かつて「一億総中流」と呼ばれた時代は遠い過去となり、消費行動が極端な二極化を見せる2025年。日本の小売業界は、歴史的な構造転換の只中にある。
人口減少による労働力の枯渇は、もはや「人海戦術」による店舗運営を不可能にし、常態化したインフレ圧力は消費者の財布の紐を固く結ばせた。この二重苦に対し、従来のような「そこそこの品質で、そこそこの価格」を掲げる中庸なスーパーマーケットは、存在意義を失い、淘汰の波に飲み込まれつつある。
生き残る道は二つに一つ。「圧倒的な質」で選ばれるか、「徹底した効率」で選ばれるか。
本稿では、この激動の時代に生存を賭けた二つの対照的なアプローチ、「職人的な質」で関東攻略を狙う中部地方の雄・バローホールディングスと、西友買収により「規模と技術」の覇権を握ったIT小売の雄・トライアルホールディングスの戦略を徹底的に比較分析する。
業界の“逆張り”で挑む「バロー」
デジタル化と効率化が叫ばれる現代において、バローが掲げた戦略は、ある種のアナクロニズム(時代錯誤)とも受け取れる「職人的な質の追求」である。しかし、この「逆張り」こそが、同社の勝算の根幹を成している。
チラシを捨てた「デスティネーション・ストア」
2025年11月21日、バローは関東進出の試金石となる旗艦店「スーパーマーケットバロー横浜下永谷店」をオープンさせた。注目すべきは、駅前の超一等地ではなく、あえて駅から徒歩13分という住宅立地を選定した点である。
一見、不利に見えるこの場所こそ、バローが高度に計算し尽くした「勝てる立地」だ。 横浜市は都心部でありながら、日常的に車で買い物をする層が極めて多いという特性を持つ。下永谷周辺のような住宅密集地には、食への関心が高く、確かな品質を求める住民が多く居住している。彼らは「本当に美味しいもの」のためなら、多少の移動時間や手間を惜しまず、車を走らせてでも買いに来る。 バローはこの「わざわざ来る」というターゲット層の行動心理を的確に捉え、あえて駅前の激戦区を避けた「食の空白地帯」を狙い撃ちにしたのである。これこそが、同社が掲げる「デスティネーション・ストア(目的来店型店舗)」の真髄だ。
従来のスーパーマーケットが「近さ」と「チラシの特売」で集客を図るのに対し、バローは「商品に魅力があれば、客は来る」という強固な信念を持つ。そのため、業界の常識である特売チラシに依存しない集客を目指している。 「バローに行けば間違いなく美味しいものがある」というブランドへの信頼を構築することで、莫大な販促費をかけずに集客を図る。そして、浮いたコストはさらなる品質向上や原価低減に再投資され、より良い商品を生み出すという「質の好循環」を作り出しているのである。
「製造小売業(SPA)」としての独自性
バローの自信を裏付けるのは、自らを単なる小売業ではなく「製造小売業(SPA)」と再定義する垂直統合モデルだ。
調達から製造、物流、販売までを一気通貫で管理することで、中間マージンを徹底的に排除。指定農場から直送される牛乳やヨーグルト、プロセスセンターで集中加工された高鮮度な鮮魚など、ナショナルブランド(NB)には真似できない「尖った独自商品」を適正価格で提供する。
横浜の新店舗は、単なる売り場ではない。魚屋、肉屋、パン屋といった専門店の集合体であり、オープンキッチンからは調理の音が響く。効率化の波に洗われ、無機質で均質化した首都圏のスーパーに対し、「人間味のある購買体験」と「圧倒的な専門性」という価値を突きつけているのである。
「西友」を買収し“市場制圧”を狙う「トライアル」
対して、IT小売のパイオニアであるトライアルは、西友の買収という「規模」の拡大と、自社開発の「テクノロジー」の実装により、市場のゲームチェンジを画策している。
西友統合による「600店舗の実験場」とリテールAI
2025年の西友完全子会社化により誕生した国内600店舗規模の巨大ネットワーク。この買収の真意は、単なるシェア拡大ではない。トライアルが誇る「リテールAI」を社会インフラとして実装するための「実験場」の獲得にある。
その象徴が、2万台以上が稼働するスマートショッピングカート「Skip Cart」だ。顧客自身が商品をスキャンし決済を完了させるこのシステムは、レジ待ちという「時間の浪費」を消滅させる。同時に、店舗運営における最大コストであるレジ人件費を劇的に削減する。
労働力が枯渇する2025年の日本において、人を介さずに店舗を回せるこの「省人化パッケージ」は、競合他社に対する決定的なコスト優位性をもたらす。
「買い物カゴ」が稼ぐメディア化戦略
さらに特筆すべきは、店舗を「メディア」へと変貌させる収益構造の革命的転換である。
カートに搭載されたタブレットは、顧客の購買履歴や店内の位置情報と連動し、「今、目の前にある商品」の広告を最適なタイミングで配信する。メーカーからの広告出稿料という新たな収益源を確保したことで、トライアルは「商品を売る利益」だけに依存しないビジネスモデルを確立した。
これにより得られた原資は、商品のさらなる値下げ(EDLP:常時低価格)へと還元される。西友のブランド力とトライアルの技術力が融合し、PB(プライベートブランド)の相互導入も加速した今、首都圏における価格競争力は新たな次元へと突入した。
人間的体験 vs. 機械的効率
両社の戦略を対比させた時、浮かび上がるのは「価値の二極化」である。スーパーマーケットに求められる機能は、以下の二つのベクトルに完全に引き裂かれた。バローが提供するのは、AIには代替不能な「人間的な体験(Emotion)」である。対してトライアルが提供するのは、生活防衛のための「機械的な効率(System)」である。
消費者は今後、「週末のハレの日の買い物」にはバローを、「平日の補充買い」にはトライアルを選ぶという形で、明確な使い分け(TPO)を行うことになるだろう。つまり、この両極端な戦略は、単日という短いスパンで見れば顧客を奪い合っているように映るかもしれない。しかし、生活者のライフスタイル全体に落とし込んだ時、それは「奪い合い」ではなく、シーンに応じた「選択肢の提示」へとその意味を変えるのである。
「中庸」の死と選別の時代
バローの関東進出とトライアルの西友改革。この二つの事象が示唆する結論は、「中庸の死」に他ならない。
かつて市場の大半を占めていた「そこそこの品質で、そこそこの価格」のスーパーマーケットは、その存在意義を完全に喪失した。バローほどの質も出せず、トライアルほどの安さも利便性も提供できない企業は、2025年以降、急速に市場から退場を余儀なくされるだろう。
「質」という頂を目指すか、「効率」という頂を極めるか。2025年以降の小売市場は、自社のポジショニングを明確に定義し得た企業だけが生き残る、冷徹な選別の時代へと突入したのである。