軍事戦略にまで影響を及ぼす
半導体製造大手のエヌビディアは、同業者のAMDとともに、この8月、トランプ2.0のホワイトハウスと、中国への売上の15%をアメリカ政府に収めるという契約を交わした。そうすることで「トランプ関税」による全方位貿易戦争のさなか、トランプ政権がライバル視する中国の企業との取引を承認させた。エヌビディアからすれば、ある意味力技で、需要の多い中国への輸出を認めさせた結果だ。一方、トランプ陣営は、優良企業の売上から個別に直接、上前をはねる前例を作り出した。トランプ2.0後のアメリカについて囁かれてきた「America Inc.」としての性格が、いよいよ前面に出てきた。その意味では「ショバ代」のようなものと思ってよいのだろう。
それにしても驚かされるのは、このような無理を通せてしまうくらい力をつけたエヌビディアの存在だ。インターネットブーム前の1993年に創業し、ゲーム用のCGエンジンとして画像生成に特化した演算装置GPUを生産してきた半導体産業のニッチ企業が、あれよあれよという間に、IT産業の中心にのし上がった。それだけでなく、その存在が、アメリカ経済の行方や、米中関係を中心とした地政学的判断にまで影響を与えるようになった。直接、消費者に向けた商品を作っているわけでもないため、設立後長い間、業界関係者くらいしかピンとこない知る人ぞ知る企業だったはずが、いつの間にか時代の鍵を握る企業にまで上り詰めた。テクノロジー、経済、政治文化、そして地政学といった様々な社会潮流が交わる地点で浮上した、2025年の今を象徴する存在だ。
トランプ2.0でテクノロジーといえば、5月末までDODGEを率いたイーロン・マスクが一番に思い出され、二番手として「AI・クリプト皇帝」としてのデビッド・サックスがいる。だが、半導体産業の顔は思い浮かばない。エヌビディアの創業者CEOであるジェンセン・フアンは、ベゾスやザッカーバーグのようなBig TechのCEOたちとは異なり、トランプ2.0の就任式にも参加していなかった。そのエヌビディアがここに来て、トランプ2.0の技術政策や経済政策、はては軍事戦略にまで影響を及ぼすようになった。
そんなことがなぜ起こったのか?
思いつく理由としては、生成AIの登場に見られるAIの設計思想の変化、それに伴うコンピュータ産業の断続的変貌、同時代に生じたポピュリズムに下支えされたナショナリストの意向、さらには新冷戦の中での軍拡競争、といったところか。こうした要素が互いに影響を与えながら、エヌビディアは「他には代えがたい」稀有な存在となった。
半導体は「産業の種子」に
現在のエヌビディア台頭の種火となったのは、いうまでもなく「生成AIの興隆」だ。
生成AIの心臓部である機械学習の遂行のために、エヌビディアのGPUを大量に組み合わせることで実現する大規模な並列演算処理機構が必要になる。もともとコンピュータゲームにおける画像演算に特化する形で開発されてきたものが、ある日、機械学習に利用されるようになり、現在の引く手あまたの状況が生まれた。
この状態は、従来のコンピュータ産業とは異なる、断続的な、非線形な変化を意味する。この点はよく理解しておかないといけない。ただのコンピュータ産業のバージョンアップではないのだ。これまでのコンピュータ産業の延長線上にある変化という先入観を一度、振り払う必要がある。そこで間違うとインテルのようになってしまう。インテルは、AppleからiPhone向けチップの製造を依頼したのを拒んで以降、ブロックチェーンや生成AI用のGPUまで商機を逃し続けてきた。クリステンセンのいうところの「イノベーションのジレンマ」にまさに陥ってしまった。
