この夏、JR西日本グループがコミックマーケット(以下、コミケ)に出展した。JRグループとしては初の取り組みだ。
本来コミケは、同人誌の即売会だ。その主役であるコミック(漫画)は、エンターテインメントの一種なので、輸送機関である鉄道とは直接的な関係はない。
ところが今回は、JR西日本とJR西日本コミュニケーションズ(JR西日本グループの総合広告代理店)が共同で、コミケに展示を設けた。その結果、2日間で約1万人がこの展示を訪れた。
その狙いはいったい何か。現地に行ってそれを探ってみた。
世界最大の同人誌即売会に出展
結論から言うと、この展示の目的は、JR西日本グループが手掛ける「バーチャル・ステーション」のアピールだ。認知度向上が狙いなので、スタッフたちは物販をしていない。
出展先になったコミケは、世界最大の同人誌即売会だ。今回はその106回目で、今年の8月16日・17日に開催された。この2日間に71の国や地域から累計25万人が集まり、来場した(データ出典:コミックマーケット準備会当日速報レポート)。
コミケの会場には、同人誌即売やコスプレをするエリアとは別に、「企業ブース」と呼ばれるエリアがある。これは企業専用の展示会場で、今回は121社が出展した。
「企業ブース」はにぎやかだ。物販会場には長い列ができ、イベント会場には群衆が押し寄せる。カラフルな看板が並び、絶えず音が響く。漫画・アニメ・ゲームに直接関係する企業が多く展示を出す場所ならではの空間だ。
周囲になじんだ展示
それゆえ筆者は思った。「このような空間に、JRグループの展示がなじむのか?」「周囲から浮くのでは?」「そもそも人が集まるのか?」
それらの不安は杞憂だった。「バーチャル・ステーション」の展示に近づいたら、そこに長い行列があり、スタッフが「入場制限中」の看板を掲げていた。
展示の壁には、縦長の大きな画面があり、動画が流れていた。その動画は、「バーチャル・ステーション」で配信するユーザー(Vライバー)がコミケのために作成・投稿し、選ばれたもの。アニメのキャラクターのようなアバター(インターネット上の分身)を使っているので、リアルの姿は見えない。展示では、Vライバーの声と、JR西日本の駅でおなじみの接近メロディ(列車の接近を知らせるメロディ)が響く。
以上の説明で、「カオスな展示だ」と思う方もいるだろう。ただ、先ほど述べたように「企業ブース」がにぎやかなので、これでも周囲になじみ、違和感がなかった。
展示の入口には、自動券売機の模型があり、タッチパネルを操作して「バーチャル大阪駅」の最新版である「バーチャル大阪駅 4.u(フォーユー)」を体験できる。自動改札機の模型を通って奥に入ると、そこは記念撮影エリア。大阪環状線の電車のドアと「バーチャル大阪駅 4.u」のオリジナルキャラクター「4.u子(ふぉー・ゆーこ)」を描いたパネルがある。その前で来場者が駅長の制服と制帽(赤帯付き)を着用すると、スタッフがその姿を撮影してくれる。
この展示には、2日間で約1万人が訪れた。そのうち展示内で体験した人は約1,000人だった。
コミケと「バーチャル・ステーション」の共通点
なぜこのような展示をしたのか。その責任者である八重樫卓真氏に聞いてみた。八重樫氏は、JR西日本のビジネスデザイン部 事業推進 課長 兼 XR推進室長だ。また、バーチャル大阪駅長とバーチャル広島駅長という肩書きも持つゆえに、制服と赤帯が入った制帽をかぶり、胸にオリジナルのネームプレートをつけていた。
八重樫氏によると、「バーチャル・ステーション」の世界観と、コミケの世界観が近いと考え、今回の出展に至ったという。
たしかにコミケと「バーチャル・ステーション」は、どちらも表現を楽しむ人に交流の場を提供している。コミケはリアルに存在するイベントであるのに対して、「バーチャル・ステーション」は、メタバース(仮想空間)に展開する「ワールド」として存在する。どちらも「自己表現」や「創作」の場でもある。
「バーチャル・ステーション」は、その名の通り「仮想の駅」で、現在は「バーチャル大阪駅 4.u」と「バーチャル広島駅」がある。どちらもインターネット上にあるので、一部地域を除けばいつでもどこでもアクセスできる。ユーザーたちは好きなハンドルネームを名乗り、自分なりにカスタマイズしたアバターで行動できる。SNSっぽい三次元空間だ。
体験すればわかる面白さ
ここで「仮想の駅の何が面白いのだ」と思う方もいるだろう。そのような方は、手持ちのスマホで体験してほしい。方法は簡単。メタバースアプリをダウンロードして、「ワールド」の中から「バーチャル大阪駅」や「バーチャル広島駅」を選べばいい。「バーチャル大阪駅 4.u」は「REALITY(リアリティ)」、「バーチャル広島駅」は「cluster(クラスター)」のアプリでプレイできる。
ユーザーの交流の場は、入場した先にある。「バーチャル大阪駅 4.u」には、Vライバーがライブ配信をより楽しめるブースがある。「バーチャル広島駅」には、すべてのユーザーが訪れるフロアの他に、鬼ごっこをするエリア、イベント開催やユーザーの作品を展示できるエリアがある。
「バーチャル広島駅」の公式サイトでは、メタばあちゃんのひろこ氏(86歳)が鬼ごっこのルール説明やプレイをする動画を視聴できる。メタバースでは年齢や身体能力は関係ないので、後期高齢者でも思う存分走り回ることができる。
コミケの来場者と相性がいい?
