「ニコタマダムの街」のランドマーク
タマタカにユニクロができたのよーー。盆に母と世間話をしていたら、そんな話題が飛び出した。
「タマタカ」とは、東急田園都市線二子玉川駅すぐにある「玉川高島屋SC(ショッピングセンター)」のことである。今年3月、タマタカ南館4Fにご存知ユニクロがオープンした。二子玉川駅直結の「二子玉川ライズ・ドッグウッドプラザ」に入居していた店舗を今年1月にクローズし、タマタカのワンフロアに実質「移転」したような形となったユニクロは、世田谷エリア最大級を謳う。
私ごとで恐縮だが、30代の筆者は2000年から16年間、二子玉川に近い街で学生時代を過ごした。筆者が住んでいたのは、駅から離れたのどかな住宅地で、セレブとは縁遠いごく普通の家庭で日々を過ごしていたが、それでもタマタカには何かとお世話になった。
二子玉川駅で下車し、久方ぶりに訪れると、たしかにタマタカの壁面には「あのロゴ」が煌々と掲げられていた。百貨店にユニクロが入ったくらいで大袈裟な、と思うかもしれないが、不思議と驚きがまさった。
タマタカは1969年に日本初の本格的なショッピングセンターとして開業。モータリゼーションの到来を予期し巨大な駐車場を据えたことが当時話題になったという。当時の完成予想図や写真を見ると、田園都市然とした二子玉川の街並みに対しタマタカは近未来的で異様を誇っているように映った。
鷺沼、あざみ野、たまプラーザなど東急田園都市線沿いは有数のベッドタウンへ成長をとげ、二子玉川駅も利用者が漸増。大井町線がまだ二子玉川駅始発だった頃は、乗降客でプラットフォームから人がはみ出そうになるくらいの混雑ぶりだった。現在も1日平均10万人以上が同駅を利用しているという。
ベッドタウンの交通のハブとしてだけでなく、「センスのいいママが集まる街」として、ファッション誌『VERY』がそのような女性を「ニコタマダム」と形容するなど、二子玉川を「ブランド化」する動きもみられた。なお『VERY』は現在も田園都市線二子玉川駅上り方面ホームにビルボード広告を出し続けている。
再開発で二子玉川駅周辺が劇的に変化したことについては後述するが、タマタカは依然として街のランドマークである。平日の日中にタマタカ店を訪れると、フロア全体で50~60人くらいの客がいた。ユニクロにしてはまずまずかもしれないが、(専門店とはいえ)昨今のデパートとしては比較的の上々の入りではないだろうか。
「オワコン化」の不安
見慣れているはずのユニクロだが、やはりデパートの(ほぼ)ワンフロアを占有しているとなると、広々として見える。他店ではあまり見かけない、限定のコラボグッズが豊富にあるのがタマタカ店の特徴だ。思い返せばオープン時、同じく二子玉川に店舗がある「ロンハーマン」とのコラボTシャツが即完し、話題になっていた。田園都市線でいえば近隣の溝の口、三軒茶屋にある店舗と差別化を図っている部分もあるのだろう。
本館に移動し、専門店エリアと百貨店エリアを見て回る。各フロアとも大繁盛とは言いがたいが、平日にしては相当数の買い物客がショッピングを楽しんでいた。
言葉にするのは難しいが、その光景を見て、筆者は心のどこかで安堵した。タマタカの「オワコン化」が色濃く出ていたら…と、一抹の不安を抱いていたのである。今思えばたいして高い買い物をしていたわけでなく、たまの家族の外食や足りない食材を買い足していただけなので現金な話だが、それでも寂れていないに越したことはない。
時計の針をいまから四半世紀ほど戻すと、二子玉川駅には東口のバスロータリーには巨大な東急ハンズがあり、スーパーといえば駅前の東急ストア(プレッセ)だった。二子玉川園跡地の「ナムコワンダーエッグ」は2000年末に閉業し、動物テーマパーク「いぬたま・ねこたま」が細々と営業を続けていた。東口の河川敷に向かって雑木林が生い茂り、筆者は東急バスに乗ってそのあたりを行ったり来たりしていた。