IT産業は過去20年ほどの間、GoogleやFacebook(現Meta)の台頭を後押しした、いわゆるウェブ2.0のコンセプトの下、ソフトウェア主導のイノベーションが続いた。クラウドというネットワーク資源の普及により、設備投資にあまり依存しない競争が続いたため、後発企業であっても迅速に顧客の声に応え彼らを誘導できれば状況を変えることも可能だった。だが、半導体のような物理的装置の開発や製造、そのための資材の調達能力が試される時代に移ったことで、改めて事業や産業としての「長期的展望」や「長期的戦略」が必要になってきた。
エヌビディアが用意する半導体は、短期的な利益を生むだけでなく、その半導体を基盤にした新たな産業の組み換えを促すものだ。かつて半導体が「産業の米」と言われたのにならえば、さしずめ「産業の種子」だろうか。波及効果は計り知れない。
中国はエンジニアリングの国
生成AIの興隆に合わせてコンピュータ産業そのものが再構築されようとしている。その様子は、自動車産業が、ガソリン車からEVへと変貌するようなものだ。ここで「進化」ではなくわざわざ「変貌」という言葉を使ったのは、この変化が、これまでのプレイブックを使ったままでは達成できないものだから。言い換えれば、既存の成功者は間違いなく、現在直面している業界構造を揺るがす変化に対して、苦渋の決断、あるいは勇気ある英断を求められる。なぜなら、見た目は変わらないにもかかわらず、中身は全く異なるものに変身しなくてはならないときほど、思考の切り替えが困難な時はないからだ。相応の知恵がなければその違いには気がつけない。
見た目は車のままでも、これまでのガソリンを燃やすエンジンによる自動車とEVとでは中身は異なる。車としてのデザインに連続性があると思えるのは、あくまでも車のデザインが、人間の身体に即したインターフェースとしてあるためだけにすぎない。人間の身体のパラメータは変わらないからこれまでのデザインを踏襲しただけのこと。もっとも、それとて、EVの普及が進み、EVの存在が当たり前になったら、あるタイミング(=ティッピング・ポイント)で、これまでとは全く異なるデザインのEVが現れることもあり得る。その意味では、現在EVの生産数を増してきている中国が、次の時代には、自動車の標準デザインを決めるのかもしれない。振り返れば、テスラが売上を増やすために、共和党支持者が好むピックアップトラック型のEVを売り出すあたり、今のアメリカがどれだけ後ろ向きか、ノスタルジアに逃避しているか、わかろうというもの。アメリカと中国で、どちらが未来を向いているか。
アメリカと中国との関係は、19世紀末のヨーロッパとアメリカの関係を想起させる。当時のアメリカは第2次産業革命の波に乗り生産力を増大させ、欧州のそれを追い越した。おそらく良識のあるアメリカ人であればあるほど、この時を思い返すことができ、それゆえ中国を警戒するのだろう。
その様子は、最近出版されたダン・ワンの『Breakneck』の中でも指摘されている。中国とアメリカを対比的に扱ったこの本では、中国はエンジニアリングの国、アメリカは法律の国と位置づけている。それは習近平を始めとした中国政府・中国共産党の要人の多くが理工学系の高等教育を受けたものであるのに対し、アメリカの政治家の多くは立法府への関与の多さから法律家出身であるところにも現れている。エンジニア上がりの政治家が中国に多いことはある意味、行政府が政府の中心であることを示しており、そこがアメリカとの大きな違いとなる。要するに、行政の現場を仕切る官僚が重要で、そのためには実務の判断基準となる工学の知恵を持つことが重視されたという解釈だ。社会の中核にあるリーダーが現代社会の変化の駆動力であるテクノロジーについて明るいか否か。その点で中国に優位性があるようだ。シリコンバレーのテックタイタンたちが時にイライラしているのもこの点だ。
日用品は「認知操作」の素材に