「バーチャル・ステーション」は、2022年8月に始まった。当初は「バーチャル大阪駅」のみで、現在はその4代目「バーチャル大阪駅 4.u」が公開されている。いっぽう「バーチャル広島駅」は2025年3月にオープンし、新しい駅ビル「minamoa(ミナモア)」に似た空間を展開している。
「バーチャル・ステーション」に興味を持つ人は多い。たとえば「バーチャル大阪駅」の3代目「バーチャル大阪駅 3.0」には、約1年間で延べ2,800万人以上が来場した。
こうした取り組みは、メタバースに興味がある若年層や、大阪駅や広島駅の近辺に住む人には認知され始めている。ただ、全国的な知名度はまだ低い。
そこで、JR西日本グループがコミケに出展し、「バーチャル・ステーション」をアピールした。コミケの来場者にはスマホネイティブである若年層が多いので、「バーチャル・ステーション」のユーザー属性に近い。
話題になったノベルティ
コミケ当日は、スタッフが来場者にパンフレットやノベルティを無料で配布した。ノベルティは乗車券に似たNFCタグ内蔵のカードで、スマホを近づければ自動的に「REALITY」のアプリが立ち上がる。あとは「ワールド」を選べば、「バーチャル大阪駅 4.u」に入場できる。
ノベルティの情報は、Xでの公式発表直後からSNSで拡散され、話題になった。このため、ノベルティ目当てで展示に集まる人が多く、筆者が到着したときには配布が終わっていた。
八重樫氏は、「バーチャル・ステーション」を価値創造フィールドとして展開する構想を教えてくれた。ユーザーと価値を拡大するプランだ。
たとえば、「バーチャル広島駅」には、広島エリアを走る主力車両が置かれている。その「車内空間」は、「バーチャル広島駅」のメインコンテンツとなり得るのに、なぜか再現されていない。
これは意図的だ。あえて事業者側がつくり込まず、ユーザーが楽しむ「余白」を残すことで、参画意欲を引き出すのが狙いだ。
JR西日本は「列車内ワールドクラフトコンテスト」と銘打ち、ユーザーから「車内空間」を募集している。ユーザーが「車内空間」を創造して応募し、選ばれると、それが「バーチャル広島駅」の一部として同社から“公認”される。同社にとっては、それがフックとなり、ユーザーとの共創機会を増える。ユーザーを、新たな価値をともに創出するパートナーとしてとらえているのだ。
気になる収益化と将来
以上の話から、「この事業は儲かるのか?」と思う方もいるだろう。たしかに、営利を目的とする民間企業にとっては、コミケ出展にかかるコストだけでも負担になる。それを回収する手段がなければ、企業の事業として認められない。
ただ、近年のJR西日本は、デジタル技術を活用した新しい価値の創出に注力している。鉄道事業だけに頼る経営体質から脱却するためだ。
「バーチャル・ステーション」は、その取り組みの一つだ。メタバースを活用して交流の場をつくり、ユーザーに無料で提供する。それを楽しむユーザーが増え、ユーザーとの距離を縮まれば、最終的に鉄道の利用促進や収益化につながる。集まったユーザーにいきなり何かを売るのではなく、時間をかけて徐々に収益化を図るのがポイントだ。
その動きはすでにある。現在は大阪に本社があるパイン株式会社のコラボ企画「パインアメCM動画選手権」を実施中だ。これは「バーチャル大阪駅 4.u」のユーザーがパイン株式会社の主力商品である「パインアメ(パイナップル味のキャンディ)」を紹介するCM動画を作成し、投稿するという企画。選ばれた動画は、大阪駅にある大型画面で放映される。
八重樫氏によると、これは「バーチャル・ステーション」にとって食品業界では初の企業案件だと言う。すでに他業界や自治体からもコラボの問い合わせが来ているそうだ。
展示では、JR西日本の役員もスタッフに交じって来場者の対応をしていた。おそらく役員は、この取り組みの収益化が気になるいっぽうで、今回の盛況ぶりを見て、手応えを感じたのではないだろうか。
今回のような取り組みは、わかりやすい成果が出るまでに時間がかかる。ただ、これが将来、鉄道の運営者と利用者の相互理解につながることを期待したい。