平成も中期を迎えた頃から再開発は加速度的に進み、2011年に「二子玉川ライズ・ショッピングセンター」がオープン。比較的リーズナブルな価格帯の商品を取り扱うショップが多く、当時高校生だった筆者も学校帰りにひとりで入ることができた。
その後2015年に「二子玉川蔦屋家電」がオープン、同年「楽天クリムゾンハウス」が竣工し、楽天グループが移転した。「百貨店のある街」でありながらもどこか余白が残っていた二子玉川の空気が大きく変わり、洗練され、コストパフォーマンスが高く、ファミリーでも「使いやすい」街へと変貌を遂げた。
こうした流れに、タマタカは若干取り残されているように見えた。「小売の王様」と言われた百貨店は、イオンモールやららぽーとのような街ぐるみの大型商業施設が次々と誕生し、その利便性に完全に押されていた。いくら銀座に本店があるようなブランドを揃えていても、活気を失った小売店は客足が鈍り、負のスパイラルに陥る。
売り上げに効果はあったのか?
結果的に、ユニクロやニトリのような求心力のある小売チェーンをSC部分に入れる(入れざるを得なくなる)百貨店が増えていった。ただ、買い物客はそのテナントだけを目指して来店するのであって、百貨店全体へのシナジーに乏しいと指摘する向きもある。
ユニクロが入っているからといって、百貨店全体のブランド力が損なわれるとは正直考えにくい。ユニクロをリーズナブルな衣料品店として利用している人はもはや少ない。同社が掲げる「ライフウェア」の理念通り、水や米を買うような必需品を調達する感覚で訪れている人が多いのではないだろうか、と筆者は考える。
ただ、ユニクロがあることにより「どこにでもあるような大型商業施設」、すなわちコモディティ化が加速する可能性は否定できない。再開発でコスパの高まった二子玉川駅前と足並みを揃えるかーー。タマタカ側にも葛藤があったのかもしれない。
ちなみに高島屋の店頭売上速報を見ると、25年4月から7月にかけて、玉川店はそれぞれ+2.5、+3.9、+8.6、+4.9パーセントと、前年比プラスで推移している。なおユニクロ入居前も前年比プラスが続いておりその「効果」は読みにくいが、少なくとも負の方向に働いているわけではなさそうだ。
再開発から早幾年、二子玉川は街全体で徐々に変化を遂げ始めている。駅から見てタマタカの裏手になる「二子玉川商店街通り(大山道)」がその一例だ。昔ながらの店が風情を残す一方で、近年オープンしたコーヒースタンドやナチュラルワインのショップがコントラストをつくり、週末は幅広い年齢層の客で賑わっている。
代官山のピザ店も出店
街の栄枯盛衰は目まぐるしく、都内ではただ「使いやすい」だけでは戦えない状況になってきた。今は個人経営の飲食店や有名店の別業態など、街の情緒やインディペンデントな空気を求める客が増えてきた。
それに呼応するかのように、今年4月にはタマタカSCの西館1階にフードコート「P.」がオープンした。食事やクラフトビール、ワインが飲めるフードコートで、神田から移転してきた「Mikkeller Burger」、代官山で人気のピザ店「PIZZA SLICE」が出店するなど、新しい風が吹いている。
また、2004年に開業した裏路地再生エリア「柳小路」もテナントの入れ替えが進み、長らく駅側に寄っていた街の賑わいが再びタマタカ側にも戻ってきた印象があった。
筆者としては昔の牧歌的な空気が残るニコタマを思い出して思わず遠い目をしてしまうが、今まさに新たな街の賑わいが生まれようとしている。同じような性質を持つほかの商業地域も二子玉川の街づくりに追随するかもしれない。
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