ひるがえって、日常生活を彩る必需品、とりわけ耐久消費財のデザインの決定権を握ることの社会に対する影響力は想像以上に大きい。文字通り、人びとの生活のスタイルを決定するからだ。トランプの関税志向の原点は、1980年代の日本の輸出攻勢から始まっているというが、当時であれば日本の車や家電製品がアメリカ人の日常生活に、まさに裏口から侵入してくるような不気味さがあったのだろう。1980年代の日本の脅威の記憶があるからこそ、その何倍もの形で中国の脅威を想像してしまう。当時、日本の家電製品の攻勢に腹を立てたアメリカの議員たちが、わざわざ日本製のラジカセをハンマーで叩き壊すというパフォーマンスを示したこともあったくらいだ。
少し横道にそれるが、セキュリティの意識という視点から見れば、1970年代のニクソンショック以降、アメリカは輸出から輸入に頼る経済に転じ、外国製品があふれる社会に移り、それが一つの集合的な心理的圧力となったと見た社会時評は少なくない。70年代以前の「恐怖」の原点が核兵器による天から降る業火だったとすれば、80年代以降の「恐怖」の中心は、気がつけば社会の内部から侵食してくるゾンビやエイリアンのような異分子に移っていった。「脅威は内部にあり、敵は隣りにいる」というのが1980年代以降のアメリカの社会的気分となった。日常生活が外国製品で溢れれば溢れるほど、内部侵略のメタファーが有効になっていった、そう捉えるのが妥当なのだろう。その点で、世界の「認知」の仕方を操作するための駒となる「日用品」の効果は無視できない。日常用品の全てが原理的には「認知操作」の素材たり得る。それが高じたのが、現在のインフルエンサー経済、インフルエンサー政治である。
とまれ、話を戻すと、生成AIの興隆や、地政学的緊張が増す中、企業(≒市場)から国家に再び「権力」を取り戻したいと考える「権威主義志向」の政治家たちからすれば、半導体は、政治のグランドデザインを描くうえで格好の素材となった。国家が先導して研究や開発に投資をし、「幼稚産業擁護論」のような発想で「生成AI+新半導体」産業を捉えようとする。そのために必要となる資金も、政府をバイパスする形で、直接投資として関係諸外国に要請する。
しかもポピュリズムを梃子にした今どきのナショナリストからすれば、半導体産業をとりあげれば、「殖産興業」や「富国強兵」のようなノスタルジーに訴えることもでき、わかりやすい宣伝文句、惹句も使いやすい。なによりも、これまでの市場優位の時代にあった「政府は環境整備に従事する黒子に撤すべし」という考えと異なり、政府が主体的に国家を導く姿勢を示すことができる。政治家の「強い意志」を仮託する先としても有用だ。
今のアメリカでポピュリズムを梃子にしたナショナリストといえば、それは「ナトコン(NatCon=National Conservative:国民保守主義)」一派であり、JDヴァンス副大統領やジョシュ・ホーリー上院議員がその代表的政治家だ。彼らにとっても半導体は政治的な利用価値の広い分野である。
生成AIブームの背景
このように、技術、経済、政治の交差点で際立つエヌビディアだが、それでも一つ忘れてはならないのは、エヌビディアが販売するGPUも、その物理的な生産は、台湾にあるファウンドリ(=受託製造)のトップであるTSMCであることだ。この事実がさらに半導体戦争を新冷戦の中核に押し上げる。社会的な印象ということでいえば、エヌビディアの創業者CEOであるジェンスン・フアンも中華系(詳しくいえば台湾系)のアメリカ人であることも、何かと想像を掻き立てる。中華系ないしは台湾系のコネクションが背後にあるのではないかという想像だ。事実として、シリコンバレーの起業家や投資家のコミュニティに中華系やインド系の人びとが増えていることは、シリコンバレーの未来、アメリカのテクノロジー産業の未来を見通すうえで無視できない要素になっている。
