航空機がビルに突入する――そんな信じられないことが現実になったのが、2001年9月11日に起きたアメリカ同時多発テロ。NYにあるワールドトレードセンターのノースタワーに8時46分、そして隣のサウスタワーに9時3分、ハイジャックされた航空機が突入した。多くの方が犠牲になり、今もなお、悲しみが癒えない。
その事件から、2025年で24年になる。
杉山晴美さんの夫の陽一さんは、当時の富士銀行のニューヨーク支店に勤務していた。ニュージャージーに暮らす晴美さんは、9月11日の朝、テレビの画面で夫がいるはずのビルに航空機が突入し、崩落するのを目の当たりにしてしまう。さらに、多くの富士銀行員が無事と言われた中、夫が行方不明者としてニュースで名を呼ばれたことにも衝撃を受けた。
2025年9月8日には、エルサレム北郊で武装したパレスチナ人2人が銃を発砲し、イスラエル人6人が死亡、8人が負傷する事件が起きた。アメリカ同時多発テロのあとも、テロや戦争が続いている。だからこそ、この悲しい事件を決して忘れてはならない。
晴美さんは事故から20年になる2021年、FRaUwebにて連載をした。その第2回、を事故から24年になる2025年の9月11日、再編成にてお届けする。
9月11日の翌日、行方不明となった夫を、仲間たちと捜索にマンハッタンへ行った晴美さんが見聞きしたこととは。
夫を探してマンハッタンへ
【9月12日】
富士銀行から「行方不明者の夫人も病院まわりに参加してはどうか」と誘いをうけた。子供たちを保育園に預け、ハドソン川を渡ってみることにした。
力斗はそれまで保育園通いをしていなかったのだが、事情を説明すると保育園の先生たちはこころよく預かってくれた。別れぎわに泣いてわたしのあとを追ってきた力斗と不安げな太一に、「おかあさんは、必ずぶーちゃをみつけてくるからね」と声をかけ、会社の迎えの車に乗りこんだ。
ニュージャージー側からはわたしの他にも二人ほど同じ車に乗り、まずはフェリー乗り場へと向かった。郊外とマンハッタンをつなぐ橋もトンネルもみな封鎖されていた。この日川を渡す手段はフェリーしかなかったのである。
車中、とんだことになったとおたがいの今の状況を話し合っていた。そのうちの一人の夫人は、しきりに携帯電話で誰かと連絡をとりあっていた。あらゆる情報網を駆使し、独自に夫探しをしているその姿に頭がさがる思いがした。元来わたしには情報収集力がかけている。会社が提供してくれる情報だけに頼るしかすべがない自分が情けなかった。
「大きなバッグ」の理由
もう一人の夫人は、大きなバッグパックを持ってきていた。わたし同様、3歳の子どもと7ヵ月の赤ちゃんがいたが、今日は子供はつれていない。
どうしてそんなに大きな荷物を持っているのだろう? わたしなどは、妊娠中の身体に負担なく病院まわりができるよう、小さなバッグをひとつ背中に背負っているだけだった。あった瞬間からその大きなかばんが気になっていたが、フェリーに乗り込むタイミングで、「どうしてそんなに荷物が多いの? なにが入っているの?」と聞いてみた。
返ってきた答えに、胸が熱くなった。
彼女は、もし病院でご主人に会えたら、まずは着替えさせてあげようと洋服一式と、そして病院では満足な食べ物がないだろうからと、何種類もの菓子パンの詰め合わせをかばんに詰めこんでいたのだ。
夫人たちはみな必死なのだ。夫の生存を信じ、自分のできるかぎりの力でいまも夫に尽くしている。どうかどうか、みんな無事でいてほしい。誰一人として逝ってはいけない。フェリー乗り場からは、事故現場から立ちのぼる黒い粉塵が見えた。その粉塵に向かって、わたしはあらためて願いをつぶやいた。
フェリーに乗って川を渡る、というとなんだか旅でもするように聞こえるかもしれないが、乗船時間はたったの5分。まさに渡し舟。「平穏な郊外」と「現場」であるマンハッタンとの距離はその実とても近いのである。それでも、フェリーを降りマンハッタンに足を踏み入れる瞬間は、緊張が走った。
今までテレビ画面の中だけにあったもの。わたしの心の中にあった信じたくない部分。信じられない光景。ついに自分の目で確かめることになったのである。
励まし合う夫人たち
街のいたるところに、行方不明者のポスターがすでに貼られている。ポスターを首から下げ歩いている人たちがいる。
ポスターには連絡先と写真が入っているのだが、その写真は家族とともに写っているものも多い。ほんとうに平凡な幸せ。ありふれたスナップといったそんな写真が、必死の捜索の綱となり、無数(そう、印象としてはまさに無数)に貼りまくられていた。
胸が押しつぶされそうになる。悔しい。なんでこんなにたくさんの、普通の幸せの中にいた人々の行方がわからないのだろう。思わず涙がこみあげてきた。
そんな現実にうちのめされた気分の中、まずはミッドタウンにある富士銀行の仮のオフィスに向かった。
