朝ドラの9月なのに低空飛行
NHK連続テレビ小説『あんぱん』の様子がおかしい。4月から8月までの平均世帯視聴率が15.9%(産経新聞調べ)と、前作の『おむすび』を2.8%も上回っているのに加え、最終回までラストスパートに入ったというのに、どうも視聴者サイドの盛り上がりに欠けている。
朝ドラの9月といえば、思わぬキャラクターが再登場したり、いわゆる伏線の回収に向けてSNSでの考察などもアツくなる時期。しかし『あんぱん』周辺は良くも悪くも落ち着いており、これは反省会タグを含め、さまざまな意見が錯綜した前作『おむすび』や、その熱量で朝ドラを観ない層まで視聴に引き込んだ前々作『虎に翼』とは異なる状況だろう。
『あんぱん』主軸登場人物のモデルは国民的アニメ『アンパンマン』の作者・やなせたかしと、その妻・小松暢。ドラマでは暢=のぶを今田美桜が担い、やなせ=嵩を北村匠海が演じており、脚本は2014年度前期の『花子とアン』に続き2度目の朝ドラ登板となる中園ミホ。また、本作の主人公は嵩ではなくのぶである。
戦時中の描写は非常に攻めていた
『あんぱん』で評価が高かったのが戦時中の描写だ。のぶは高等女学校を卒業後、教師を目指して女子師範学校に入学。当初は教師・黒井(瀧内公美)の軍国教育に違和感を覚えるが、戦地に送る慰問袋を作り、募金に立つ様子を新聞で“愛国の鏡”と取り上げられたことをきっかけに、軍国少女としてその名を馳せていく。
朝ドラ過去作でも戦時中の様子は多々描かれてきたが、少なくとも近年、軍国主義にどっぷり染まり、周囲を鼓舞するような主人公はいなかった。さらに、のぶが軍国少女となった最大の理由は、学校生活で活躍できなかったコンプレックスや自己評価の低さ。つまり、彼女は“愛国の鏡”として周囲から賛美されることに自身の存在価値を見出したのだ。これは偏った考え方のつぶやきに多数のグッドボタンを押されることで承認欲求を満たし、さらに過激な方向に走る令和のインフルエンサーとも重なり、非常に攻めた展開だった。
さらに、軍隊に配属された嵩のターンでは、先輩からの理不尽過ぎる暴力や、中国で仲間とともに農家に赴き、飢えに抗えず、老婆が大切にしまっていた貴重な卵を奪って食べてしまう場面などが美化されることなく2週にわたって描かれた。つらいことや苦しいことを朝から観たくないとの視聴者も多いなか、あそこまでやりきったのは、戦後80年にあたる2025年の今、あの時代のことを真摯に描かなくてはならないとの強い意志が制作サイドにあってのことだろう。
いまいち盛り上がりに欠ける展開
と、ここまではよかった。のぶと嵩がそれぞれの戦争体験を通して、本作のテーマのひとつ“逆転しない正義”の大切さを胸に刻んだことで、のちに国民的アニメとなる「あんぱんまん」(=アンパンマン)の芯も形成されたからだ。しかし、戦後に高知の新聞社で再会したのぶと嵩が東京に出て結婚し、共に暮らすようになったころから『あんぱん』のストーリー展開に「?」が増えるようになる。
のぶは記者時代に出会った国会議員・薪鉄子(戸田恵子)の事務所で“逆転しない正義”を体現するために働き、嵩は百貨店の宣伝部でデザインの仕事をしながら本格的に漫画家としての道を目指す……のかと思いきや、のぶは6年間勤めた薪の事務所をクビになって、紹介された商事会社でも肩をたたかれる。嵩は嵩で漫画に集中するため百貨店を辞したものの、ミュージカルの舞台美術やテレビ出演、作詞、ラジオドラマの脚本など漫画以外の仕事に忙殺され、肝心の漫画に100パーセント向き合えない。
このあたりから、なぜのぶが主人公なのかよくわからなくなってしまった。
第21週「てのひらを太陽に」105話で「わたしは何者にもなれなかった」と、嵩の前でのぶは涙を流すのだが、教師と記者、代議士の秘書として挫折と後悔があったことは理解できても、会社員としての仕事内容には作中で触れられることがなかったため、彼女が商事会社でどのような役割を担い、何を目指していたのか視聴者にはまったく伝わらない。
主人公なのに宙ぶらりん
おそらく、代議士の秘書を辞して以来、のぶには「わたしはこうなりたい」「わたしはこれがやりたい」がないのだろう。「人間誰しも目標を持て!夢を抱け!」などとドラマの登場人物に対して鬱陶しいことを語るつもりは毛頭ない。が、「何者でもない自分」に苦しさを覚えるのであれば、同じく実在の人物をモデルにした朝ドラで、漫画家の夫とその妻を描いた『ゲゲゲの女房』の布美枝(松下奈緒)のように、徹頭徹尾夫のサポート役に回り彼を支えきるか、作曲家の夫と夢への挫折を経験した妻を主軸にした『エール』の音(二階堂ふみ)のように、ナイーブな連れ合いを鼓舞して時に蹴りをいれるくらいの勢いで夫に伴走して欲しかった。だって、この物語の主人公はのぶなのだ。視聴者は彼女に気持ちを乗せたいし応援したい。でもその主人公は実母や妹たちとなんとなく語らい、姑にお茶を習うばかりでずっと宙ぶらりんな状態だ。
なぜ、のぶが主人公なのか
そもそも、なぜ嵩でなく、のぶを主人公にしたのだろう。テレビに出れば人気者、作詞をすればその楽曲は大ヒット、一晩で書いたラジオドラマは大評判。だけど子どものころからの夢であり、孤独な少年時代に自分を救ってくれた漫画にだけは弱気になってしまい全力で向き合えない。そんな気弱でどこか臆病、でも誰よりも優しく無意識の天才である嵩が主役の物語であれば、主人公の存在が薄ぼんやりしてしまう今のようなハレーションも起きなかったのではないか。
いよいよ今週、嵩はのちに国民的作品となる『あんぱんまん』(=『アンパンマン』)を世に送り出す。とはいえ、汗をかきながら空を飛び、飢えた人々にあんぱんを配る太ったおじさんがアップデートされ、テレビアニメーションになって日本中から多大な支持を得るのは嵩のモデル、やなせたかし氏が70歳を目前にしたころである。道はまだ遠い。
最後にもうひとつ言わせてほしい。本作主人公のモデル・小松暢さんが非常に美しく童顔で、普段から5歳以上若く見られていた、との記録があることもわかったうえで、のぶ役・今田美桜さんのビジュアルがあまりに若々しくてツヤツヤなため、「今って昭和何年で、のぶは一体何歳だっけ?」と毎週混乱してしまう。……と、書いた矢先に時が一気に3年飛んで、のぶの髪型がストレートロングから昭和パーマに変わっていた。なるほど、そうきたか。