1964年の東京五輪をきっかけに始まった都市開発の波は、半世紀を経たいまも形を変えながら続いている。
田中角栄の「日本列島改造論」によって地方へと広がった開発熱は、中曽根康弘内閣のアーバンルネッサンス計画で東京の高層化を後押しし、バブル経済の形成にもつながった。バブル崩壊で一度冷え込んだ開発機運は、小泉内閣の規制緩和によって再び勢いを取り戻し、都心回帰とともにタワーマンションの建設が加速。
とりわけ京葉線沿線で、工業地帯からベッドタウンへと姿を変え、東京近郊の新たな都市風景を形づくっていった。その変遷は、日本の都市開発の半世紀を映し出している。
前編記事『工場の街・蘇我はなぜ「東京の玄関口」になったのか? JR東日本の“したたかな戦略”が動かした浦安・湾岸の50年』より続く。
JR東日本が仕掛けた再開発戦略
JR東日本は、2000年前後から内房線・外房線より東京寄りの南船橋駅や新浦安駅などに目を向け、そのエリアの開発に乗り出していた。
2002年には南船橋駅に快速列車を停車させるダイヤ改正を実施。これを機に南船橋駅一帯の開発機運が盛り上がりを見せるが、より東京に近く快速が停車する駅として高い利便性を誇っていた新浦安駅も不動産市場から注目される。
当初、新浦安駅周辺にタワマンは少なかったが、駅周辺の開発が進むにつれ増加していった。都外という理由から割安感のある価格帯に収まり、それがニューファミリー層の心を捉え、駅周辺のタワマン急増へとつながった。
▲新浦安駅は早い時期から高層住宅が立ち始め、京葉線沿線でタワマンを象徴する街となった(2021年2月撮影)
ただし、新浦安駅や舞浜駅など京葉線沿線は、干拓や埋め立てによって造成された土地であるため、地盤は強くない。2011年の東日本大震災では、浦安市を中心に液状化現象が発生し、多くの建物が被害を受けた。震災対策を万全にしていたタワマンでも、その影響を免れることはできなかった。
▲浦安市の沿岸は埋立や干拓によって段階的に造成されたため、陸地に防波堤が存在している(2021年2月撮影)
また、2000年代までの京葉線は強風を理由に運行を休止することがあり、その不安定な運行体制が通勤に不向きと忌避されていた。強風による運行休止は海沿いを走る路線の宿命ともいえるが、近年は防風対策を強化して、遅延や運行休止などは以前とは比べものにならないほど減少している。
なぜ「通勤快速」は姿を消したのか?
JR東日本は通勤快速によって内房線・外房線の沿線需要を掘り起こし、それを取り込むことに成功した。
しかし、新浦安駅や南船橋駅などの人口が急増したことで、わざわざ内房線・外房線といった遠いエリアまで列車を運行することが非効率と受け止められるようになる。こうした理由から通勤快速は段階的に本数を減らし、2024年3月のダイヤ改正をもって通勤快速は姿を消した。
▲南船橋駅の周辺には、かつて船橋ヘルスセンターが立地していた。その跡地は三井不動産が主体となってららぽーとTOKYO-BAYなど複数の大規模商業施設を整備した。(2019年1月撮影)
▲南船橋駅の南側はURの住宅団地が立ち並ぶほか、未利用地も多く残っていた。2020年以降になると大規模な物流施設の建設が進んでいる(2019年1月撮影)
当時、筆者はJR東日本千葉支社に取材をしている。広報担当者は「『通勤快速の廃止』と報道されていますが、私たちは“列車種別の変更”と考えています」と説明した。
列車種別とは、特急や各駅停車など、運行形態による列車の区分を指す。都市圏に路線を持つ鉄道事業者では、こうした変更は頻繁に実施している。そのため、JR東日本千葉支社も今回の通勤快速の「廃止」を、単なる列車種別の変更にすぎないと捉え、事態を深刻には受け止めていなかった。
だが、京葉線から通勤快速の廃止が発表された直後、首都圏では大々的なニュースとして報じられた。千葉県の熊谷俊人知事や千葉市の神谷俊一市長が通勤快速の廃止を撤回するように訴えるほどの大騒動になったが、JR東日本千葉支社は翻意しなかった。
というのも、鉄道を運行する立場のJR東日本は、通勤快速がダイヤ上のネックになっていると判断していたと考えられる。
タワマンが変えた京葉線の風景
鉄道に詳しくないと、通勤快速のような速い列車を走らせれば多くの列車を運行できると考えがちだが、それは全列車が同じスピードで走るという前提で成り立つ。各駅停車や快速が混在する京葉線では、通勤快速を走らせるために各駅停車がホームで通過待ちをしなければならない。この待避が全体の運転本数を減少させる。
逆に、すべての列車を各駅停車にしてしまえば移動の所要時間は増えるものの、運転本数を増やすことができる。
実際、JR東日本が京葉線から通勤快速を廃止するダイヤ改正を発表した際、その目的について「通勤快速の利用者を平準化させること」「各駅停車の運転本数を増やすことで、快速が停車しない駅の利便性を高めること」「通勤快速や朝夕の快速がなくなることで通過待ちがなくなり、各駅停車の所要時間が短縮できる」という3点を挙げた。
この説明から見えてくるのは、それまでの京葉線は特定の駅に利用者が偏在していたが、いまは全駅が均等に発展して、どの駅でもそれなりに利用者が増えているということだ。
新浦安駅はタワマンの建設によって発展が著しく、沿線の発展を牽引する駅になった。新浦安を皮切りにしたタワマン開発はほかの駅にも広がり、沿線全体で人口が増加。そうした状況が、結果として特定の駅を優先したダイヤ編成を難しくしている。
「すべてタワマンのせい」とまでは言えないだろうが、京葉線の通勤快速廃止に一定の影響を及ぼしたことは否定できない。鉄道事業者も沿線自治体もタワマンというモンスターに手を焼いている。
(JR京葉線の写真以外はすべて筆者撮影)
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