いまから約138億年前、ビッグバン直後の宇宙には、光を放つ星も銀河もまだ存在せず、ただ暗闇が広がる「暗黒時代」が続いていました。やがて、最初の星や銀河が生まれ、「宇宙の夜明け」が訪れます。そこから数億年かけて、宇宙は少しずつ光で満たされていきました。
では、この決定的な転換は、いつ、どのように起こったのでしょうか。
じつは、宇宙暗黒時代の記憶を私たちに届けてくれる微弱な電波があります。「21cm線」と呼ばれる中性水素からの微弱な電波です。
古代から現代にわたる人類の宇宙観から、天文学・宇宙研究の最前線までの幅広いテーマを、21cm線によって解明された最新の成果とともにご紹介するのが、『宇宙暗黒時代の夜明け 21cm線で探る、宇宙138億年史』(講談社・ブルーバックス)。本記事シリーズでは、この『宇宙暗黒時代の夜明け』からの興味深いトピックをご紹介していきます。
前回の記事で取り上げたビッグバン理論。今回は、その予言が証明される決定的な現象のうち、「宇宙マイクロ波背景放射(CMB)」の発見と、驚きの観測結果についての解説をお届けします。
*本記事は、『宇宙暗黒時代の夜明け 21cm線で探る、宇宙138億年史』(ブルーバックス)を再構成・再編集したものです。
ビッグバン理論が予言する「二つの決定的な現象」
今日では「ビッグバン」という言葉は広く知られていますが、発表当初は数ある宇宙論の一つに過ぎませんでした。
ビッグバン理論が予言する決定的な現象は主に二つあります。
第一は「宇宙に存在するヘリウムの量」で、ビッグバン元素合成によって宇宙の物質の約75%が水素、約25%がヘリウムになると予測されます。
第二は「宇宙マイクロ波背景放射(CMB : Cosmic microwave Background)」の存在です。初期宇宙の元素合成で大量の光子が生じており、それが今も宇宙全体に満ちているはずだと考えられたのです。
ここで注意すべきなのは、ビッグバンを「宇宙のどこか一点で起きた爆発」と誤解しやすい点です。実際には、宇宙のあらゆる場所が等しく高温・高密度であったのです。たとえるなら、圧力鍋全体が均一に熱せられているようなもので、蓋を開ければ蒸気が一様に放出されます。同じように、初期宇宙で生まれた光子も宇宙全体に広がり、それが今日観測される「宇宙マイクロ波背景放射」となっています。
ビッグバンが宇宙のあらゆる場所で等しく起こったことについては、CMBの観測で明らかになりましたが、そのことについては、もう少し後でお話しましょう。
裏付けられていく予言
これら二つの予言は、その後の観測によって次々と裏付けられました。まずヘリウムについては、古い銀河や遠方銀河の中の元素比を観測することで、理論予測とよく一致することが確認されています。ただし銀河ごとの進化や性質も考慮しなければならず、観測には困難も伴いました。
一方で宇宙マイクロ波背景放射の発見は、ビッグバン理論を決定づける決定的な証拠となりました。1960年代、プリンストン大学のロバート・ディッケ(1916〜1997年)やジェームズ・ピーブルス(1935年〜)らは、ビッグバン理論が予言する背景放射を探る観測実験を計画していました。
ちょうど同じ頃、アメリカのベル研究所のアーノ・ペンジアス(1933〜2024年とロバート・ウィルソン(1936年〜)は、新型マイクロ波アンテナを使い通信ノイズを研究していました。
1964年、彼らはアンテナをどの方向に向けても消えない「雑音」を観測します。機器の故障や周辺環境の影響を疑い、アンテナに付着した鳩のフンや巣まで徹底的に取り除きましたが、それでも雑音は消えませんでした。
実はこの「雑音」こそが、宇宙全体に広がるマイクロ波背景放射でした。全方向から一様に届くノイズは、ビッグバン理論が予言する光子の名残として最も自然に説明できたのです。ペンジアスとウィルソンはプリンストン大学の研究チームと連絡を取り、共同で確認を進めました。そして1965年、宇宙マイクロ波背景放射の存在が公式に発表され、ビッグバン理論は大きな支持を得ることになりました。
ペンジアスとウィルソンはこの発見によって1978年にノーベル物理学賞を受賞し、ピーブルスもまた2019年、現代宇宙論に対する貢献でノーベル賞を受賞しています。
CMB観測衛星「COBE(コービー)」のお手柄
