かつて米国ファストファッションの象徴的なブランドとして隆盛を誇っていた「FOREVER 21」が今年10月をもって日本から完全撤退した。
2000年の初上陸、そして2009年の2度目の上陸はいずれも失敗。満を持して2023年、3度目の正直として再々上陸したわけだが、開店当初の話題性を除けば、売上の持続性は乏しく、再び顧客の関心を取り戻すには至らなかった。すでに米国でFOREVER 21を運営していたF21OpCo社は、2025年3月に米連邦破産法11条の適用を申請。2度目の破産申請を行うなど、もはや“4度目”は期待できそうにない。
結局、約20年の間に日本上陸→撤退を3度繰り返したFOREVER 21。一方、他のファストファッションブランドはむしろ時代とともにその勢いを増している。ZARAやSHEIN、GU……彼らと何が違ったのか、そしてFOREVER 21が遺した「教訓」とは――。
【前編記事】『3度の日本上陸もすべて失敗「フォーエバー21」はいつから《可愛いけれど安っぽい》負の烙印を押されたのか』
ブランドミューズで見る「時代遅れ」感
日本上陸が3度失敗した最大の問題点は、「FOREVER 21とは何か?」というブランドの再定義が曖昧だった点にあると考えられる。
初期の成功要因であった「LAストリート×低価格」では新しさは感じられず、H&MやSHEINのほうが鮮度高く再構築してしまっている中で、再上陸後のFOREVER 21は、旧来のブランドロゴを維持しつつもデザイン方向性が定まらず“懐かしさ”と“新しさ”の中間で迷走した印象がある。
その一例が、最初のブランドミューズに選んだ青山テルマ(1987年生まれ)。今年38歳を迎えた彼女は、2度目の上陸時に話題となって購入した層へのアプローチとしてはベストマッチだったかもしれない。しかし、今のZ世代を中心とした若年層へは響かなかったのではないか。
その後、『ViVi』専属モデルとしても活躍しているせいら(2000年生まれ)がブランドミューズとして登板することになった。しかし、話題性の提供として機を逸した感は否めない。
また、運営会社であるアンドエスティHD(旧アダストリア)による検品体制と素材調達で、FOREVER 21の品質は改善されたものの、それが「らしさ」を強化するものではなかったことも大きい。結果的に無難なカジュアルブランドに埋没してしまった。
結局、ブランドの個性が欠落したままのFOREVER 21は、Z世代にとって“フォローする価値のないブランド”となったのである。
消費者とのズレ、競合構造も変化
次に、注目したいのが消費者との「感性ギャップ」だ。
再上陸期の消費者は、かつての「安い・早い・可愛い」よりも、「個性・共感・発信性」を重視する。SHEINがTikTokを通じて「個々の着こなし」を拡散させたのに対し、FFOREVER 21の公式アプローチは一方向的な広告中心で、ユーザー参加型の施策が乏しかった。
後半の施策として青年漫画雑誌とのコラボレーションや、有名キャラクターとのコラボレーション等を連発したものの、それらのコンテンツ企画は、それぞれのファンには響いたもののブランドへの愛着を醸成させるまでには至らなかった。
つまり、消費者をブランドの共作者とみなす視点が欠けていたのである。SNS主導の時代において、単なる発信型のアプローチだけではブランドの再興には至らない。
また、競合構造の変化にも着目したい。
2010年代のFOREVER 21が競った相手はH&MやZARAであったが、2020年代の競合はSHEIN、TEMU、韓国ブランド、そしてGUである。これらは価格・トレンド・サプライチェーンスピードのいずれでも優位に立っており、FOREVER 21は、どの指標軸においても優位性を発揮させることが出来なかった。
特にSHEINの中国のローカル市場接続型MDと、SNS分析を基盤とした需要予測型モデルは、旧来のMD構造を凌駕している。FOREVER 21が掲げた「NO Filter」は、文化的価値としての独自性を保てず、単なる懐古的要素に留まってしまった。
価格もブランド力も、現地化も惨敗
FOREVER 21の運営会社であるアンドエスティに問題はなかったのだろうか。
同社は国内アパレルにおいて企業規模も大きく、仕組みと品質管理には長けているが、デジタル・グローバル感度の発信力には課題があった。国内の既ブランド店舗運営の延長線上でFOREVER 21を再構築してしまった結果、「海外ブランドの新しさ」ではなく「国内SPAの一形態」として受け取られてしまったのだろう。
つまり、ブランドの“異文化性”を失ったのである。FOREVER 21の本来の価値は、アメリカ西海岸の自由な空気感と個性表現にあったが、再上陸版はその文化的エネルギーを再現できなかったわけだ。
それでいて、物理的・デジタル的プレゼンスも欠如していた。かつてのFOREVER 21は、原宿・渋谷といった象徴的ロケーションで“体験としての買い物”を提供した。しかし再上陸では、大型旗艦店の欠如とSNSでの拡散不足が重なり、「存在しているのに見えないブランド」となってしまった。
現代の若年層にとって、ブランドとは体験と拡散の両輪で成立する。FOREVER 21はどちらの軸でも印象を残せず、短期間でデジタル上からもフェードアウトした。
では、ライバルのファストファッションブランドはどうだったか。ZARAは依然としてリアル×デジタルの統合を推進し、SHEINはデータ駆動型モデルでトレンド適応速度を極限まで高め、GUは国内市場に最適化した「合理的おしゃれ」を提供している。これら三者に共通するのは「独自の供給構造×明確なポジショニング」である。
一方のFOREVER 21は、外部ライセンス運営のためサプライチェーン統制が限定的で、ブランド戦略も本国と乖離していた。結果、価格競争ではSHEINに、ブランド力ではZARAに、ローカライズではGUに劣後する三重苦に陥った。
消費者が「本当に求めていたもの」は何か
構造的に見れば、FOREVER 21の再上陸は「過去の勝ちパターンを繰り返した」事例であり、業態再編の波に適応できなかった旧型ファストファッションの典型例といえるかも知れない。
日本の若年層市場では、もはや「海外ブランドだから憧れる」という時代ではない。SNSを通じ、世界中のブランドを等距離で比較できる環境下で、国籍よりも共感軸が購買を左右する。
FOREVER 21は、米国的ポップカルチャーというコンセプトで語ることを続けたが、日本のZ世代にとってそれは「ノスタルジックな装飾」に過ぎなかった。ブランド空間がライフスタイルに接続されなければ、存在意義は希薄化する。その意味でFOREVER 21の失敗は、グローバルブランドがローカル感情にアクセスできなかった構造的問題である。
3度目の上陸失敗は、単に一企業のマーケティング不備ではなく、ファッション流通の時代構造そのものの転換を示している。すなわち、(1)ブランドエクイティの再編、(2)消費者主導型ファッションの定着、(3)データ×共感による新たな価値の創出である。
FOREVER 21がかつて得意とした「安く・早く・可愛く」は、いまやSHEINやGUに完全に代替され、ブランド優位性が揺らいでしまった。そして再上陸時に必要だったのは、“LAの再現ではなく、“日本市場での新しいFOREVER 21像の創造”であったと思う。
ファストファッションの時代は終わったのではない。ただし、その“速さ”の意味が「供給速度」から「文化の共感速度」へと変わったのである。その転換を読み誤ったブランドの末路として、FOREVER 21の名はファッション史の一頁に刻まれることになってしまった。
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