『しあわせな結婚』最終回へ
テレビ朝日系「木曜ドラマ」枠で放送中のドラマ『しあわせな結婚』が最終回を迎えようとしている。この作品が注目される理由は、現代の視聴者が求める「ドラマの最適温度」を絶妙に捉えた作品だからではないだろうか。
物語は独身主義を貫いてきた弁護士の幸太郎(阿部サダヲ)と高校の美術教師・ネルラ(松たか子)の結婚から始まる。幸太郎は彼女の実家・鈴木家に同居することになるが、15年前の事件の影がこの家族を覆っていた。ネルラの元婚約者・布施夕人(玉置玲央)の死は、当初「階段からの転落による事故死」として処理されていたが、再捜査が開始されると事態は一変する。
刑事・黒川(杉野遥亮)の捜査が進む中、ネルラに疑いの目が向けられる。実はネルラは事件当時の記憶を失っており、再捜査が進むにつれて光の刺激などをきっかけに部分的に記憶が蘇り始める。当初はネルラを追い詰める立場だった黒川だが、物語が進むにつれてネルラへの特別な思いを自覚し、彼女を守る存在へと変わっていく。
事件の背景には複雑な人間関係が絡んでいた。布施は寛に事業資金の出資を断られた恨みから、レオの偽装誘拐を企てたことが発覚。この卑劣な行為が、後の悲劇の引き金となった。
興味深いのは、家族それぞれが互いを疑い、守ろうとしていたことだ。叔父の考(岡部たかし)が自首する前、ネルラは父・寛(段田安則)が犯人ではないかと疑い、寛はネルラが犯人ではないかと心配していた。
8話で明らかになった衝撃の事実
第8話では衝撃の真実が明らかになった。真犯人は自首した考ではなく、当時まだ小学生だったネルラの弟・レオ(板垣李光人)だった。心中を図った布施がネルラの首を絞める姿を目撃したレオが、姉を守るために咄嗟に取った行動だった。考は既に死んでいた布施にもう一度燭台で殴りつけ、レオの罪をなかったことにするため自身が罪をかぶった。
レオが家族の「宝」となった背景には、ネルラとレオの間にいた弟が海で亡くなるという悲劇があった。しかし真実を知った幸太郎は、法律家として「真実は真実として受け入れなければならない」と説き、レオを出頭させる。その際、黒川は幸太郎に「彼に出頭させたのはご家族の判断ですか」と尋ねる。この問いかけには、黒川自身もまた「家族」という存在の重みを理解していることが表れており、一部では黒川も実は鈴木家と何らかの関係があるのではという推測も生まれている。
幸太郎がレオを出頭させたことに対し、ネルラは「家族としては違う」と激怒し、離婚を申し出る。幸太郎は家族の大切さを理解しつつも、法律家としての倫理観を優先し、結局鈴木家の「家族」にはなれなかった。
このドラマは序盤、クセの強いキャラクターと独特な会話のリズムから坂元裕二『カルテット』(2017年)を思い出した視聴者が多かった。過去の事件や秘密を隠しながら生活する構成が共通している。物語が進むと、記憶がフラッシュバックする描写から野沢尚脚本『眠れる森』(1998年)との類似性も指摘された。さらに、様々な登場人物がそれぞれの「最愛」の人を守ろうと動く点では、2021年10月期の『最愛』に近い。
『オリエント急行殺人事件』との構造的類似性
そして最も重要なのが、1974年と2017年に映画化され、何度かテレビドラマ化もされている往年の名作、アガサ・クリスティーの『オリエント急行殺人事件』との構造的類似性だ。クリスティーは1932年に実際に起きたリンドバーグ愛児誘拐殺人事件から着想を得て、「もし被害者家族が自らの手で復讐したとしたら」という仮定で物語を構築した。『オリエント急行殺人事件』では、列車内で殺された男が実は過去に幼い少女を誘拐殺害した凶悪犯で、列車の乗客12人全員がその被害者家族と関係があり、全員で復讐を実行していた。名探偵ポワロは真相を知りながらも、最終的に「犯人は列車の外に逃げた」という虚構を選択する。