もともと「生成AIブーム」の背景には、基盤となるテクノロジーの開発思想の変化がある。AIパラダイムが「シンボリズムからコネクショニズムへ」と移ったことだった。その結果、利用される演算装置の設計思想が、並列演算を重視するものに変わり、エヌビディアにとっては追い風となった。ベースにあるチップの設計思想がノイマン型から離れ、ニューラルネット型になったことは象徴的。その設計哲学の変化に応じてチップも様変わりした。いつのまにかCPUではなくGPUがメジャーになっていた。もはや「計算機」ではなく、「解答機」「応答機」といってもいいくらい質が異なっている。そのようなフェーズの変化である。
現実を見れば、科学の段階での基礎研究が実際に実を結ぶには数十年の時を要することは少なくない。今のシリコンバレーは、いわばそうした「科学的理論やそれに基づく技術的コンセプト」を、石油産業における油田掘削のようにひたすら「ありもの」の原油を汲み出している状態に近い。いつまでも安定的に原油を確保できると人びとに思わせるのと同様に、いつまでも起業アイデアとしての技術やそれを支える基礎理論が湧き出てくるという幻想を生み出し続けなければならない。
なぜなら、それが経済学者ヤニス・バルファキスのいうところの「グローバル・ミノタウルス」のフレームに答えるために必要だからだ。このフレームは、その名の通り、アメリカを中心にしたグローバル経済体制の下で、アメリカを魅力的な投資先に仕立て上げることで、貿易赤字で国外に流れたドルを国内に引き戻す策だった。そのためには、アメリカは利益率の高い投資先が豊富にある国でなければならなかった。皮肉にも、魅力的なセクターとして喧伝されたのがシリコンバレーのネット企業であり、そこの収益コンセプトは世界中を単一市場にして世界各地から収益を上げるというもので、その結果、その多くはアメリカ社会には直接還元されないものになっていった。リーマンショック以後のポピュリズムを誘発させた大きな原因の一つである。
「ロボット皇帝」を拝命する日
むしろ、グローバル・ミノタウルスの幻想も長くはもちそうもないと直観したからこそ、トランプ2.0は一度アメリカに籠城し関税戦争を世界に対して「等しく」仕掛けてみせたのだろう。
そうしながら、その背後で、ステーブルコインの全面的採用を促し、「グローバル・ミノタウルス」体制に代わるアメリカ国債の安定需要者を確保しようと試みたり、湾岸産油国にペトロダラーをアメリカ企業に直接投資するよう働きかけたりした。アメリカの軍事力を、いわば警備会社のように利用できるようにする代わりに、アメリカのAI研究開発に投資するよう促した。このAI開発投資は回り回ってエヌビディアの業績を引き上げる力となる。
AIは、軍事力の増強にも経済力のテコ入れにも利用可能な汎用性のある技術だ。その技術開発を良質な投資案件と位置づけることで、湾岸諸国を始めとしたペトロダラーをアメリカに還流させ、その結果、開発されたAIを活用したBig Techが、多国籍業として世界各地から売上を収集し、その収益の一部を、ステーブルコインの発行のためにアメリカ国債の購入にあてる。こうして、形を変えた「グローバル・ミノタウルス」が生まれ、改めてドルはアメリカへと還流する。そんな絵に描いた餅のような話を実現させようと、America Inc.のトランプCEOは世界中を相手に「ディール」を売りつけている。
エヌビディアはこうした入り組んだ社会情勢の中で台頭した。かつての半導体の王者インテルが低迷し、トランプ2.0の政府に10%の株式を渡すことになったことも含めて、半導体は今や、アメリカ経済の未来を占うホットスポットである。AIでもクリプトでもなく半導体。だが、トランプ2.0には「半導体皇帝(ツァー)」は存在しない。その事実がまた、政治案件としての半導体産業の複雑さを示唆している。これまで顔の見えにくい企業だったエヌビディアは近年、ロボティックスにも力を入れている。1993年創業のシリコンバレーの古参企業は、一足飛びに「ロボット皇帝」を拝命するのかもしれない。