二人の少女、エルシーとフランシスが捏造した「妖精写真」ーーこれを信じて「本物だ」と主張したのが、科学的な推理を身上とする名探偵ホームズを生んだ作家コナン・ドイルだった。
この「妖精事件」は英国で「20世紀最大のいたずらの一つ」とされている。
なぜドイルは引っ掛かってしまったのか? NHK朝ドラ『ばけばけ』のヘブン先生のモデルでもあるラフカディオ・ハーン(小泉八雲)と同じルーツについて、専門家の考察を交えて考察する。
※この記事は、シャーロック・ホームズの生みの親、作家コナン・ドイルの数奇な生涯を解説した篠田航一著『コナン・ドイル伝 ホームズよりも事件を呼ぶ男』(2025年11月20日発売)より一部を抜粋・編集したものです。
「20世紀最大のいたずら」
妖精事件は今、英国で「20世紀最大のいたずら(hoaxes)の一つ」(英BBC放送)と位置付けられている。
エルシーとフランシスは、ドイルが第一次大戦後に息子や弟を亡くしたことを知っていた。そして、ドイルはきっと超常現象を信じることで、寂しい気持ちを紛らわせようとしていると考えていたのだという。
当時、二人は「あの方(ドイル)が亡くなるまで待ち、その後に真実を打ち明けよう」と話し合った。だが結局、真相告白にはだいぶ時間がかかってしまった。
既に多くの人が指摘していることだが、妖精の話を信じてしまった背景にはドイルに流れる「ケルト人の血」が関係しているとの見方もある。ドイルはアイルランド人の血を引いているが、彼らの祖先が古代欧州に住んでいたケルト人だ。
その文化的特徴として挙げられるのが、まさに「妖精好き」「怪奇好き」の一面なのである。アイルランド人の血を引く作家で、日本に住み着いて名作『怪談』を著したラフカディオ・ハーン(1850~1904年、日本名・小泉八雲)はその典型だろう。
妖精が棲んでいる心
アイルランドやケルト文化に関心を持ち続けた作家の司馬遼太郎は、『街道をゆく31 愛蘭土紀行Ⅱ』の中でこう記している。
「ケルト人(ヨーロッパの古民族。たとえばスコットランド人やアイルランド人)の心がもし他民族がうかがい知れぬほどに深いとすれば、そのなかに妖精が棲んでいるからだと私はおもっている」
私も以前、アイルランドの首都ダブリンで、地元の高齢男性から「地方に行くと今なお妖精を信じている人がいる」との話を聞いたことがある。
バロウ氏も、「妖精への関心は、ドイルに流れる血という理由もあるでしょう。特に子供時代、ドイルにとって妖精は間違いなく身近なものでした」と語る。
ドイルの父チャールズも、よく妖精を題材にした絵を描いた。ドイル自身が生まれ育った家庭の中で、妖精は身近な存在だったのだ。
バロウ氏によると、ドイルは当時、女の子が恋に落ちたり、大人になったりすれば、妖精を見る能力がなくなると考えていたという。
「妖精を見るには、性欲が高まる以前の子供の無邪気さが必要だ。ドイルはそう信じていました。妖精は現実世界と異なる波長で存在し、子供はそれを知覚することができる。しかし年を取るにつれてその感受性が失われる。彼はそう考えていたのです」
ドイルは1922年、「妖精の到来」(The Coming of the Fairies)という論文を書いた。その中で、霊媒としての能力が現れるのは子供時代だと主張し、「子供が女性になり、心が世慣れて平凡になるにつれて、その段階は過ぎ去るという傾向がある」と述べている。妖精の存在にも触れ、この世界は我々が想像していたよりもはるかに複雑だとしたうえで、この地上には「奇妙な隣人たち(strange neighbours)がいるかもしれない」と記している。
奇妙な隣人とは、もちろん妖精や霊的な存在の類いを指す。この論文を読むと、とても合理主義の名探偵を生んだ人物の文章とは思えない。晩年は、もう心霊一色だった。