高齢者率40%超の超高齢タウン
東京都福祉局の調査によれば、2025年の東京都における高齢者率は約23%と、過去最多に達する見込みだ。日本の高齢化を如実に示す数字をはるかに上回る40%超を記録している「超高齢タウン」がある。板橋区高島平2・3丁目エリア、言わずと知れた日本最大級のマンモス団地・高島平団地のある街だ。
超高齢化が進む同地区の商店街では、今なお昭和のレガシーが色濃く残る。精米店や八百屋をはじめとした個人商店が連なる軒先で、年配のご近所同士が、陽を避けて世間話を交わす。「残暑はいつまで続くのかねえ……」。
長閑な日常が続くこの高島平2・3丁目だが、いま水面下で大規模な地区計画が進んでいる。タワー型マンションの建設や、老朽化した高島平団地の建て替え、団地内の区道の延伸など、街の若返りを図る構想が進行しつつあるのだ。
対して、長年住み続けた地域住民らが、こうした動きに「NO」を掲げた。
行政の一方的な計画によって、愛着を抱いてきた街が様変わりしてしまうーー。そう危機感を募らせた近隣の自治会は、今年4月に抗議文を提出。「高島平二・三丁目周辺地区 地区計画に反対する緊急署名」と題して、3538筆の署名とともに、板橋区に地区計画の再考を要求した。
変革が迫りつつあるエリアで、住民と行政間の軋轢が浮き彫りとなり、その間も着々と計画は進むーー。いま高島平で何が起こりつつあるのか、現地を訪れて探った。
「詳しいことは知らないね」
都営三田線の終点手前、東京と埼玉の県境近い高島平駅東口に降り立つと、正面には国道沿いに連なる緑道が一面に広がる。その一帯を越えるように信号を渡ると、広場の一角では露店のフリーマーケットが開催され、ブルーシートを引いた出展者同士が雑談を交わしている。
歩道を挟んだ商業区画には、スーパーに青果店、整骨院、書店などがひしめき、休日の昼下がりは多くの地元客で賑わう。区画内の踊り場には、買い物帰りの主婦らが井戸端会議を行い、初老の男性らが缶チューハイ片手に談笑する。自然とご近所付き合いが生まれる、どこか昭和の面影を彷彿とさせる光景が微笑ましい。
大規模な計画の実行が迫りつつあるとは思えないほど、街全体にはまったりとした空気が流れ、どこか拍子抜けしてしまう。住民に話を聞いても「再開発?詳しいことは知らないね」「タワマンが建つと聞いているけどだいぶ先でしょ」と、計画とは距離がある。
では、前述した3538筆の署名とともに提出された反対の声は、どのようなものか。
3万人が入居していた団地
少し長くなるが、まずは地区計画の全貌を把握するため、争点となる高島平団地の沿革を振り返りたい。
かつて「東洋一のマンモス団地」と呼称され、戦後最大級の住宅政策と言われた高島平団地が、本格的に建設され始めたのは1960年代半ばのこと。高度経済成長期の最中、人口増による住宅不足が深刻化していた当時で、元来農地として利用されていた高島平エリアは、立地条件からも積極的に転用が画策された。
1963年には日本住宅公団(現在のUR都市機構)が36万坪もの土地を取得して、14階建高層棟を中心に、1万戸を超える住宅整備を始める。その後1972年に入居が開始され、1976年には都営三田線に高島平駅が開通。当時珍しかった高層階や、利便性の良さも人気に拍車をかけ、その頃には約3万人が入居していたとされる。
短期間での人口爆発を象徴するように、高島平では計7つの小学校が矢継ぎ早に開校し、商店街、図書館、病院などが開設。現在の街並みが形作られていく。居住環境も格段に上がり、当時働き盛りだった団塊の世代を中心に、高島平団地に住み続ける人は増加の一途を辿った。
しかし、1990年代半ばを機に、一帯は人口減に転ずる。団塊の世代の子どもが独り立ちの時期に差し掛かり、若い世代の流出が加速していく。郊外のニュータウンや、都心回帰のマンションブームも勃興し、相対的に高島平の魅力が低下した背景も大きかった。
