、あなたの家族が住んでいた埼玉県朝霞。お母さんは、朝霞駅に向かう途中に心臓発作で倒れ、「さよなら」を言うことは叶わなかった……。でも、穏やかな表情で眠るお母さんを見たとき、「豊をよろしく」と託されたような感覚がありました。
そして、まさかその4ヵ月後に、あなたまで逝ってしまうなんて……。
あの時の私は世界が音を立てて崩れていくのをただ見つめるしかなかった。もし、お母さんが生きていてくれたなら、あなたも生き続けてくれたのではないか……。そんな思いを今も胸の奥に抱えています。
こうやってお母さんとの日々を想い出すように、あなたが旅立ってから私はさまざまな思いを抱きながらも、長い間自らの心を吐露することをしませんでした。そんな私が“書くこと”と向き合う日が来るとは……。
きっかけは、あなたの没後30年のインタビューでした。語り始めたら止まらず、私が経験してきた痛み、努力、孤独、そして信じ続けたもの……一気に溢れ出したのです。今こうしてFRaUwebで連載を持ち、文章を届ける自分がいることは、今でもどこか不思議です。
あなたの歌が私を支えてくれた
そして、どんなときも笑顔を失わずに生きてこられた理由……それらすべての原点にはあなたの歌があったから、と気づきました。
『失くした1/2』の歌詞の中に「信じてごらん。笑顔からすべてが始まるから」というフレーズがありますよね。私は何度も救われました。あなたのこの言葉を胸に掲げ、5歳になる裕哉とともにボストンへ渡り、グリーンカードを取らずに11年の歳月を2人で生き抜いたのです。移民と同じ長い列に並んでビザ面接を受けたり、長距離運転で死にかけたこともありました。言葉も文化も違う土地で、それでも笑顔だけは失わずに歩み続けられたのは、あなたの歌があったからです。
連載を始めてからというもの、私はずっとあなたの“追体験”をしているのだと感じていました。創作の痛み、書くことに伴う孤独、そのどれもが、あなたが味わってきた世界に少しだけ触れられたような気がしたのです。
そして胸の奥が熱くなるのは、あなたが私に幾度となく問いかけてきた日々を思い出す瞬間です。
「繁美はどう思う?」「繁美の考えが知りたい」
あなたが向けてくれたまっすぐなまなざし、私の言葉を大切に受け止めてくれたあの時間。音楽のこと、人の心の痛み、生きる意味、愛するということ……。2人で語り合ったあの日々は、まるで“答えを探す旅”のようでした。あの対話は創作の源であり、私にとっては今も人生を照らすかけがえのない宝物です。
けれど昨年、あなたの33回忌が終わった頃から考え方が変わりました。書くことはあなたの追体験ではなく、私自身の人生を描くための時間なのかもしれないと。痛みも葛藤も希望も、私自身の言葉で紡いでいくこと。それこそが、あなたの妻として、今の私に与えられた新しい“使命”なのではないか、と……。そんな想いを抱くようになり、私は2年後に訪れる自分の“還暦”という節目にも新しい光を感じています。
今も生き続ける「あなた」の存在
私は誕生日で替わる年齢を“カラット(carat)”と呼んでいます。例えば「60カラット、おめでとう」というふうに。人は年齢を重ねるごと、宝石と同じように輝きがひとつ増えていく。そんな素敵な考え方を教えてくれたのは、女優の川島なお美さんでした。この言葉と出会ってから、私は年齢を重ねていくことが愛おしい思えるようになりました。
私の周りの60歳を超えた方々は、若々しく人生が輝いている人ばかりです。生き方や考え方という内面の美しさは隠せず、表情にも佇まいにも滲み出てきます。還暦とは、そんな“内側に宿る光が形になる年齢”だと、私は思っています。
そして、何よりも今あなたに伝えたいのは、息子・裕哉があなたの歌を“自分の使命”として歌い継いでいることです。
あなたの楽曲は裕哉にとってバイブルでした。歌詞の一行一行から、父を感じ、あなたの生き様や痛みや祈りを感じ取り、どんなときもあなたの歌が彼を励ましてくれたと。あなたの歌を「大好きだから歌いたい」のだと。“父の歌を歌うという覚悟”と”息子としての誇り”。そのどちらも抱きしめながら、自分の人生を歩んでいます。
あなたが今の時代にどんな歌を残し、どんなツールでメロディを奏でていたのか……それは今となっては永遠にわかりません。でも、こうして私を含め多くの人が想像してしまうのは、あなたの歌が今も私たちの心の中で脈打ち、時代を越えて息をし続けているからに違いありません。
今日、還暦を迎えたであろうあなたに手紙を書いていますが、世界がどれほど変貌しても、あなたの歌は色褪せることなく、人々に愛され必要とされています。“尾崎豊”という魂も、あなたが遺した言葉も旋律も、これからも確かな光となって時代を照らし続けると信じています。
60歳のあなたが今ここにいないという現実は、今も胸を刺しますが、あなたが放った光は、私の中で永遠に輝き続けます。
親愛なる遥いあなたへ想いを馳せながら、永遠の愛と、尊敬と、感謝を込めて。