プロ野球界で選手・監督として輝かしい実績を残した工藤公康元監督。現役時代は「頭の中ですべて解決」していた彼が、監督2年目の挫折をきっかけに50歳を過ぎてから始めた「メモ」の習慣」とは。新刊『工藤メモ 「変化に気づく、人を動かす」最強の習慣』を上梓した工藤公康氏がその秘密を明かす。
自分自身が変わることを決意した瞬間
「相手に求める前に、自分自身が変わらなければいけない」
そう感じたのは、福岡ソフトバンクホークスの監督2年目のシーズンが終わろうとしていたときのことでした。監督に就任した最初のシーズンは、前任の秋山幸二監督の功績もあり、リーグ優勝、日本一を経験することができました。その結果、2年目も「自分のやり方や取り組みで結果を残すことができる」と慢心していた部分もあったのは事実です。結果、北海道日本ハムファイターズに大逆転を許し、優勝を逃しました。
これは、チームを率いる監督にとって大きな失敗です。そんな失敗と挫折を経験したことで、自分自身が変わることを決意し、取り組んだ習慣が“メモ”でした。
現役時代も含めて、私にはメモを取る習慣はありませんでした。試合の計画やシミュレーションは、自分自身の頭の中ですべてこなしていたからです。
これまで私は、幼少期からとにかく自分自身で考え、行動して思考回路を積み上げてきたので、ある程度の事柄は頭の中で解決できていました。得られた情報を自分の頭でかみ砕き、処理、実行し、そしてまた情報を入れ……という行動を繰り返していたわけです。そうした“思考と行動の繰り返し”が、これまでの私自身の土台となっていました。
「どうすればよくなるのか?」「どうすればうまくいくのか?」、目の前の事象に対して、自問自答を繰り返し、実行、経験をしていく中で、自分というものをつくり上げていったのです。
監督時代に私を助けてくれた「メモ」
だからこそ、私は監督に就任してからも、同じように自分自身の頭の中ですべての問題が解決できると考えていました。現役時代は“プレーヤー”だったので、それでもよかったのかもしれません。しかし、チームを率いる監督という立場となると、話は違いました。いくら自分の頭の中で解決しようと思っても限界があるのです。
選手が100人近く在籍し、コーチやトレーナー、球団フロント、関係するスタッフなど、多くの方がかかわって成り立つチームを動かしていくためには、目的や目標に対してのより明確な道筋が必要になる、ということを知りました。いくら自分が頭の中でシミュレーションをし、身体で表現することができたとしても、自分以外の多くの人や事象にベクトルを向けなければいけない状況では、これまでのやり方は通用しないことを悟ったのです。
選手やチームのことを整理し切れていないままチームを指揮すれば、選手は困惑し、チームに不協和音を生み出してしまう。自分の頭で解決しようと思っても、整理すべき事柄が多すぎてまとまらない。選手やコーチとのコミュニケーションやかかわり方、チームのシミュレーションなど、どこから手をつけていいのかわからなくなっていたときに、私を助けてくれたのが「メモ」でした。
「思いついたことを大雑把にメモして、それを見て、頭の中を整理していく」
思考を文字に起こし、冷静にひとつひとつ整理することで見えてくる、すべきことが明確になってくる、という感覚がありました。もしかしたら「頭の中を整理していく」というより「気持ちを鎮める」といったほうが、当時の私にはふさわしかったのかもしれません。
何気ないメモ書きからアイデアが広がり、それが素晴らしい結果に結びつくこともあれば、新たな自分を発見することにつながったりすることもある。そう考えると、「メモ」というものは、自分の中にある未知の可能性を拓いてくれる最高のツールといえるのかもしれません。
自分自身を変えるということは、並大抵のことではありません。とても大きな労力と努力が必要なことです。それでも何かアクションを起こさなければ、変わることはできないのです。私は監督になって「本気で変わろう」と思いました。まさにメモを取ることは、私自身を変えてくれた習慣のひとつ、50歳を超えたタイミングでの自己改革だったのです。変わるタイミングは人それぞれであり、そこには経験も若さも関係ない、というのは断言できます。