CMBの発見から約10年後の1974年、NASAは小型・中型の探査機を用いた新しい天文学ミッションの公募を開始し、1976年にはその選定結果としてCMBを観測する衛星の計画が採択されました。これが「COBE(コービー)」衛星です。
COBE衛星の主な目的は、宇宙マイクロ波背景放射をより詳細に観測・解析することでした。1989年にCOBE衛星が打ち上げられ、1992年には観測結果が公表されます。その成果は、宇宙論の研究を大きく前進させるものでした。COBE衛星が明らかにした発見について、もう少し詳しく見ていきましょう。
まずCOBE衛星は、宇宙全体のあらゆる方向からやってくるCMBの温度を測定しました。その観測データを2次元で表現したのが図「モルワイデ図法」です。
この図は初めて見る人には少し分かりづらいかもしれません。イメージしやすい例として、地球儀と世界地図を考えてみましょう。地球は本来3次元の球体ですが、その表面を2次元の地図に投影して世界中の地形を描いています。たとえばモルワイデ図法やメルカトル図法などが使われます。
同じように、宇宙マイクロ波背景放射(CMB)も本来は天球全体、つまり宇宙を球状に取り囲む3次元的な広がりを持っていますが、それを2次元の平面に展開したものがCMBの「全天マップ」なのです。
ビッグバンは、宇宙のあらゆる場所で等しく起こった
この全天マップを見ると、どの方向を見てもほとんど同じ色、すなわち同じ強さの背景放射が観測されていることが分かります。その強さ(温度)はおよそ2.73ケルビンで、これはマイナス270℃ほどに相当します。
つまりCMBは宇宙のあらゆる方向から等しく降り注いでおり、ビッグバンが宇宙の「どこか一点」で起きたのではなく、宇宙のあらゆる場所で等しく起こった出来事であることを物語っています。CMBが全天に均等に存在するという事実は、ビッグバン理論を強く裏付ける観測的証拠なのです。
なぜこれほど均一な温度になっているのでしょうか?
ビッグバン直後の宇宙が「熱平衡状態」にあったわけ
それは、ビッグバン直後の宇宙が「熱平衡状態」にあったからです。たとえば、100℃のコーヒーと20℃のミルクを同量混ぜると、両者の温度は均一化し、大体60℃になります。このように、高温と低温の物質が混ざって熱が均一に行き渡った状態を熱平衡と呼びます。
ビッグバン直後の宇宙も、光子や電子、陽子、中性子などが盛んに相互作用し、宇宙全体で熱平衡が成立していました。COBE衛星の観測によって、CMBがどの方向からもほぼ同じ温度で届くことが確認されました。これはまさに、初期宇宙が熱平衡にあったという理論を強く裏付ける証拠です。
さらにCOBE衛星は、もう一つ決定的な発見をしました。それが「宇宙マイクロ波背景放射の温度揺らぎ」です。続いては、この温度揺らぎについてご説明しましょう。 天文がもっとおもしろくなる、宇宙の話 アンテナを我が家とした鳥の、悲しすぎる末路マイクロ波背景放射発見の裏には、あまり知られていないエピソードもあります。ペンジアスとウィルソンは、アンテナに巣を作っていた二羽の鳩を捕獲し、鳩愛好家に引き渡しました。しかし「血統書付きでない」との理由で手放されてしまいます。鳩は極めて強い帰巣本能を持っています(ベランダに巣を作ろうとする鳩を追い払おうとしたことのある読者もいるかもしれません)。50キロメートルほど離れた場所で放したにもかかわらず、結局鳩は再びアンテナに戻ってきてしまいました。やむを得ずペンジアスは、最も苦痛の少ない方法として散弾銃で鳩を処分したといわれています。ビッグバン理論を裏付けた背景放射の発見の陰には、このような悲しい逸話も残されているのです。
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続いて、COBEのもう一つの重要な発見である「温度揺らぎ」についての解説をお送りします。
宇宙暗黒時代の夜明け 21cm線で探る、宇宙138億年史
誕生初期、暗黒だった宇宙の記憶を、現代の私たちに届けてくれる微弱な電波21センチ線。可視光では見えない宇宙の深淵を、この21センチ線という窓から覗くことができるのです。21センチ線を用いた観測によって宇宙の黎明を探る研究を、最新の成果とともに紹介。
夜空を見上げる視線が変わる、最前線の宇宙物語。