そして現在、7つの小学校は5つに統廃合され、冒頭の通り高齢者率が40%を超えるまでに上昇。建物の老朽化も危惧されるようになった。
区とURの「等価交換」
「超高齢化が進む街」をどう蘇らせるかーー。平成後期から、若い世代の流入を画策していた板橋区が、本格的に地区計画に着手し始めたのは2022~2023年頃だ。
きっかけは、高島平団地の大家であるUR都市機構が、団地の建て替えに本腰を挙げたことにある。大規模な団地の改装が行われれば、提携して一帯の再生事業を進められると、板橋区もそれに呼応した。
では、板橋区とUR都市機構は、どう手を取り合うのか。その起点となるのが、若年層の人口減により、現在は廃校となった「旧高島平第七小学校(以下、旧第七小)」だ。
前述の通り、旧第七小はかつて人口が急増した1979年に区が設立を手がけ、現在も所有管轄の権利を有する。対して、高島平団地の管轄は、当然UR都市機構となる。この親元が異なる土地を等価交換すれば、両者は再開発がスムーズに進むと踏んだ。
具体的に説明すると、板橋区とUR都市機構は、旧第七小の跡地に、タワー型マンションの建設を構想している。
UR都市機構としては、もともと更地であった区の土地に、タワー型マンションを建設すれば、移転対象の住民の新居を確保しやすい。高層階は住居にして、下部に商業施設をかまえることで、収益性と住環境の向上を両立できると考えた。
タワー型マンションが竣工し、団地住民の移転が完了すれば、元あった団地の一角は更地になる。板橋区は、元々はUR都市機構であった土地を、旧第七小と交換することで、空いた土地に公共施設の設置を視野に入れる。保育所や図書館、健康福祉センター、地域交流型のサロン等を併設し、理想の街づくりに近づける。
要は、持て余している旧第七小を種地に、タワー型マンションを建設して住み替えを促し、空いた団地の一区画に公共施設を建てる。両者が管轄する土地を持ち寄ることで、連鎖的かつ円滑に再生事業を進められるというイメージだ。
「生活保護をもらってもタワマンに住めない」
とはいえ、こうした行政とUR都市機構の計画は、あくまでも青写真である。移転対象となる住民の一部は、引越しの負担は避けられず、長年慣れ親しんできた環境を離れることに抵抗がある。
一連の再生計画に反対し、署名活動を主導した高島平2・3丁目自治会のメンバーらは、次々に疑問を呈する。
「33街区(移転対象となる区画)には独居老人が多いんですよ。『宅配便の方はこれで押印して荷物を置いてください』とドアに張り紙してハンコが添えられている住居もあります。玄関まで出てくることすら大変な高齢者が住んでいるんです。このような状況で、スムーズに住み替えが進むとは思えない」(男性)
「駅から徒歩数分の旧第七小に、タワー型マンションが建てば、周辺相場からして家賃は20万円近くになると聞いている。いま住んでいる団地は、2LDK共益費込みで9万3000円なので、仮に移り住むとなれば10万以上負担が増えます。URからは家賃補助が出るというけど、すでに私は年金暮らしだし、生活保護を受給しても20万円には届かない」(女性)
「移転対象とされている住宅が1955戸あるのに対して、建設予定のタワー型マンションが、希望する住民すべての受け皿として機能するのは無理がある。もし仮に、移転に伴う負担や経済的な問題を解決できたとしても、長年住み続けた高齢者が移転を迫られれば、ご近所付き合いが絶たれる心理的負担も大きい」(前出とは別の男性)
その他にも、高層マンション建設で景観が損なわれる懸念や、団地内の道路延伸による交通量の増加など、住民の不安は尽きない。
後編記事『【板橋区】超高齢化する高島平「33街区」の住民は無事に転居できるのか?区の担当者に直撃して返ってきた「意外な答え」』へ続く。