米野球界の名門ロサンゼルス・ドジャーズのスター・大谷翔平を追い続け、今年で12年目を迎えた番記者、柳原直之。日本ハム時代、メジャー挑戦、WBC優勝、移籍、2024年ワールドシリーズ、50-50達成、結婚、愛犬デコピン、二刀流復活……これまでの取材を通して大谷翔平に聞いた質問は数千を超える。
その中から記者が特に「大谷らしさ」が見えたと感じた17問の回答を軸に、その時の背景や想いを詳細に語った珠玉のノンフィクション『大谷翔平への17の質問―取材現場で記者はどんな葛藤と戦いながら質問をするのか―』(アルソス)からの抜粋。
127日ぶりの取材対応「大谷ドジャース入団」会見
質問:デコピンの名前の由来は何ですか?
2023年12月14日。私は米ロサンゼルスにあるドジャースタジアムで開催された大谷翔平の「ドジャース入団会見」に参加するため、渡米した。その年の8月9日以来、実に127日ぶりの取材対応だった。
大谷に聞きたいことが山ほどあった。決断の決め手はもちろん、スポーツ界史上最高の10年総額7億ドル(決定時約1015億円)の超大型契約、そのうちの97%である6億8000万ドル(同約986億円)を後払いにすることなど多くの経緯を確認したかった。頭の片隅で「愛犬とともにMVP発表中継に参加した経緯」も聞きたいと思っていたが、それは会見の「流れ次第」だと感じていた。
会見場はドジャースタジアムの屋外エリアで、約300人の報道陣が集結。野球記者ではない記者も大勢いたが、なんとか4列目の席を確保できた。午後3時からの会見は挙手制で質疑応答がスタート。通常、大谷の会見は米記者から質問することになっており、この日もそうだったが、数人の米記者が質問し終わったところで「早めに手を挙げなければ、何も質問できずに終わってしまう」と気づいて焦った。
大谷の話を聞きながら手を挙げ、次の質問者を決める球団広報部長の目をじっと見ながら「私を当ててくれ」という念を送り続けた。が、その念はなかなか届かなかった。
デコピンで沸いた会見で回ってきた順番
会見が後半に突入すると、野球とは関係ない質問が米記者から飛び出した。「テレビに映って以後、あの犬の名前を世界中の人が知りたがっている。待ち切れないよ」と質問したのだ。会見場は笑いに包まれ、大谷も白い歯を見せて「ふふっ」と笑いながら、こう答えた。
「デコピンっていうんですけど。こちら(米国)の人は発音的に難しいというかあれなので。元の名前はデコイ(Decoy)というので、こちらの人に説明するときは呼びやすいデコイで紹介しています」
その時の私は、愛犬の犬種が狩猟犬であり、デコイ(Decoy)は「狩猟の際のおとり」という意味であることも、一般的にはブリーダーが付けた名前に発音が近い名前を付けることも知らなかった。しかし、「デコピン」という言葉だけは、ハッキリと聞き取れた。
大谷は人をからかうときに中指で相手の額をはじく「デコピン」が好きで、日本ハム時代から同僚の選手たちによくやっていた。だから犬の名前を聞いたとき、その「デコピン」が由来なのかもしれないと思った。
会場が沸きに沸いたこの質問の直後、私が指名された。やっと念が通じたようだが、なんというタイミングだろう。
事前に用意してきた質問はいくつもあった。127日間もメディア対応がなかったので「打者としての来季への思い」「投手復帰の見通し」「移籍交渉中の心情」など聞きたい質問ばかりだった。
しかし会見場は今、大谷の愛犬の名前が「デコピン」だと公表されたことで沸いている。この流れを崩すのはもったいない。だが、質問は原則1人1問のみ。熟考し直す時間もない。とっさに判断しなければならなかった。
私は意を決して、用意してきた質問の最後に「デコピン」を併せて質問した。
柳原:「来年は打者に専念されるということで、まず開幕に間に合うのかというところ。また、今年より素晴らしい成績を残してほしいという期待が多く集まると思いますが、そこへの思いをお聞きしたいです。そして、もうひとつ。今おっしゃられたデコピンの由来を教えていただければ幸いです」
大谷:「バッティングの方は、今もうドライスイング(素振り)を始めているので、概ね予定通りにまず来ている、若干早いくらいの感じで来ているので。スプリングトレーニングでしっかりゲームに入れる準備ができていれば、十分に開幕に間に合うんじゃないかなという感じはします。(名前の)由来に関しては、元々デコイっていう名前があったので、それに近い感じで選びました」
大谷の回答を聞いた瞬間、「うわっ、質問の仕方を間違えた!」と思った。
デコピンの名前が「デコイ」から来ていることは、直前の質問でわかっていたことだ。私が聞くべきことは、名前はデコイのままでも良かったはずなのに、「なぜデコピンという、犬の名前としては珍しい名前を選んだのか」だった。せっかくの機会に自分の意図とは異なる質問を投げてしまったことが、すごく悔やまれた。
取材では事前に入念な準備をして質問を用意することが大切だが、取材対象者の回答を受けてそれを深掘りすることも、準備と同じくらい大切だ。
しかし今回のような大規模な会見では、各質問者がそれぞれ準備してきた質問をぶつける傾向が強く、話題があちこちに飛んで会見が盛り上がらないケースを何度も見てきた。だからこの時は意識的に直前の流れをくんだ質問に変えたのだが、それによって本来自分が聞きたかったことは聞けなかった。
デコピンに注ぐ愛情から見える大谷翔平
デコピンの4文字は会見後すぐさま地球を駆け巡り、SNSでは世界トレンド1位に躍り出た。
シーズンが幕をあけた後も、大谷のデコピン愛は至るところで見られた。来場者に配布される自身の「ボブルヘッド・ナイト」ではデコピンが始球式を務め、日米両国でセンセーションを巻き起こした。オールスターには裏地にデコピンがプリントされたジャケットを着用し、史上初の「50ー50」達成時はデコピンがプリントされたスパイクを履いていた。
自身のインスタグラムにも頻繁にデコピンの写真を投稿し、地区優勝後のグラウンドやワールドシリーズ優勝パレードにも夫人と共にデコピンを連れて登場した。
野球に全てを注ぎ、「史上最高の野球選手」「メジャーの顔」と称される選手だが、グラウンドを離れれば真美子夫人とデコピンに全力で愛情を注いでいる。そんな姿が見られるようになったことに嬉しさを感じているのは、きっと私だけではないだろう。
(『大谷翔平への17の質問ー取材現場で記者はどんな葛藤と戦いながら質問するのかー』(アルソス)より抜粋)