『しあわせな結婚』も似た構造を持つ。レオが布施を殺し、考がそれを隠蔽し、ネルラは記憶を失うことで無意識に加担する。寛は真相を知らないまでも、家族の誰かが関わっていることを薄々感じている。家族全員が「レオを守る」という一点で結束し、15年間その秘密を守り続けた。つまり家族全員がそれぞれの形で「共犯者」となっていたのだ。
しかし決定的に違うのは、幸太郎の立場だ。ポワロは部外者として虚構を選べたが、幸太郎は家族の一員になろうとした者として、法律家としての正義を貫くか、家族の論理に従うかの選択を迫られる。彼は前者を選び、結果としてネルラから離婚を申し出られた。
「マリッジ・サスペンス」と「ホームドラマ」という相反する要素を併せ持つこの作品だが、サスペンス要素が前面に出てきた中盤、SNS上で「ちょっとしんどくなってきた」という声が散見された。視聴者の多くは本格的なサスペンスより、鈴木家の珍妙な掛け合いやコメディ要素を楽しんでいた。
視聴者は過剰な「考察系ドラマ」に疲れた
ここ数年のドラマの流れを振り返ると、2020年前後は考察系ドラマのブームがピークだった。2019年『あなたの番です』はSNSで犯人考察が白熱し社会現象となった。サイコパスや異常心理を持つキャラクターが次々と登場し、「誰も信じられない」「全員怪しい」という設定が定番化していた。
しかし2020年のコロナ禍突入以降、社会全体が不安と閉塞感に包まれる中で、視聴者の嗜好は徐々に変化していった。過度な刺激や、感情移入できない冷酷なキャラクターの乱立に疲れが見え始めた。
2021年10月期は転換点だった。同クールの『真犯人フラグ』が従来型の考察系ドラマだったのに対し、『最愛』はミステリー要素を持ちながらも人間の愛情を描くことに軸足を置いた。視聴者の評価は後者に傾き、『最愛』は東京ドラマアウォード2022でグランプリを受賞した。
この時期を境に、ドラマの潮流は明確に変わった。2022年『ミステリと言う勿れ』は謎解きよりも主人公の哲学的な語りと人間理解に重点を置き、人々は癒しや温かさ、人間らしい感情の交流を求めるようになった。
『しあわせな結婚』の成功は、まさにこうした流れを体現した作品と言える。ミステリー要素は物語を駆動させる装置に過ぎず、真の主役は不器用ながらも互いを思いやる家族の姿であり、法と情の間で揺れる人間の普遍的な葛藤である。
現代の視聴者が求めるドラマの「最適温度」とは、刺激的すぎず退屈でもない、ちょうど良い温かさなのかもしれない。非日常的な事件を扱いながらも日常の延長線上のリアルを感じさせ、重いテーマを扱いながらもユーモアを忘れず、謎解きの興奮より人間関係の機微を大切にする作品だ。
『しあわせな結婚』は15年間守られてきた秘密が明らかになることで、むしろ家族という存在の本質を露わにする。幸太郎の正義とネルラの愛情は、どちらも間違っていない。しかし、この二つの正義は同じ空間に共存できなかった。
最終回を前に、『しあわせな結婚』が示したのは、正義を貫いて家族を失った幸太郎と、家族を守るために法を拒絶したネルラ、どちらの選択も「正解」ではないという現実だ。サイコパスや異常犯罪者ではなく、普通の家族が抱える秘密と罪。それを暴き、正すことが正義なのか、守ることが愛なのか。コロナ禍を経て、人とのつながりの大切さと脆さを実感した私たちにとって、この問いかけは他人事ではない。だからこそ視聴者は、鈴木家の温かくも複雑な家族の姿に共感し、その根底にある切実な問いに心を掴まれるのである。