そこは今回の行方不明者の夫人らが集まっていた。同じ銀行の同じ支店といえども、ニューヨーク支店は大きい。人数が多い。住居もマンハッタンをとりまく郊外にちらばっている。当然夫人同士も面識がないのが、あたりまえといった感じである。
特に、アメリカに来て日が浅いわたしにとっては、みなさん初対面の方ばかりであった。どう挨拶してよいかもわからないまま、何をどうお話すればいいかもわからないまま、ただただ頭をぺこぺこ下げていた。みなさんの瞳の奥の深い悲しみに、自分と同じものを感じながら、言葉が出ない自分がはがゆかった。
言葉が出なければ、せめて行動でと、出されたお弁当を配ったり、お茶をいれたりと、せっせと体を動かした。サポートしてくださっている行員の方たちは、
「いいんですよ、大変な時なのですから、わたしたちがやります」
とあわててわたしの行動を制する。
「いえいえ、これくらいは働かせてください」
などと落ち着きなく動き回るわたしをみて、上司の奥様がたは、
「元気でえらいわ。お子さんはいらっしゃるの? まだ小さいの? だいじょうぶ?」
と声をかけてくださった。なんだかとてもほっとして、
「はい。3歳と1歳と。実はお腹にも子供がいるんです」
と大きな声で答えてしまう。
「そう、そうなの」
と優しい瞳に涙があふれる。ご自分たちも大変な時に、わたしの話を聞いて涙してくださる。はじめ言葉につまっていたわたしも、みなさんの優しさにふれ、ココロが解凍されていった。
そしてこれから先多くの会話を持つようになり、ことあるごとに気持ちを打ち明け相談しあうようになってゆく。みなそれぞれが、「一生の長いお付き合いになるでしょうね」と言い合い、支え合ってゆくことになるのである。
その時、他の行員は? 夫は?
顔合わせというか、打ち合わせというか、行員による捜索スタッフと夫人たちとの顔合わせが終わった。そして、いくつかのチームにわかれ、病院の捜索にまわることになった。
まわる病院は、すでに会社の人たちが作成してくれていた病院リストをもとにして行われた。そしてわたしたちも街で目にしたポスター同様のものを作ってもらい、その束をもって一軒一軒聞いて回った。
「この病院にはいませんね」という悲しい答えばかりだった。それでも、この混乱がおさまったら実はこの病院にいたということもあり得ると、各病院にポスターを貼らせてもらった。
病院まわりが終わると、行員の人たちと会った。行方不明者の当日の足取り調査経過を聞くためだ。混乱時、逃げるのが精一杯だったその人たちも、命は助かったにせよ、れっきとした事件の被害者である。まだまだ癒えぬショックを胸に、いまだ行方のしれない同僚のために恐怖体験を振り返ってくれた。
話を聞くたび、今回の事件の悲惨さを思い知らされる。ただ感じたのは、事件に対するその時の危機感が、個人個人でほんとうにまちまちだったことだ。
富士銀行の行員は、となりのビルに飛行機が突っこんだ時点で避難を始めている。なにが起きたのかわからないまま、みなとにかく避難していた。
ワールド・トレード・センター・ビルから数ブロック先のところで、二機目のアタックを目撃したという人もいれば、逃げている最中に二機目に突っこまれた人もいる。
その間の人々の危機感はさまざまだった。なんでこんなに仕事が忙しいのに逃げなければいけないのか、と思っていたという人。となりのビルにミサイルが打ち込まれたと信じ、自分のビルも攻撃されるだろうと必死で逃げたという人……。
一度は1階まで降りていた…?
では夫は? 彼は非常に用心深く、楽天的というよりは、いつも最悪の事態を想定して動くタイプの人間であった。なぜ彼が逃げ遅れたのか? わたしは心底、不思議だった。
そしてわかってきたこと、それは、どうやら2ワールドの人々が避難している最中に、「危険なのはとなりのビル、2ワールドは安全なのでその場にとどまるか職場に戻ってもよい」とのアナウンスが入ったということ。
それとなによりわたしが思ったのは、9月のこの時期。夫の仕事の量は半端でなく多かったということだ。休日も出勤になるだろうと彼は言っていた。安全だというアナウンス、そして多忙な仕事。小心者の彼ではあったが、このふたつの理由で80階という高い場所へと戻っていったのだろう。
最悪だった。再び目の前が真っ暗になった。外はすでにとっぷりと日が暮れている。昼間の病院まわりの疲れに追い討ちをかけるような、望みが薄れるような事実確認。
ストレスフルな事態に、まわりの人々がわたしのお腹を心配してくれた。けれどわたし自身は。自分の子宮がどのような状態になっているかなど、気づけないほど気が張りつめていた。
極度な緊張状態というのはともすれば疲れを意識から飛ばしてくれる。しかしそれは単純に本人が気づかぬだけで、疲れは確実にわたしのからだの中を蝕んでいた。
◇疲れている晴美さんをさらに「見えない他人」が襲う……後編「”夫が無事”という偽情報が次々…「アメリカ同時多発テロ」被害者の家族を襲ったもの」へ続く。