私たち日本人が海外の人からどう見られているのか、どう思われているのかという点は、気になる人も多いのではないか。インターネットやSNSでは、「日本人は海外に行っても好意的に受け入れられる」や「日本人だというだけで現地の人に良くしてもらった」といったポジティブな話が多く見られる。海外生活が十年を超えた筆者の実体験を踏まえても、自身が日本人であることで現地の人に無条件にプラスの印象を持ってもらえることも多い。
しかしながら、完璧な国というのはこの世界には存在しないものだ。良いイメージを持たれることが多い日本人に対しても、良くないイメージというものは存在する。文化の違いや言葉の壁などが原因で齟齬が生まれやすいという、海外という独自の条件も影響しているのだろう。
今回は、海外の人が日本人に対して抱きがちなステレオタイプについて、いくつか例を挙げながら紹介していく。良いステレオタイプもあれば、悪いステレオタイプももちろんある。何故そうしたステレオタイプが生まれたのか、また、それらのステレオタイプがいったいどこまで本質をついているのかについても考えていきたい。
記事前編は【「日本人」と分かると態度を急変させたフランス人大家…パリでの「部屋探し」で覚えた衝撃】から。
日本での「当たり前」がネガティブに働くことも
こうして日本人に対するポジティブなステレオタイプを見ていると、私たち日本人が日本で当たり前に行っていることが、他の文化圏の人からすると称賛に値する場合もあることに気が付く。一人一人が日本の「当たり前」を守っているからこそ、良いイメージの形成に繋がっているのだろう。
しかしながら当然のことではあるが、日本人であれば全てにおいて良い印象を持たれるということはない。文化的な違いや習慣の違いなどは大きく、日本で「当たり前」のことが別の文化圏においては良いとはされず、ネガティブなステレオタイプ形成に繋がってしまうこともあるのだ。
その最たる例が、チップだろう。欧州や北米には、飲食店等を利用した際に会計にチップを上乗せした額を支払うことが当然のマナーとされている国もあり、中には客側が半ば義務的にチップを支払うのが当然と考える国も存在する。
チップという概念がほとんど根付いていない私たち日本人にとっては、海外旅行をする際にチップをいくら置くか、そもそもチップを置くべきなのかどうかというのは常々悩むところではないか。そもそも「サービスは客側が無償で得られるもの」や「料金はきっちりと明記されているもの」といった感覚がとても強い日本においては、チップという習慣自体が理解し難いものだ。「誰かが良かれと思ってしてくれたことに対して金銭で感謝の気持ちを表す」といったチップの概念は、なんとも無粋であるようにさえ感じられる。
そもそものチップの定義とは、「店側のサービスや接客に満足した際に客側が渡す心付け」である。なのに「チップは最低15%置くのが常識である」といったように数値化され半義務化されてしまうのは、なんとも変な感じがするかもしれない。
チップの額が時給を上回る
筆者はかつて、カナダのモントリオールにある創作和食料理店でホール担当のアルバイトをしていたことがある。その店はラグジュアリー志向の内装やメニューで、もちろん価格帯もある程度のものであった。純粋な和食を提供するわけではなくフュージョン料理がメインだったことから、顧客のほとんどは地元の裕福な層であり、筆者は日本人客を担当したことはもちろん、見かけたことすら一度もなかった。
知らない人のために少し解説しておくと、カナダのチップ文化というものはすさまじいものがある。ガソリンスタンドで給油を担当してくれた人に$5ほど手渡すのは当たり前であるし、飲食店のクラーク(上着を預かるスペース)で客のコートをハンガーにかけて番号札を手渡すだけで$5をチップとしてもらえることも多い。筆者が和食レストランで働いたのは週に2回から3回、週に6時間から10時間ほどだけであったが、それでも週に$200や$300のチップがもらえていた。時給が確か$15だったので、時給よりもチップの額の方が断然良いくらいである。
カナダでサービス業に携わればこれくらいのチップがもらえるものというのが筆者の中では常識だったのだが、あるとき別の日本食レストランで働くカナダ人の友人とチップの話になったことがある。彼女が働くレストランは中心街に位置し、日本人オーナーが営む本格的な日本食を提供する店で、顧客層は地元客よりも現地在住の日本人が大半という店だった。
彼女が言うには、「チップはもらえるけど週に$40から$50くらいで、$100を越えることなど滅多にない」とのこと。さらに「日本人客はそもそもチップを払わない人も少なくないから、正直担当したくない」と言うから驚いた。
「店のオーナーも店員も日本人で、日本にはチップの習慣はないからチップを払わなくても良い」と考えているのだろうか。もちろんチップは義務ではないが、カナダのように「よほどのことがない限り払うもの」という感覚の土地でチップを置かないというのは、少なくともスマートな振る舞いではないように筆者は感じる。こうしたことが積み重なった結果、「日本人はケチ」というイメージを持たれてしまうのは、なんとも残念に思える。
「旅の恥はかき捨て」とはよく言うが、自分の行動次第で防げる恥はかかないほうが良い。日本円にして数百円のチップを節約して居心地が悪いまま店を出るよりも、そういう文化だから仕方がないと割り切って数百円の出費に目を瞑る方が、店側にとっても自分にとっても気持ちの良い一期一会の思い出となるのではないだろうか。
ステレオタイプとの向き合い方
日本人に対するステレオタイプについて、筆者自身の経験から良いものと悪いものの両方を取り上げた。こうしたステレオタイプは他にもまだまだ多くあるので、機会があればさらに深掘りして紹介できればと思う。
ある国や文化圏に対するステレオタイプが生まれることには、必ず理由があるものだ。全くの的外れな内容であればステレオタイプとして広がらないし、ステレオタイプがステレオタイプとして根付くことには必ず裏付けとなる事実があるものだ。
本記事で解説した日本人に対するステレオタイプを元にまとめると、「日本人は綺麗好きで物や空間を大切にするが、ケチ」と思われていることになるが、もちろん全ての日本人に当てはまるわけではない。しかし筆者自身を省みると、当たらずとも遠からずな部分があるのは否定できない(特にチップ制度にはいまだに戸惑う)。
「○○人はこうだ」と主語を大きくして議論することが憚られがちな現代社会。しかしながら、出身や民族、文化による行動や考え方の違いというものは確実に存在するし、他の文化圏の人たちにとってはそれがステレオタイプを形作る要素となる。
ステレオタイプには、文化的・社会的慣習の違いから生まれる誤解もあるが、妙に納得させられてしまうものもある。やはり日本人が物を大切に使いたがる傾向は事実だと思うし、チップに数百円多く払うのをもったいなく思ってしまう人が多いのも事実に思える。
大切なのは、先人が築いてくれた良いイメージはそのまま守りつつ、ネガティブなイメージは真摯に受け止めて改善できるように努力することだ。日本人が良いイメージを持たれがちであることは事実であるが、そこに慢心してばかりではいけない。「自分の行動ひとつが次に来る日本人の体験を左右するかもしれない」と考え、謙虚な姿勢を忘れずにいたいものだと自戒を込めて思う。